一般社団法人起業支援ネットワークNICe

ユーザーログイン
最新イベント


レポート


Report
NICe関西 第4回 勉強会@和歌山 レポート


NICe関西 第4回 勉強会@和歌山 レポート




2011年3月20日(日)、NICe関西(みんなで関西を元気にするコミュニティ、略して「みんかん」)主催の第4回勉強会(頭脳交換会)が、和歌山県田辺市にある体験交流型グリーンツーリズム施設『秋津野ガルデン』で開催された。5台の車に分乗して集ったのは、大阪府を中心に、神奈川県、三重県、滋賀県、京都府、兵庫県、和歌山県のNICeメンバーら総勢22名。どこか懐かしい木造校舎の旧小学校の教室を舞台に、第一部では『秋津野ガルデン』を運営する農業法人 株式会社秋津野 代表取締役副社長・玉井常貴氏の講演を、また第2部では頭脳交換会を行い、共に考え学び合った。

NICe関西コミュティ



 
▲▼NICe関西@和歌山の会場・宿泊地となった「秋津野ガルテン」は、
自然・文化・人々との交流の場を目的に誕生した、地域ぐるみの体験型
グリーンツーリズム施設。ガルテンとは「庭」の意味。
2006年まで実際に小学校として利用されていた木造校舎を地域で買い
取り、住民中心の出資者で会社を設立し、住民が運営
   

  


  
▲「廊下は走らない」の決まりごとを守り、NICe関西の開催前に走らず急ぐ実行委委員長・黒江氏の姿が

  

  
▲昭和51年に子どもたちが埋めたタイムカプセルの碑 
▲▼校舎内2階はほぼ当時のまま。歴代の卒業記念作品が至る所に展示されている。
時間割の「ねぎ」は玉井氏の講演でも紹介された総合学習だろうか
  

 


■オープニング



 
▲NICe関西@和歌山・実行委員長の黒江政博氏。NICeメンバーへの広報、会場・宿泊地となった秋津野ガルテンとの各種交渉手配、講演依頼など、準備から実施までご尽力いただき、多謝!




■第一部



農業法人 株式会社秋津野 代表取締役副社長 
玉井常貴氏による講演


地域づくり、ソーシャルビジネス、グリーンツーリズムなど、今でこそ耳慣れた言葉であり、数々の活動団体が全国各地にあるが、昭和31年(1956年)から地域づくり活動を開始し、発展させてきたのが、NICeみん関@和歌山の開催地となった田辺市上秋津だ。どのような背景から始動し、今日に至るのか。その実体験から、地域づくり活動にはどのような可能性があるのか。農業法人 株式会社秋津野・代表取締役副社長 玉井常貴氏からお話しをいただいた。

玉井氏は現在67歳。地域づくりに参画したのは44歳の時で、これまでの22年間の活動を振り返り、「我々は決して素晴らしい地域づくりをしてきたわけではありません。泥臭く、いかに多くの人を巻き込んでいけるかをやってきました。積み重ね、さらに展開していくことが地域づくりに大切です。蓄積していれば展開していくことができる。少しでも皆さんの活動にご参考になればと、今日はこれまでを振りかえってお話します」と前置きし、上秋津地区の概要から講演をスタートさせた。


▲農業法人 株式会社秋津野 代表取締役副社長・玉井常貴氏。
地域の資源を生かす活動を積み重ねながら、それをさらに展開
していくこと。そして活動を通して人材を育てることが地域づ
くりに大切だと、約1時間に渡り講演



●むらづくりの基礎となった社団法人 上秋津愛郷会の誕生

上秋津地区は和歌山県のほぼ中央部に位置する田辺市の西にあたり、阪和高速南紀田辺ICから車で7分、白浜空港から車で20分と、紀伊半島の中でも利便性に優れた場所。年間平均気温は16.5℃、降水量1650mmと温暖で、江戸時代には梅、明治時代には柑橘系栽培が始まっていた。

