Vol.62 岡 初義さん

熊本県発 国産「い草」の栽培と加工、 菜の花で循環型農業を目指す農家

農家(い草と菜の花栽培・畳表製造) 岡初義 さん
熊本県八代市

熊本・八代の国産「い草」を全国に。菜の花でつくる商品の販路拡大も展開中

事業内容は?

熊本県八代市の八代平野にて、い草と菜の花を栽培する200年続く農家の7代目です。農家として代々続く我が家は、い草を有機肥料(それも自家製)中心に栽培。畳表の加工は、親子代々、日本の畳の最高峰といわれる広島の“備後表”を手本に、産地での研修を重ねてきました。“織り”についても、最高を目指しています。また、2006年には、地元の有志により「やつしろ菜の花部会」を結成。い草の低迷で空き農地が増え続けたため、その農地を生かして地域のためになるようなことをやろうと集結したのです。メンバーは、い草農家4名、野菜農家1名、米農家1名、それに漁師1名ですが、もともとは全員がい草農家でした。

その事業はどのような顧客・市場を狙っている?

日本の家に、かつては畳の部屋があることは当然でした。ですから、日本全国に幅広い市場を狙いたいというのが本音ですが、実際には、畳の部屋が一つもないマンションもあり、需要は落ち込むばかり。また、現在、日本で使われる畳表の約8割が中国からの輸入製品です。とはいえ、近年の健康志向に後押しされて、少しずつですが、国産の畳表にこだわる方も増えています。直接問い合わせをしてくださる方もいて、うれしい限りですね。そういった、コアなお客さんを増やしていきたい。ただ、国産の畳表がどこで手に入るのか、それがわからないという方も多いので、今はインターネットを通じて積極的なPRをしています。また、喘息やアトピー性皮膚炎、アレルギーのある方などからも問い合わせが増えており、ニーズはまだまだあると。さらに、国産い草に興味を持っていただこうと、畳表として使うだけでなく、ドライフラワー感覚で束ねたい草を「香雅美草」と名づけ、畳屋さんを通じて販売。インターネット注文も受け付けており、年間7000?1万個出荷しています。今後は、ドライフラワーを扱う花卉店など、卸販売も始める予定です。菜の花からつくる商品としては、蜂蜜、純国産菜種油、菜の花を使った肥料で栽培するお米、そのお米からできる日本酒など、菜の花商品のブランド化を目指しています。今のところ、ほとんどが口コミによる販売ですが、今後は、関東・関西地区など一大消費地にも出向いてアピールしていきます。

い草栽培も、菜の花栽培も、それは自分の宿命だった!

起業のきっかけや動機は?

子どもの頃から家業を継ぐ覚悟でしたから、農業高校卒業後に就農しました。34年前のことです。しかし、当時のい草の原料価格が10アールあたり30万円だったところ、私が着手した直後の2年間は、最高で80万?100万円に。い草も捨てたもんじゃないと思いましたね(笑)。そこから先は、自分が農業をやるのは宿命だったと思うことの連続。まず、普通、い草は収穫した後に泥染めをして、それを乾燥させていますが、うちでは、その行程を省き、適切な乾燥だけで仕上げる“すっぴん・い草”を畳表に加工しています。泥染めナシへの検討と、その方法の研究は父とともに始めたのですが、その年に父が亡くなってしまって… 。父の願いを引き継いでのチャレンジでしたが、失敗の連続。色・香り・艶の3拍子がそろい、ようやく“すっぴん”といえるようになったのは5年後でした。そして、菜の花栽培を始めたのも、父が亡くなった1カ月後。夢枕に立った父が、「今年の菜の花は、よ?うできたバイ。今年の米も、来年のい草も、良い物が取れるバイ」と。そこで目が覚め、妻に、「こんな夢ば見た。ひょっとしたら、菜の花つくれと言いよらす」と。その年の10月27日に種まきし、自己流で栽培。翌年3月には、80アールの畑一面に菜の花が見事に開花しました。あれから12年がたちますが、“すっぴいん・い草”も、八代産の畳表も、菜の花も、これらはすべて、色々な人たちとの出会いがあったからこそ展開できているのです。起業とは、己が自ら走って、生業を成すことだと思っています。

どのように準備を進めた? 何を勉強した?

