有限会社アシスト 村上和明 さん 広島県東広島市 |
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建設・環境のコンサルタントです。鉄道・道路・空港・工場・住宅・ビルなど、土木建築に欠かせない石を採取し、土木用資材やコンクリートの原料となる骨材を供給する「採石関連ビジネス」を応援。特に採石法(採取認可)や森林法(保安林解除、林地開発)、産業廃棄物などの手続きに関するコンサルティングが得意ですね。山林を切り開き、その土地を道路などに転用する場合は様々な法令に抵触しますから、開発目的に合った規制などを調査し、その法令を遵守するようクライアントにアドバイスします。たとえば、商用として石や土を採取したり、山(地域対象民有林)を森林以外の目的で1ha以上転用する場合は、事業計画を策定し、都道府県知事の認可を得る必要があります。また、保安林には水源かん養、土砂流出防備など17種類がありますが、保安林の制限を解くために事業計画書をまとめたり、調査していくことも僕の仕事です。
クライアントの多くは、建設会社や不動産会社などの開発事業者、採石業者、産業廃棄物処理会社などで、当社は「環境と開発の調和」をテーマにしています。「開発」=「環境破壊」と思われがちですが、国土には様々な規制があり、開発の目的に応じ、災害防除や安全を得るため、基準や許認可をクリアする必要があります。これらを無視し、利益だけ求めて自分勝手に開発すれば、それこそ地球はボロボロになってしまう。秩序ある開発で、脱法行為を防ぐことが「環境と開発の調和」だと僕は考えています。たとえば、素晴らしい自然環境のある山の中に、家を建てたいという夢を持つ方がおられるとします。その方の夢を実現するためには、そこが本当に夢の場所なのかどうかを調査し、計画し、規制をクリアしなければ、「夢」をかたちにすることはできません。そんな夢をかたちにするためのサポートが僕の仕事なのです。
約11年前のことです。建設不況が始まり、「リストラ」という言葉がはやる中、勤めていた中堅の建設コンサルタント会社にもその波は押し寄せました。当時、幹部クラスの僕でしたが、早期退職を打診されてしまった。その時、ある採石業者の社長に相談したところ、起業を勧められ、この社長が行っている採石事業を応援する会社をつくろうと起業しました。勤務先の誰にも起業することは話してなかったのに、社長に辞表を提出したら「ワシは47歳で起業した。アンタはまだ若いからできるよ」と言われて、驚いたことを覚えています。
起業したら採石事業者の社長から、すぐに仕事がくるという甘い考えがありました。勤めていた会社のクライアントには手を出したくない、というプライドや仁義もあったので、手を出しませんでした。しかし、事業をスタートさせたものの仕事はまったくなく、運転資金も減るいっぽう。家計もピンチになりました。最初に仕事を得たのは、起業して半年ほど経過した頃だったでしょうか? 前職の先輩で先に起業していた測量設計会社の社長から仕事を紹介していただきました。「県道改良の保安林解除」の仕事だったかな。あの頃は毎日がヒヤヒヤでした。
自分の名前を売る必要があると思い、サラリーマン時代に経験もなく、苦手だと思っていた営業活動を始めました。通常の開発は一期一会ですが、採石関係は更新がついて回ります。そこで、ターゲットを採石事業者に絞り込んで、会社のパンフレットを「県砕石協会」の会員へ配布。少しずつ効果が出ています。高校の剣道部の先生からは「おまえの剣道は人が良すぎる」と激を飛ばされ、実際、練習はうまいが、試合には負けるタイプ・・・。また、若い頃、運命の人だと思っていた女性に「あなたはいい人だけど・・・」と言われ・・・。とまあ、こういう性格なので、人の物を横取りするとか、飛び込み営業をするとか、困っている人からお金を取れない性質(笑)。なので、地道な営業しか自分はできないんですよね。
経営者としては、まだまだヒヨっ子。評価すらできませんね。起業して11年も保ったのだから、人間でいうと「小学生の高学年」くらいでしょうか? 融資や助成金のベンチャーの対象は創業5年くらいですから、もうベンチャー企業とも言えないですしね。債務超過であるものの黒字を出した期もあり、今期も単年度黒字。従業員もおり、粉飾決算なしに社会保険料も税金も払っているのだから、起業の体は成していると思います。ただし、家計は火の車ですよ。
この事業は斜陽産業だといえるので、新分野への展開を模索中です。今年、幸いにして、会社員時代のマレーシア駐在経験を買われ、高校の同級生からインドネシアでのバイオマス燃料開発ビジネスへの参加を誘われています。代替エネルギーの開発は、地球温暖化に歯止めをかける一翼を担うものだと確信していますので、これまでの恩返しのつもりで始めたいと思っています。駐在員をしていた当時は20代の若造で、失敗の連続。勤務先にも迷惑をかけ、恩ある社長の期待にも報いることができませんでした。インドネシアはそのマレーシアの隣の国で、言語もほぼ同じ。当時のリベンジをしたい。人生もう一度、南方に賭けてみたいという気持ちです。
ズバリ! 米づくりです。若い頃、農業に憧れた僕は農業短期大学へ進学しましたが、なんとなくサラリーマンになりました。しかし、農家のひとり娘と結婚! 義祖母と義母の死、義父の病気を機に田舎暮らしを始めると同時に農業を継げることに。有機系肥料を使い、農薬は初期のみの減農薬で、コシヒカリを約1ha栽培しています。収穫量は他の本格的な農家より劣りますが、おいしいと評判です。しかし、米づくりだけでは生きていけないのが現実! そして、ストレスを溜めたら、NICeへ投稿! ウソです(笑)。以前はストレスを溜めた時期もありますが、今では「なるようになれ。持ってけ泥棒!」の精神。これが天命で、まだ生かされていると思っているので、ストレス自体がないんです。
【文】NICe編集委員 石田恵海