舞台となる上秋津地区は、もとは上秋津村といい、1956年の旧村合併時に、上芳養村、中芳養村、秋津川村、三栖、長野村と合併し、牟婁町となり、昭和37年に牟婁町は合併により田辺市になった。平成17年の広域合併により、近畿圏では最大面積の市となる。

地域づくりの最初の転機は、1956年の旧村合併時。上秋津村では合併による村有財産処分が検討された。住民で話し合った結果、村有財産は個人分配せず、将来の地域を支える子ども達のために有効に使うべきと決定。翌年、県下初の社団法人となる「社団法人 上秋津愛郷会」を発足した。公共の有効活用を目的に財産区の解消をしたのは全国でも初という。こうして誕生した上秋津愛郷会は、「得られた収益は、教育、福祉、自然環境保全といった地域全体の公益のためだけに使う」と定め、今日まで守り続けている。

その後、上秋津愛郷会を母体に発展した主な組織、活動は下記の通り。
1957年 社団法人 上秋津愛郷会を発足
1994年 上秋津地区の全組緩団体代表者で構成する『秋津野塾』を発足
1999年 住民出資による直売所『きてら』をオープン
2007年 住民が出資して株式会社秋津野を設立
     田辺市より旧小学校跡地の一部を愛郷会が約1億円で買い取る
2008年 『きてら』を法人化、株式会社 農業生産法人きてら となる
2008年 旧小学校を活用し、レストラン、市民農園、体験学習の場を提供する『秋津野ガルテン』をオープン
2010年 『秋津野ガルテン』に宿舎をオープン

玉井氏は、目的の明確化と、“継続こそ力なり”を強調した。
「約60年間続いている社団法人の活動の役割はふたつあります。ひとつめは、地域の財産(人・組織・産業・歴史)を生かしながら地域づくりをすること。ふたつめは、人材を育てることです。地域づくりを行政がやると言っても大変です。それを私たちの街はボランティアで実行してきました。役員任期は6~9年。そうなると役員を引退しても各地域に元役員がいて、それだけいろんな人が育っていくのです。この小学校を行政から買い取る時も、地域の人々が支えてくれました。みんなでやっていこうという基礎が出来上がっていて、それが積み重なってきたからこそ、質的にも展開できたのです」


●行政だけに頼らず、自分たちの手で再生発展を目指す“上秋津DNA”

みんなでやっていこうという基礎の根本にあるのは、“上秋津のDNA”ではないかと玉井氏はいう。明治22年に上秋津村は未曾有の大水害に見舞われ、甚大な被害を受けた。数千カ所が崖崩れし、田畑は全滅。「そこから這い上がり、自分らでなんとかしようというDNAがある。行商して山村へ行き、そこでまた仕入れ、市内で売る。そうして経済を復興させ、農業も再生させた。じいさんから当時の話を聞いた覚えがあります。そのDNAがあるのかなと思います」


たとえば、農業もそのひとつだという。田辺市は南高梅の産地であり、上秋津以外の地区の農産物は梅栽培が8、9割を占める。残りは柑橘類だ。しかし、上秋津の比率は逆で、柑橘栽培が6、7割、南高梅は3、4割。あえて、みかん栽培にこだわってきた上秋津の柑橘類は、今や約80種類と日本一の品目数を誇り、年間を通じて収穫も可能だ。さらに直売所やオーナー制度など多面的な取り組みも展開してきた。それには理由があるのだという。

「昭和40年代にみかん価格が大暴落したからです。それ以降、上秋津では柑橘と梅の複合栽培と同時に、柑橘の多品目、通年収穫収態勢に取り組んできました。梅だけの生産だと収穫時期が年に1度で、ほかの時期の仕事がなくなりますから。柑橘が多品目で通年収穫収できれば、労働力もたえず分配でき、収入にもなります。そういう取り組みをしてきたのです。その延長で直売所やオーナー制度にも発展しできているのです」


