経済産業省委託事業としての役割を終え、一般社団法人として生まれ変わることとなったNICe。

チーフプロデューサー増田紀彦が、 2010年1月、東京、東海(名古屋)、大阪で開催された「NICe特別交流会」での基調講演にて、その決意を熱く語りました。

2010 年1月30日(土)、大阪市北区の天満インキュベーションラボ(通称:TiL) での講演の模様をレポートします。

 

講演『自立と連携!2010年の日本経済・起業家の使命・NICeの挑戦』

起業支援ネットワークNICeチーフプロデューサー 増田紀彦

 

 ■自立しない日本人が、日本の「努力の結晶」を腐らせている
 
大阪に乗り込む前日、JR東海の新幹線でトラブルに巻き込まれた増田氏は、混乱した車内で、現代日本人の「自立度の低さ」をあらためて痛感させられるシーンに出くわした。
約4時間ぶりに運行が再開された静岡駅のプラットフォーム。臨時停車したのぞみ号の外には長蛇の列が出来ているというのに、新幹線の車内は隙間だらけで、乗客たちは詰めようともせず入り口付近をふさぐように立っているではないか。
 しかし、「たとえどんなに短い時間でも、NICe東海(名古屋)特別交流会に来てくれた人たちに話がしたい」という明確な目的をもっていた増田氏だけは 違った。車内に向かって、声をかけたのだ。
「大きな声で『詰めてください!』と叫んだら、詰まるんですよ。それでもまだ乗りきれない人がいるから、今度は奥まで入っていって、『申し訳ありません が、もうちょっと詰めてください!』と誘導すると、さらにドドドと人が動き、どんどん列がなくなって、大方の人が乗り込むことができました。頼めば動いて くれるんですよ、日本人は。優しいから? いや、たぶん私を車掌か何かだと思ったからでしょう(笑)。自分では状況判断も意思決定も行動もしない。なのに 『おかみ』から命じられると、素直に言うことをきいてしまう。言葉は悪いですが、日本人がいかに飼い馴らされてしまっているかを目の当たりにした 思いでした」

名古屋行きの新幹線での出来事を語り始めた増田氏
名古屋行きの新幹線での
出来事を語り始めた増田氏

新幹線は、日本が世界に誇るハイテクマシンであり、高度成長期に磨き上げた競争力のシンボルでもある。しかし、どんなに優れた道具があっても、使いこなす人間がいなければ宝の持ち腐れだ。

「それぞれが『こうしたい』という目標をもって動いていたら、そしてそれをまとめることのできる全体観を持つリーダーがいれば、新幹線の状況はまったく違っていたしょう。たとえば、今の中国で同じことが起こったらどうでしょう? われ先にと競うように車内へと進んだと思いませんか? 誰もが目的を遂げることに必死ですから。ひるがえって日本人は、強い目的意識を持って日々を生きてはおらず、だから希望も持てず、希望を実現するための行動も起こさない」

いつものように冗談を交えながらではあるが、やや暗いトーンで語り続けた増田氏。しかし、悲しい状況を目の当たりにしたことにより、NICeの仲間たちに伝えようと考えていたメッセージがさらに明確になったと、語気を強めた。
「国の事業としてのNICeはもうすぐ終わります。が、あらたに明確な目標を持ったNICeを私が始めます」

 

■3年間で当初の役割を終えた「NICe」
 
2007年春にNICeがスタートした当初、今ではおなじみの「つながり力」というキーワードは存在していなかった。起業支援ネットワーク環境整備事業として、流行の「SNS」を活用せよとの課題を与えられ、チーフプロデューサーの増田氏らスタッフが動き出したのは、半年後の同年秋のこと。

「呼ばれて行って、こりゃ、大変なところに首を突っ込んでしまったと思いました。予算は十分とは言い難く、一緒に働く人も確保できない。方針も決まっていない。また、それらをどうこうする権限も私にはない。今だから言いますが、何度も辞めてしまいたい気持ちにおそわれました。でも、『起業支援の火を消さない』が私のミッションだと思っていたので、踏みとどまり、続けているうちに、少しずつ出来ることがわかってきました。SNSというバーチャルなつながりだけに頼っていると限界がある。だからリアルで交流できる場もつくれば、相乗効果が生まれ、やがてはパートナーシップを生みだせるのではないか、そう考えるようになりました。経済産業省の仕様に『リアルな場を持て』という項目はありません。でも、それをやることがバーチャルを活性化させ、経済効果をもたらす道だと、私が勝手に判断しました。国が求めていることに応えるための方法は、自分で考え、実行するのが仕事を引き受けた人間の取るべき道だと思ったからです」
そして、「つながり力の強化による起業の実現、新事業や新市場の創出」という明確な目標が生まれ、増田氏の全国行脚が始まった。

