Vol.22 廣松利彦さん

佐賀県発 温かみと安全性を重視した 木のおもちゃメーカー

株式会社飛鳥工房 廣松利彦 さん
佐賀県佐賀市

世界でひとつだけの商品を提供。顧客のほとんどがギフト目的で購入

事業内容は?

木製のおもちゃをメインに、インテリア雑貨やスピーカー、家具のパーツなど、木で作成できると思われるものは要望があれば何でもつくる、製造・販売会社です。特におもちゃは赤ちゃんがなめても安心な自然塗料を使用し、やさしい手触りと木の温かみを重視。自社のネットショップやショールームでの直販のほか、卸し販売もしています。

その事業はどのような顧客・市場を狙っている?

お客さまのほとんどが、出産祝い、誕生日、結婚祝いなどのプレゼントとして当社の商品をお買い求めになられています。商品にはレーザー彫刻でお名前や日付、メッセージを入れることができるので、世界にひとつしかない特別な贈り物をしたいと考える人がターゲット。また、国産であることや、木のそのままの色を生かして着色はせず、植物性のオイルからつくられた自然塗料を使って仕上げているので、安全に対して感度の高いお客さまが多いと思います。ですので、ホームページにはつくり手の顔が見えるよう、スタッフの写真や作業風景なども掲載。そうやって安心感を醸成しています。

同業者や競合との差別化ポイントは?

メーカーであることが最大の強みだと思います。自社で製造しているので、お客さまの要望に細かに対応できるんです。名入れサービスもそのひとつですが、椅子の高さを少し変えたり、木の材質の組み合わせの選択も対応可能。お客さま自身がデザインしたオリジナルをつくることもできます。木のおもちゃ製造をする以前は、家具のつまみや取っ手を木でつくる加飾会社でした。だから小さなものを研摩して、安全な商品としてていねいに仕上げる技術はすでに持っており、自信もあります。

手づくりした木馬に乗る娘の笑顔と「エンドユーザーの顔が見たい」が結びつく

起業のきっかけや動機は?

もともと当社は「廣松加飾」という社名で、父親の代から家具のパーツを製作する会社でした。家具のパーツをつくって家具メーカーに納品しても、その先どんな家具になって、どこで売られて、どんなお客さまが買っているのかもわからない。ただただ注文を受けてそれをつくるだけの毎日でした。転機は15年前の1993年、長女の飛鳥が生まれた時です。仕事は関係なく、娘のためにおもちゃづくりを始め、2歳になった時に木馬をつくってあげたら、とっても喜んで乗ってくれたんです。その笑顔を見て、自分のつくったおもちゃでお客さまに喜んでもらえたらどんなに嬉しいだろうかと。そんな思いと、直接エンドユーザーの反応がわかる仕事がしたいという思いが結びつき、「飛鳥工房」を誕生させました。

軌道に乗せるための創意工夫や改善は?

空き店舗の一角を1年間という期限付きで借りて、商売のやり方を勉強できる「チャレンジショップ」という制度があることを知り、そこに出店。ところが、チャレンジショップでの1年間を終えて店舗がなくなると、売り先を持っていないことに気づいて……。愕然としました。商品を置いていただけるショップもいくつかあったのですが、全然売れなくて。今思えば、こんな価格で卸したら完全に赤字だろうという値段でやってましたね。しかし、商品がおもちゃなので、いくら手間ひまがかかっているといっても、そんなに高い値段はつけられません。でも、手抜きをして価格を下げることはしたくない。そこで、いかにしてクオリティを保ったままで作業工程を簡略化するかということを考えていきました。また、デザインでも差別化を図ろうと、外部デザイナーと一緒に新たな商品を開発。そういった新作を1年に2回、テーマを決めて発表したり、いろんな展示会に出展するなどして、より多くの人に「飛鳥工房」を知っていただけるよう頑張ってPRしています。

これまであったピンチは? それをどうリカバリーした?

3年前の2005年、事業を父から引き継いで社名を「飛鳥工房」に変更した頃のことです。社名を変更したからといって、まだまだおもちゃだけで食っていけるだけの売り上げはなく、家具のパーツ製作も行っていたのですが、当時の経営状況は最悪でした。家族5人と従業員ひとり、いつ潰れてもおかしくないところまできていましたから。それまでは、日本一の家具産地である福岡県大川市が近いので、家具のパーツづくりの商売が成り立っていたのです。その大川市の家具がライフスタイルや住宅事情の変化によって、まったく売れなくなってきた。借金は山ほどあるのに、キャッシュがない状態で社長になり、社長として初めてやったことは資金繰り。そんな時、おもちゃをつくりたいという若い女性が、ほとんど同時期にふたり入社してくれました。今年もまたひとり若い女性が入社しましたが、今では彼女たちが中心になって、当社のモノづくりをやってくれていますね。この存在が大きかった。なにせ、私や男性デザイナーでは思いもつかないかわいい商品が生まれるようになりましたから。人が増えたことで量産も可能になり、販売先も徐々に増えていますね。それにしても、なぜか当社は女性に人気です。これも、社長の魅力でしょうか?(笑)

家具パーツの加飾で培った技術を生かし、ヨーロッパ産に負けないメーカーに

いま、一番課題だと感じる事柄は?

品質を保持しながら量産できる体制をつくることですね。それが人材育成や設備投資も含めた現在の最優先課題。経営状況はまだまだ苦しいですが、いい方向に向かっているという手ごたえは確実に感じています。また、自社の店舗兼ショールームが工場の2階にあるのですが、入りづらいのが直接の売り上げが伸びない原因だと思っています。ですので、ここ2年以内に店舗を移そうと計画しています。また、ネットショップもさらに充実させ、売り上げを増やしたいです。

さらに伸ばしたいと思う強みは?

先にも言ったように、家具のパーツをつくる加飾会社出身なので、小さなものを研摩して、安全な商品としてていねいに仕上げる技術には自信があります。今後もその強みを大いに生かしていきたいです。木でできたものがそばにあるだけで癒されると思いませんか。木には心をなごませる効果があると思っています。ですので、子どものおもちゃだけでなく、幅広い年齢層に向けて木でできた製品をつくっていきたいと考えています。

事業を継続発展させることよって実現したい夢は?

木のおもちゃというと、ヨーロッパ製が有名ですよね。日本にも安全性とデザイン性に優れ、ていねいにつくっている木製専門のおもちゃメーカーがあるということを、時間をかけて全国に発信していきたいと考えています。

廣松さんのプライベート&ストレス解消法

お酒と音楽でリラックス。イルミネーションで街を変える活動にも参加

何といっても、お酒と音楽! 夜、お酒を飲みながら自作の真空管アンプとスピーカーでJAZZを聴くのが至福の時ですね。またプライベートで、不況にあえいでいる家具産地、福岡県大川市の「ハート降るイルミネーション」という活動に9年前から参加しています。夜、街頭もない暗い通りに電飾を飾ったりと、自分にできる善意で街を明るくしようという運動です。10年間でひと区切りつけようと決めていたので、今年2009年が最後の年になります。10年前と比べても大川の不況はますます深刻になっていますが、ほんの少しでも人を思いやる心があれば、街は変わっていくものだと私は信じています。


【文】NICe編集委員 石田恵海