●地域内の全組織を網羅し、横つながりを強化する「秋津野塾」結成

時代変化に伴う対応力も、地域づくりには欠かせないと玉井氏は語る。平成に入ると、農村地域でありながら人口が急激に増加し、様々な問題も浮上したという。増加の要因は、地理的な利便性により通勤圏としての知名度が拡大したこと。開放的な土地柄でUターンだけでなく国内外からのIターン者が増加したこと。また林業の衰退により近隣の山村から移り住む元林業従事者の産業転換もあると述べた。平成元年に600戸だった人口は急激に増え、現在1150戸。同時に新旧住民同士のトラブルも増えた。たとえば、梅の受粉期に飛ばすミツバチによる振興住宅地や自家用車への害、肥料や農薬散布の苦情などなど。人口増加と宅地化により、農村という地域のあり方が変わってきたのだ。

新旧住民の交流を深めようと、行事やイベントが盛んに開催されるようになっていた。町内会、子ども会、JA青年部など、個々の組織や団体の自主的な活動も盛んになった。だが、個々の活動を生かすためには、横つながりにしていくことが必要だと判断し、連絡協議会のような役割を担うべく『秋津野塾』を結成。町内会、消防団、中学校PTA、子ども会、商工会青年部など、地域内にある24の全組織・団体の代表者から構成され、地域づくりの最高意志決定機関として位置付けた。より活発な地域づくりを推進することを目的に誕生したこの『秋津野塾』により、全活動が横につながり、全住民の声を集約でき、決定事項をまた全住民へと浸透させることへとつながった。各組織の自主性も、他組織とのパートナー意識も強化され、地域全体の恊働精神が自然と構築されていったという。

「縦の組織でバラバラにしていたことを横につなげると、1+1が3にも4にもなる。それに、子ども同士はすぐに友達になりますよね。ですから、街の行事やイベントも子ども達から推進したのです。子どもが参加すると、役員や大人も自然と交流します。夏祭りも女性と青年のものでしたが、子どもが参加すると、親が来る、おじいさんやおばあさんも来る。3世代が交流できるのです。このような活動を繰り返していると、役員同士の横のつながりができてくる。そういうことで交流も、産業も変わっていく。積み重ねで転換できていくのです」

小学校での農業体験もそのひとつ。農業を理解してもらうためにどこから発信したらいいのかとJA青年部が中心に考え、12年前から総合学習として授業に取り入れてもらっている。1、2年生はイモ、3、4年生は野菜、5年生はみかん、6年生は梅。仕組みとしては、秋津野塾関連団体である老人会、農家、JA青年部、公民館のメンバーを中心に、農業体験学習支援委員会を組織し、授業をサポート。そのため、たとえ先生が転任しても活動継続に支障は出ない。何より、授業を通し、子ども達に農業を、地場産業を、自分たちの地域を理解してもらえる効果は大きいという。


●住民主体の農商工連携で、直売所『きてら』をオープン

「来てね」「来てよ」という意味の方言を店名にした直売所『きてら』が誕生したのは1999年のこと。その前年に、秋津野塾は、第35回農林水産祭表彰・ゆたかなむらづくり全国表彰事業部門で天皇杯を受賞したことが弾みになったという。

天皇杯を受賞したことで全国各地から視察に来る。せっかく来てくれるのだから、直売所が欲しいとなった。行政へ話を持ちかけるが、「道の駅ならどうか」との返答。農協へ打診するも、まだ共同出荷所が主流であり、直売所には早いと。「それじゃ、自分らでやろう」と、住民有志31人が各自10万円を出資し、自分たちでプレハブを建てて直売所『きてら』をスタートさせた。

その目的は、地産地消、埋もれた産品の掘り起こし、高齢者の生きがいづくり、地域の交流の場の4つ。地域づくりから派生した活動のため、出資者は農家だけに限らず、新旧住民も混在している。

もっとも直売所『きてら』オープン当時の経営は厳しかったという。認知度も低く、売り上げも伸びず、閉鎖になるのではと危惧する声も。撤退するか、知恵を出し合い前進するか。メンバーは後者を選択した。