日記にコメントを付け合ったり、コミュニティで語り合ったりしていたメンバーが、初めて交流会で顔を合わせるときの気持ちは、「ペンフレンド」に初めて会うときのワクワク感に通じるものがあると増田氏はいう。

「気持ちを確認して盛り上がる。そして、会えない間は、またネットでコミュニケーションをとり、次に会う機会を待つ――この繰り返しが、強い人間関係を構築するんです。そして異地域、異文化、異業種、異世代etc. 立場や視点は異なるけれど、志は同じという人が出会うことで、知らないままに過ごしてきた他人の知恵に触れることができます。それが、今のような苦しい時代には何よりの価値になるんです!」

高度成長期やバブル景気のような時代なら、考えなしにがむしゃらに働いていれば、生活は守られた。しかし、今のように市場が疲弊した状態で、同業者が集まったところで愚痴合戦や傷の舐めあいになるのが関の山。その点、“異”と交われば傍目八目で、自分たちの中に眠っていた資源に気づいたり、相手が当たり前のようにもっている知恵や技術を活用したりと、目からウロコの発見が増えるはずだ。

実際、NICeのコミュニティや定例会をきっかけに、いくつかの新規事業やジョイントビジネスが芽を出し、花を咲かそうとしている。また、先輩起業家たちに励まされ、起業を実現した人も数多い。

「NICeは3年間の役割を終えて幕を下ろすことになりました。しかし、もし今後も税金を投入するなら、すべきだと思えるほどの価値ある取り組みに育っていると思っています。でも現実には日本の財政は、戦後末期の昭和20年頃と同じレベルにまで悪化しています。これ以上、国に頼るわけにはいかないのです。だから、参加者の皆さんからも『終了は仕方ないね』という反応が返ってくるのかと思っていたら、想像以上に熱いメッセージを数多くいただき驚きました。それであらためて、その偏執的とも言える愛にお応えせねばと私は一大決心をしたのです(笑)」

そう笑顔で語る増田氏は、SNSという“システム”ではなく、SNSによって培った“志のネットワーク”を守り、さらに発展させるために、新しい社団法人 を設立した。
日本にある知恵や技術、やる気やアイデアといった資源を集め、リミックスし、必要とする人や小さな企業へと再配分することで、自分の 未来を自分で拓こうとする人たちをバックアップする活動を目指している。

 

■円高やデフレを誤解していませんか?

自分の未来を自分で切り開く=自立した人たちにとっても、今の日本経済の状況は、決して甘いものではない。その2大要因とされているのが「円高」と「デフレ」だが、その意味を誤解している人が多いと、増田氏は警鐘を鳴らす。

「円高とか円安というのは、“以前に比べて”という比較論です。円高はゴルフのハンデのようなものと考えればわかりやすいでしょう。たしかに1ドル=360円の固定レートだった頃に比べて円は(対ドルで)高くなりました。それは、日本が努力して競争力を高めた結果、ハンデが上がったのです。ちなみに、発展著しい中国の元レートは、現在1ドル=8元前後で、日本円に換算すると120円くらいになります。すなわち、元は円に比べて対ドルで約3割強いのですから、7割にダンピングして日本に物を売っても平気です。世界経済というのは、基軸通過であるドルに対してバランスを取ろうとします。ということは、日本が頑張ってさらに力をつければ、またまたハンデキャップが減らされるだけのこと。つまり、円高は一過性の問題ではないんです。覚悟を決めないといけない。長年、日本の基幹産業が輸出産業だったから『円高歓迎』を声高に言う人がいないだけで、安い価格で物を輸入して国産品と競わせる仕組みを早くつくり出したほうが賢明です」
講演風景
たとえば、増田氏が訪ねた新潟県の豪雪地帯では、家庭に1台ずつ国産の除雪機があり、その価格は30数万円。ところが性能レベルの近いカナダ産なら、10数万円で買える。「大企業が扱うほどのマーケットではないからこそ、小さい企業が参入すればいい。日本の技術を使って改良したり、メンテナンスなどアフターサービスも展開すれば、ビジネスチャンスにつながるかもしれません」
デフレについても、本来の意図的な操作によるデフレーションとは異なり、ディスインフレーションの中で部分的に物価安が生じた「まだらデフレ」であることを理解しておくべきだと、増田氏は指摘する。
「今、価格が下がっているのは、人間が頑張ってつくったりサービスしたりするものばかり。土地や鉱物資源など、努力でどうすることもできないものの価格は下がりません。あえて今の状況をデフレと呼ぶとしても、このデフレの要因は不景気による需給ギャップから生じたものと教科書的に理解してはだめですか。企業が競争に勝ち抜こうと努力に努力を重ねた結果、品質が上がる一方で、生産コストや流通コスト、コミュニケーションコストの削減がどんどん進みます。頑張れば頑張るほど、ものは安くなってしまう。そういうものです。だから皆さんも無理して高い価格で売ろうとせずに、価格を下げてもいいんです。ただし、価値まで一緒に下げてしまったら、お客さまは離れてしまいますよ。いいですか、価格は下げても価値は下げるな! です」