ほとんどの情報は、インターネットを駆使して入手しました。パソコン歴は20年になります。ほかには、専門書・雑誌、漫画、アニメなど。実は20年前に、ヘルペスと髄膜炎で入院。歩行不能になってしまい、絶望のどん底に。ところが、神様が助けてくれたかのように復活。入院していた病院で、医師に、「入院患者がこんなに多いのはなぜですか?」とたずねると、「医師の私が言うのはなんですが、健康な作物、安心・安全な作物を食べることと、旬の食材を食べること。そうすれば、病気になる人は減るんですけどね」と。「えーっ!!」という思いとともに、農業で復活して活躍するぞという思いがふくれ上がりました。そして退院後、「地元で有機農業の勉強会をするので出席しないか」と友人に誘われ、それを機に勉強や研究を続けることに。同時に、先輩(営農指導員)から、「これからの農業はパソコンの時代だから勉強会を開きたい」と誘いがあったのですが、その時は興味が持てませんでした。ところが、先輩が数カ月後に急死。亡くなった時間帯に、これまた夢枕で、「これからの農業はパソコンの時代だぞ!」と。はっと感じるものがあり、先輩の夢を継ぐために、さっそくパソコンの勉強に取り組みました。ワードやエクセル、それにパソコン通信からインターネットに没頭していきました。今では、ITを熟知していることが私の最大の武器であると自負しています。

菜の花を食品に、肥料に、バイオマスエネルギーに!

現在の経営状況を自己評価すると?

家業をそのまま引き継いだ、いわば“お坊ちゃま”だと思っていますので、経営者としの自己評価は、いつまでたっても低いまま(笑)。うまくできないことは仕方ないと、くよくよ、ぐちゃぐちゃと考えないようにしています。ピンチの時は、考えているだけでは前に進めないので、まず行動。そして、周りの人の協力や助けを進んで受け入れる。そんな姿勢でやっています。妻は元銀行員なので、お金の出入りは任せっきりです。そして、結婚したばかりの長男も、お嫁さんとともに、必死で農業に取り組んでくれています。嬉しくてたまりません。家族総出で取り組んで、和気愛あいとやっていられる今、笑いが絶えない農家のわが家は自慢のファミリー。それにはかなり満足しています。

事業を継続発展させることよって実現したい夢は?

まず、国産・八代産の“すっぴん・い草”を全国に広めることが第一ですが、それとともに、菜の花商品の販路拡大も私の使命。現在、菜の花の盛りが終わると、それを肥料にお米をつくっています。そして翌年は、その畑でい草栽培。連作を避けるためにも、そのサイクルは大事。だから、菜の花は、商品化以外にも農家を助けてくれているんです。そして、菜の花は、景観作物としても、また、子どもたちとの種まきや手入れ、菜の花を使ったイベントを通して食育にも活用できます。これからの具体的な目標は、国産菜種油の自供率をアップさせて、その菜種油粕から有機肥料をつくること。さらに、その肥料を使うことによる有機農業を発展させること。菜種油の廃油(バイオマスエネルギー)を使って、コンバイン・トラクターを動かす農家を地元に増やし、八代を循環型農業のモデル都市にすることです。

岡さんのプライベート&ストレス解消法

夢実現後のイメトレで、ストレスフリー!

農業がすべてですので、ストレス解消も農業をやる中で自然にできています。あえて言えば、「いつも夢を思い続けることで、その夢が実現する」という考えを持ち。それを具体的にイメージしながらで、ストレスのない農業に取り組んでいます。たとえば、「野菜の種をまきました。さて、何が見えるでしょうか?」と。見えてくるのは、子どもたちが私のつくった野菜を手にしてニコニコしている姿。まだ収穫もしていないのに、その作物の最終段階と、喜んでくれる人の様子が見えてくる。そのとおりのことを実現するためには、どんな努力が必要か、どんなつくり方が大事だろうかと思い浮かべる。そんなイメージトレーニングだけでなく、息子たちとも子どもの頃からこんな会話を重ねています。みなさんも、ご自身のお仕事に当てはめて実践してみてください。夢の実現に近づきますから!


【文】NICe編集委員 田村康子