打開策のために、街の資源をもう一度見直した。「みかんの種類が日本一多いことが資源だ。それを生かした詰め合わせセットを発送しよう」と思いつく。送料含め1セット約4000円。それを200セット用意し、出資者の持ち出しで、各自の知り合いへ発送する運動を開始。その運動が広まり、今では夏に2500、冬に2800セットを売り上げるまで成長した。発送にも工夫を凝らし、地域や特産の最新情報を盛り込んだ手づくり新聞を同封。それが功を奏し、生産者の考えや地域を思う気持ちも伝わり、支払い回収率はほぼ100%。リピートだけでない。故郷を離れて暮らす者に愛郷精神を、また、生産者と非農業住民との信頼関係も高まるというプラスαの効果も生まれた、と誇らしげに玉井氏は語った。

「きてらだけでも10数年も活動を続けていくと、積み上がっていくのです。社団設立から約60年、こうしてコミュニティビジネスの基礎をつくってきました。儲け主義ではなく、得た分は地域へ還元しながら、地域のブランド化をしてきたのです」


●走り続けた地域づくり。将来を見据えたマスタープラン策定へ

継続と発展を繰り返し、組織化し、順風満帆に見える活動だが、秋津野塾の結成5年という節目にまた大きな転換期を迎える。
「地域づくりって、がむしゃらにやっていると足下が見えなくなるんです。ほかの地域を見てみると、行政が後押ししてくれている時や、地域にカリスマ的なスターがいる時は活動も活発ですけれど、それらがなくなると途端に失速していく。自分らのところはどうか。大丈夫か、と不安を感じるようになりました」

農家の後継者問題、耕作放棄の影響、若者の流出、秋津野塾や地域活動への不満。地域の新たな問題が出ていることを冷静に受け止め、地域の徹底分析に着手する。

地域社会の構造と意思決定システムに関する調査、農業の基本方向と活性化策に関する調査、環境と暮らしに関するアンケートを全世帯対象に実施。さらに住民だけでなく、専門家や大学教授4名にも協力を要請し、人材育成の方向性と10年先の地域のあるべき姿を整理し定めることを目的に、2年かけマスタープランを策定した。1.地域社会の構造と意思決定システム 2.土地管理の現状と今後の土地利用 3.地域農業の活性化と地域資源の活用。この3本柱を軸に計画書をつくり、住民へもわかりやすい冊子にして公開したのだった。



●小学校移転計画を機に、マスタープランの実践へ

10年先を見通したマスタープランを策定したことにより、地域資源の活用が具現化したのが、今日の会場となった『秋津野ガルテン』だ。この構想はもともとなかったと玉井氏は言う。上秋津小学校の移転を機に、跡地は更地にして分譲することで行政とはすでに合意していた。しかし……。

「今では珍しくなった木造校舎という街の資源をなんとか残せないか、生かせないかという声が高まったのです。みかんの種類が日本一という資源と、この木造校舎を統合できないかと考え直し、行政に陳情しました。一度は合意した案件ですから、話が違う!と当然言われました。そこを説得したんです。「それじゃ、どうしたいか考えてきてくれ」と言われて、委員会を立ち上げ1年かけて話し合いました」

全国各地で地域づくりに携わってきた経験者、大学機関の専門家、行政など、住民以外のメンバーも含めた40人から成る現校舎利用活用検討委員会を立ち上げた。部会もつくり、農業専門部会、建築部会などで討議し、それらを最終的に委員会でまとめ、教育・体験・交流・宿泊・地域をキーワードに、グリーンツーリズムの展開拠点として小学校を利用活用する計画書を策定した。

地域で土地・建物を買い取り、自分らで新会社を設立し、施設を運営する計画だった。その事業費は1億1000万円。それほどの負担を背負って大丈夫なのか? 失敗したら誰が責任を取るのか? 当然のことだが、住民の賛否は2分した。