公共料金、地価、電車運賃など、事業に必要なものの価格は高いままなのに、懸命につくるものの価格は下げなければならないとは、なんとも辛い時代である。だからこそ、他社(他者)との連携によって自立を支え、同じ目標を持つ仲間とともに、自分たちが活躍できる将来を探していく気概が大切だ。

「大企業の間でも合併の話が続出しています。今後、アジアに市場の中心が移ったら、製造工場だけでなく販売の場やコマーシャルが流れるのも海外になり、日本からはあれもこれもなくなってしまうでしょう。でも、日本にはいいものがいっぱいありますす。私たちは、政府や大企業がやらない“小さなこと”を積み重ね、ヤル気とビジョンのある人、つまり目的と希望にあふれる人同士が連帯していけば、必ず面白いことになるはず。それを、猛烈に推進するのが、私たち現NICeの事務局メンバーで開始する新しいNICeなのです」

たとえば、バーチャル会議のシステムを使えば、東京で毎月開催されている定例会の様子を、全国各地のサテライト会場で観覧したり、意見交換をすることができるだろう。現在のNICe登録者数5000余名が、ひとつのテーマで結集することも夢ではない。

「もうダメだと思ったときこそ、転換期。昨日、私が見た新幹線の車内とはまるで逆の、自分で自分の未来を描き、その未来の実現のために意思を抱き、決断と行動することが楽しい。そう思う人たちが力を合わせられる場を、この日本につくりましょう。もちろん、私たち事務局だけではできません。皆さん、どうかお力を貸してください!」
そう訴えて頭を下げる増田氏に、会場は割れんばかりの拍手を送った。

 

■NICeの今後は?
 
増田氏とともに「一般社団法人起業支援ネットワークNICe」の理事に名を連ねるのが、現NICeシステムプロデューサーの久田智之氏と、現NICe事務局の中林あや子氏だ。
理事3名への質疑応答の様子を通じて、新しいNICeの概要を紹介しておこう。
 

システムプロデューサーの久田智之氏

システムプロデューサーの久田智之氏

参加者:現NICeが終わったら、ホームページはなくなるのですか?
久 田:完全になくなります。ページがみつからない状態になるのでご注意ください。
参加者:日記やコメントは保存できるのですか?
久 田:ダウンロードで保存していただく方向で進めています。
増 田:日記は書いた方本人のもの、コメントはコメントを書いたかたから譲り受けたものという解釈になろうかと思います。
参加者:リンクやコミュニティは引き継がれますか?
中 林:登録そのものから新規で始めていただくことになります。
久 田:リンクのお相手が新しいNICeに入られるとは限らないので引き継がれません。コミュは現在のシステムに属するものなので、移行で きません。
参加者:
新しいNICeは無料で参加できますか?
久 田:無料で使っていただくつもりです。
増  田:収益源があるわけではありません。あえて収益モデルをつくらずに始めることにしましたので、運用しながら検討します。
参加 者:定例会はあるのですか?
増 田:あります。すべて私がうかがいます。そして、講演でもお話ししたとおり、全国の前会 員 に向けてネット中継を始める予定です。
久 田:できれば、お一人ではなく、複数名が集まって観覧するサテライト会場にしていた だけ るようお願いします。
参加者:期待し、応援しているので、頑張ってください!
理事一同:ありがとうございます。ご支援よろしくお願いいたします。

 

「NICe特別交流会」は、東京・東海(名古屋)でも開催されました。
 
1/25(月)東京
 
1/29(金)東海(名古屋)

ご来場いただきましたみなさま、ありがとうございました。

 

撮影・取材・文/NICe編集委員 服部貴美子(大阪)

撮影/NICe編集委員 岡部 恵(東京)、石田恵海(東海)

 

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