●旧小学校を買い取り、体験施設『秋津野ガルテン』をオープン

「街全体を巻き込んだコミュニティビジネスですから、より多くの住人に参画してもらう必要がありました。全11区の町内会はもちろん、全組織団体を訪れて、熱心に構想と目的を説明したのです。国も県も市も予算に余裕はない。住民みんなで一緒に考え、実行していく時代だと。前向きに何かことを起こさなければ街は衰退する一方だ。街に経済がなくなり、高齢化が進めば衰退するだけなのだと広報活動を続けました。最初は反対していた住民も賛同者が増え、みんなで一緒に考える、自分の問題として捉える、という動きになっていったのです」

その結果、住民総会で承認され、小学校の土地・建物を「秋津愛郷会」が買い取ることで行政とも合意。298名から出資申し出があり、資本金3330万円で株式会社秋津野を設立。その後も出資申し出が増え、オープンの2008年には、489名が出資者となり、資本金は4180万円に増資。

こうして旧校舎を生かした体験施設「秋津野ガルテン」が2008年11月にオープン。有料利用者数は年間6万人。施設内の農家レストランだけでも予定見込み数9700人を裕に超える年間4万人が訪れている。2010年には宿舎もオープンした。


玉井氏は、地域づくりから育んできた秋津野型グリーンツーリズムと成果をこのようにまとめた。

・直売所『きてら』の立ち上げと運営
・きてら俺んちジュース倶楽部の立ち上げと運営
・農家民宿の会の立ち上げと準備活動
・農業体験学習の支援と農家での受け入れ
・農家レストラン『みかん畑』の開設と運営
・農村景観を生かしたイベントの運営
  
     ↓
    成果

・地域産物の販売(年間約1億2000万円)
・秋津野ガルテンでの地産地消の推進(年間8000万円)
・企業誘致に頼らない雇用確保(70名)
・農村と都市部の交流(年間12万人)
・秋津野ガルテン宿泊(年間2300人)

すでに次の計画として、上秋津の地域づくり、人材づくりのノウハウを集約し、周辺地域へ全国へと広めるべく、「地域づくり学校」の構築もスタートしているという。行政に頼らない住民の自主性を高めつつも、行政や他地区との協力体制を築き、地域内の農商工連携、後継者育成、新規分野へとチャレンジを続ける秋津野。「積み重ね、継続し、発展させていく」DNAはますます強く、進化していきそうだ。

最後に玉井氏はこう述べ、講演を締めくくった。
「ソーシャルビジネスというのは、地域や農業が抱える課題をいかに解決していくか。事業制で持続的に事業を進めていくか。今までにない仕組みやサービスを考えていくか。つまり、利益を上げるだけではなく、地域へ還元しながら発展させる仕組みだと考えています。若い人がUターン、Iターンの選択肢にこの故郷を入れてくれる時代をつくろうと、これからも私たちは種まきをしていきます」



 
▲玉井氏の講演中に、無添加・無調整の「きてら俺んちジュース」が振る舞われた

 
▲『秋津野ガルテン』内の農家レストラン「みかん畑」主任の黒田敏子さん。
翌日の朝食後に地域づくりやレストランの話をうかがった

  

  

  
▲翌日、農産物直売所「きてら」に立寄り、土産を買い求めるNICeメンバー達。
さまざまな柑橘類や加工品、野菜、梅などが揃い、朝から大人気。ここで取り
扱っている商品はすべて3km圏内に限定したもので、品物には生産者名が手書
きで記されている





■第2部 頭脳交換会



テーマ「震災復興支援策」

参加者全員で東日本大震災の犠牲者への黙祷を捧げた後、頭脳交換会がスタート。通常の勉強会では、プレゼンテーターからの発表をもとに、ビジネスプランのブラッシュアップを目的とした頭脳交換会をしているが、開催数日前に急遽テーマを「震災復興支援策」に変更した。


▲第2部で、ファシリテーターを務めた野崎ジョン全也氏


ファシリテーターを務めた野崎ジョン全也氏が、まず変更理由を述べ、今日の会の目的をどう方向付けていくか参加者にといた。自分ができることで支援したいという思いの中でも、それはチャリティなのか、ビジネスなのか、ボランティアなのか、まだ定まっていないのか。それぞれの思いがどの程度分散されているのかを挙手式で確認。そして、
「NICeの集まりなので、最終的には自分のリソースを使ったビジネスを通した復興支援策かなとも考えたのですが、今日は目的ごとのチームに分かれて意見交換を行いたいと思います。その前にまず、震災復興というのはどういうことかを理解するために、阪神・淡路大震災をひとつの例にして、知識を得ていただいてから議論したいと思います」と述べ、公益財団法人 阪神・淡路大震災復興基金を例に、1995年の大震災発生からどのような復興段階を経てきたのかを説明した。

1995年 震災発生。同年に公益財団法人 阪神・淡路大震災復興基金が設立
1996年 復興元年  生活復興支援プログラム
1997年 復興本番  産業の復興 
1998年 復興への正念場 公営住宅 住宅の復興
1999年 恒久的住宅への移行完了 
2001年 本格復興へ向けて 
2002年 残された課題の解決
2003年 創造的復興を目指して
2004年 創造的復興のラストスパート
2005年 創造的復興の総仕上げ
2006年~創造的復興のフォローアップ

復興には段階があり、長期にわたり継続されている。そして、公益財団法人 阪神・淡路大震災復興基金では200億円で事業がスタートし、これまで116事業が実施され、その運用財産は約6000億円。ニュースではすでに東日本大震災復興基金は10兆円と報道され、規模が異なることを解説した。


▲公益財団法人 阪神淡路大震災復興基金の復興への歩み

次に、公益財団法人 阪神淡路大震災復興基金の事業内容を抜粋した資料を配布。大別すると、住宅対策、産業対策、生活対策、教育対策、そのほか自主事業の5種類だが、各項目を見ると、インフラ整備等の大規模な事業が多いことに気付く。野崎氏は、その中でも、NICeメンバー各自が持っているビジネスリソースで参入できそうな事業を赤字で示したと述べた。たとえば、被災商店街等の復興への取り組みに対する支援、被災者を雇用した事業者等への支援、被災者の方へ就労やいきがいづくりの場を提供する事業への支援などだ。
<参考>http://www.sinsaikikin.jp/sozo/index.htm


 
▲阪神・淡路大震災復興補完を目的に兵庫県と神戸市が設立した
復興基金の年度別段階について説明する野崎氏


■配布資料に関する質疑応答


Q「神戸で大きく変わったかなと思うことのひとつにボランティア活動があると思います。ボランティア活動に対する支援について教えていただけますか?」
A「災害復興ボランティア活動補助として、経費の一部を補助したもの。事務所費用で年間50万円、交流会費などが該当する。平成7年から16年まで実施されました。また、『被災地域復興住宅コミュニティプラザ活動支援事業等』は、生活支援等にかかるボランティア活動をするグループに対して活動支援を助成しています。1事業15万円で、1グループ2事業まで。平成12~15年度の実施なので、後期の事業といえます」
Q「障害者や外国人、高齢者の対象事業はあっても、子どもに特化したものが見当たりませんが」
A「この資料は、神戸市と兵庫県で設立した基金の事業内容なので他にあったのかもしれません。内田さん、補足説明をお願いできますか?」
内田氏「これはあくまでも公益財団法人阪神淡路大震災復興基金の事業であり、国が直接やった支援策や、民間の所有物を復旧した事業、文科省管轄の学校関係など、行政の区割りごとの支援がほかにも多々ありました」
Q「道路復旧などに一般企業や私たちは参入できませんが、何か知恵を使ってお手伝いできることなどあったでしょうか?」
内田氏「被災地内でというのが復興事業に関わるひとつのスタンスかと思います。東日本大震災で言えば、この事例の事業をそのまま再現というより、東北の人が復興事業に関わることです。ですので、他地域でできることで事業に対応して考えていくよりも、自分たちがやりたいこと、やれることで、該当する事業を探したほうが早いかなと思います。こういう事例を参考にして考えることは有効ですが、土木や住宅建設などの需要は多いですから。神戸でも被災地内だけではなく、他地域からの参入もありました」

 
▲兵庫県中小企業団体中央会の内田雅康氏から当時の状況説明がなされ、
質疑応答の後、頭脳交換会のやり方に付いて話し合った


野崎氏「ひとつ言えるのは、なぜこの基金があったか、ということです。ひとつには、国や行政が望んでいるから、という見方ができるかと思います。国や行政のニーズにマッチしたことで復興支援をしたいなら、事例を参考にやるのがひとつ。ただ、内田さんが話してくれたように、中にいてできること、外でもできることもあります。土木建築でいえば、宮城県で20~30代は60万人います。転職を余儀なくされた方には、職業訓練で支援するのもひとつかと思います。今日の頭脳交換会は、復興支援で私たちに何ができるかをテーマにしています。ボランティア、チャリティ、ビジネスなどのチームに分かれて話していただければと思いますが、いかがでしょうか?」

ボランティアとチャリティの区別ができない。節電や節約では直接の支援ではないが間接的に復興支援というケースも想定できるが、その場合はどのチームに属するか。そのほかというカテゴリーを設けてはどうか。これまでのようなチーム分けではなく、自由に各チームを移動して意見を述べられるようにしては、などの提案がなされた。こうして、ボランティア、チャリティ、ビジネス、そのほかの4グループに分かれ、なおかつ、途中で別チームへの移動もOKという特別ルールで頭脳交換会が始まった。




  

 

  

 
▲ボランティア、チャリティ、ビジネス、そのほかの4グループに分かれた意見交換。
途中で各グループへは自由に移動可能とした


■各チームの主なアイデア   ※抜粋

ボランティアチーム
・NICeで何ができるかという観点から意見交換をした。全国に多種多様なメンバーがいて、得意分野も多様。ひとりひとりが持っている特性、得意分野の知恵、ツールを出し合うことで支援に結びつくのでは。
・NICeのトップにボランティアページを設け、リンクを貼り、各自提供できることを明確にする。心のケア、物資提供など、ニーズを項目別にしてほかの人も関われるように明記する。
・NICeのSNSで心のケアをする。無料メールで対応し、落ち着いてからビジネスに関われるようサポートする。
・かつてNICeメンバーで現在未ログインのメンバーに、一緒に復興支援しようと呼びかけ、再登録を勧める。NICeでできる活動をPRし、新規登録も促進できるのでは。
・無償のボランティアか、有償のビジネスかの線引きを明確にすることは大切。
・燃え尽き症候群にならないよう意識付けと、精神的なバックアップも不可欠。
・NPOへの協力、現地で活動している人へのバックアップなど、段階を踏んだ活動がいい。現地や行政からのリアルな情報、生の声を集約し、その声に応えた支援活動が必要。

チャリティチーム
・NICeですぐにできることとして、NICeの勉強会や講演会をチャリティ形式にし、参加費の一部を寄付する。また懇親会でも、大阪で行った似顔絵チャリティのように、メンバーの得意分野を生かして組み合わせる。
・NICeメンバーそれぞれの得意分野を生かし、一カ所に集まりチャリティイベントを開催する。
・NICe内だけでは限りがあるので、ほかとコラボレーションし、ネットワークを広げていくことも必要では。ドームシアターでの映像上映で、観光へ行ったつもりの物産チャリイベント。
・集客数や会場規模に関わらず、NICeメンバーの地元で開催可能なチャリティイベントを定期的に開催する。たとえばワンディ東北として、各自の地元の飲食店などにも協力を仰ぐ。
・NICeのSNSでできる支援もあると思う。関西が避難先となれば、関西の生活情報などを提供し、新しい生活環境に馴染めるようサポートできるのでは。また、避難先が数カ所に分かれるなら、各地情報をつなぐ支援も可能では。

ビジネスチーム
・NICeとしてビジネスの観点で支援できないかをポイントに意見交換した。
・被災地で何が余っているか、何が足りないかを明確にする。明らかに西日本はバックアップが求められている。
・受け入れる体勢はNICeでも、NICe外でも、有志の集まりでもできる。サイトをつくり、業界の人材不足管理、住居問題、民間不動産会社との連携、基金訓練、職業訓練、子どもの受け入れ保育所など様々な情報を網羅する。
・就労支援し、仕事にまず就く環境を整備。そして、その税金を避難先の住居区に納税するのではなく、ふるさと納税のような仕組みづくりにできないか。引き続き調査検討したい。

そのほかチーム
・日本人同士の応援、元気になってもらうようなことが支援に該当するのではと話し合った。
・街ごと避難するケースも多い中で、残る人と避難先で暮らす人との心の絆を何か結びつけるような働きかけができないか。ネットで情報交換をして、その結果を双方へお伝えする仕組みづくり。
・故郷を離れることで元気をなくされる方が多いと思う。そういう人を元気付けることを今後考えていきたい。
・避難せざるをない方の受け入れ先について、姉妹都市だけでなく、受け入れ先として相応しいリソースがあることを気付かせることも大事では。
・避難先として迎え入れる、その土地の方をサポートする仕組みづくりも必要。










▲各グループの発表タイム。様々な具体策やアイデア、考え方を熱心に聞き入るメンバー達




▲勉強会を終え、黒板の前で集合写真


▲懇親会も、旧校舎の教室内で。料理はすべて同施設内にある農家レストラン「みかん畑」
の皆さんの手づくり


■NICe関西@和歌山実行委員長を務めた、黒江政博氏から一言
「開催の1週間前に東日本大震災が発生し、NICeイベントを開催すべきかどうか悩みましたが、増田代表や永山さんからぜひ開催したいというありがたいお話をいただき、NICeで復興支援を考える頭脳交換会にプログラムを一部変更して開催させていただきました。今回、和歌山県南部の田辺市での開催でしたが、遠方から多数の方に参加していただき、本当にありがたく思いました。元小学校という舞台で、童心に返りつつ、共に学び、共に語らい、じっくりと交流が図れたのではないかと思います。みん関は楽しい雰囲気を保ちながら、パワーアップしているので、大阪、姫路、滋賀へと続く今後の活動にも大いに期待してください」


■リーダー 永山 仁氏から一言
「みん関(現NICe関西)初となる和歌山県での開催、しかも一泊するということで、この日はNICeの修学旅行のようで、とても楽しみにしていました。頭脳交換会のテーマを突如、震災復興支援策に変更しましたが、多彩なアイデアが次々と出てきました。ホワイトボードミーティングの威力、素晴らしさを再認識した次第です。また、一泊することで参加者の間の距離がグッと縮まった感じがしますし、今後も企画したいと思います。ファシリテーターを務めてくださった野崎さん、会場などの手配から折衝役まで、一人でこなしてくれた黒江さんに深く感謝申し上げます」


参加者一覧
赤池大樹氏
井居義晴氏
市川幸弘氏
内田雅康氏
榎崎 洋氏
黒江政博氏
小林優樹氏  
坂元ますみ氏 
中島昭二氏 
長沼実侑紀氏
中村恵子氏 
永山 仁氏 
野崎ジョン全也氏
前田和幸氏 
前田昌宏氏
松田尚三氏
森川めぐみ氏
森川正彦氏
山中智香氏 
山本美保氏
横見全宣氏
岡部 恵

ustream配信/永山 仁氏前田和幸氏
取材・文/黒江政博氏永山 仁氏
取材・文、撮影/岡部 恵

プライバシーポリシー
お問い合わせ