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NICeチャリティセミナー&交流会 in 美味しい帯広レポート


NICeチャリティセミナー&交流会 in

美味しい帯広レポート


 

2011年5月24日(火)、北海道帯広市で「NICeチャリティセミナー&交流会 in 美味しい帯広」が開催された。一般社団法人NICe 代表理事 増田紀彦氏の基調講演、参加者による決意表明、被災地応援を込めた日本酒プレゼントに、十勝のおいしい食材の数々と、「in 美味しい帯広」と題するにふさわしいチャリティイベントとなった。地元の十勝地方を中心に、遠くは旭川市から片道3時間半をかけて駆けつけた参加者もおり、様々な業種、幅広い年代の総勢37名が結集した。

 

■オープニング


 
実行委員長を務める岡田昭彦氏のあいさつからスタート。3月11日に発生した東日本大震災後の心情を語り、「何かしたい」という思いを抱き、自らもチャリティイベントを開催したこと。そして改めてつながりの大切さを実感し、ふるさと十勝の仲間ともっと共有したいと思っていたこと。そして、震災数日前に東京で増田氏と2度目の再会をし、その縁を生かして今回の開催に至ったと、来場者と増田氏への感謝の気持ちを伝えた。


▲NICeチャリティセミナー&交流会 in 美味しい帯広
実行委員長・岡田昭彦氏


■講演



「ほんとに頑張れニッポン! 

  つながり力で、震災&TPPを乗り越えよう!」



一般社団法人 起業支援ネットワークNICe 代表理事 増田紀彦氏


▲一般社団法人NICe 代表理事 増田紀彦氏


プロローグ:今夜ついに、

   人生のすべてを懸けて話したい、伝えたかったことを



拍手で迎えられた増田氏は、岡田氏のラブコールに少し照れながらも、この十勝には何度も訪れたことがあると述べ、「ずっと考えてきたことがあります。それをご縁のある帯広で、大好きな十勝で、皆さんへお話できることが嬉しいです」とにこやかに語り始めた。

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「私は今年52歳になりますが、日本もいい年になったものです。“成熟”と言えばきれいですが、ずいぶんとガタが来てしまったなと感じています。ではどうすればいいのか。それを3月12日に、自分の52年の人生で培ったものすべてを懸けて講演するつもりでいました。NICe(ナイス)の定例会を埼玉で開催し、そこに全国の人を集め、講演する予定だったのです。しかし、その前日に大地震……。悔しかったです。その時はまだ、被害の状況もわかりませんでしたから、中止の悔しさでいっぱいでした。それから刻々と被害の状況がわかり始め、定例会どころではない事態となりました。

NICeは、もともと経済産業省が始めた活動でしたが、2010年3月末で終了となりました。しかし、NICeの活動の中から、“つながり力”という言葉を生み出し、いろいろな異なりを超えたつながりを、もっともっともっと追求しなければと。“国がやらないのなら俺がやる!”と、格好をつけて引き受けて、今も大変な目に遭っています(笑)。予算がない中で、民間で活動するのは大変ですね。

今このNICeは、つながり力という合い言葉のもと、全国の皆さんに参加していただいています。震源地となった東北の方はもちろんです。NICeのSNSにおいても、震災後、多くの仲間が悲鳴を上げられていました。東北だけでなく多くの地域の人が、たくさんの被害を受けました。

親が見つからない。友人が見つからない。工場が壊れた。病院勤務の方は『次々に運ばれてくる人を助けられない……』。もうだめだ。こわい。死にたい。そういうメッセージがどんどん届きました。

そられの声一つ一つをNICeの代表として受け止めようと努力しました。つらい日々でした。皆さんを励まし続けていたのですが、励ましていた自分が、その後、病気で倒れてしまう事態となりました。


ショックでした。

自分はみんなを引っ張っていく、強い人間だと思っていたのに。多くの人の苦しい声を聞いているうちに、耐えられなくなって、とうとう自分が倒れてしまった……。私はこれだけの人間だったのかと、思い知らされました。しかし、考えると、3月12日に人生を懸けて話そうと思っていた講演も、実はまだ、自分には早かったのかと。天が、『まだお前は、皆さんにものを言うのは早いよ』と、そんな思し召しだと理解したのです。

震災後に病気で倒れ、そしてそこから復活しました。人間は、頑張れる時には頑張れる。頑張れない時には頑張れない。だけれど、どうやって私が復活できたかというと、それもまた全国の仲間のおかげでした。


本日はチャリティということで、お越しの皆さんの参加費からもNICeへ支援活動資金をいただいています。NICeは主に経営者や起業家の集まりですが、地域を応援するというテーマもあります。その通りに、NICeの仲間も現地へ炊き出しに行ったり、物資を届けに行ったり、自身の職業を生かしてマッサージをしに行ったりと、いろいろな活動をしています。その活動を支援するために、NICe内外から資金を寄せていただいています。

ところが、被災している福島県をはじめ東北各地の仲間からも、支援金が送られてくるのです。『NICeありがとう、お願いします』と。一度は仲間の苦しみの声に自分はつぶれそうになりました。が、また仲間の思いやりによって、立ち直れたのです。こんなに期待されているんだ、頑張らなくては!と。

今はもう身体は大丈夫ですが、その時は重病でして、高熱が数日続いたときは、死ぬのかと思いました。でも、ここで死んだら悔しい。仲間の声が、そういう強い気持ちを引っ張り出してくれたと思います。

震災と病いを経て、3月12日に話そうと思ったこと、その趣旨自体は同じですが、より深くなったと感じています。今夜お話しするのが、その話です」


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この時、外の気温は9度を下回っていた。だが、“人生を懸けて話す。さらにこの震災でより深まった”との言葉の重みが会場内に広がり、これまで増田氏の講演や勉強会に参加したことがある者も、また初めて聞く者も、室温の上昇を感じたはずだ。隣の席の青年をちらり見ると、その背筋は延び、目はまっすぐと増田氏を見つめていた。



講演タイトルの根底にある、3つのテーマ。

  そこに共通するキーワードは「人間」



期待に満ちた参加者の眼差しに応えるかのように、講演のテーマについて、増田氏は次のような言葉を続けた。

「今日は、大きく3つテーマがあります。

人間ってなんだ? 人間は本来どういうものか。
人間が生きていくために営む経済はどうなっているのか。
結論として、これからの経済が人間にとってどういうかたちになればいいか。

壮大なテーマですし、限られた時間内ですが、伝えられる限りお伝えしたい。
そして、できるだけ、笑いも差し込むつもりです(笑)」



言葉では言わなくても、『この3つのテーマをぜひ持ち帰って、何度も咀嚼して、あなた自身も考え続けて欲しい』とのメッセージが伝わってきた。増田氏お得意の笑いで緊張感を和らげつつも、さらに集中力を高め、人生を懸けて伝える1時間20分が始まった。





「三つ児の魂、百までも」。

  子どもの頃に夢中だったことは何?



増田氏は自身のプロフィールをスクリーンに映し出し、注目して欲しいのは写真だと言い、何をしている時に撮影したか、なぜこうも満面の笑顔だったのかを笑いを交えて説明した。

つい2、3年前の写真だという。撮影場所は会場からも近い北海道十勝のレキフネ川。浦幌からの帰り道、浅瀬の川を覆い尽くすほどの鮭を発見し、車を止めてその小川に駆け寄った。そこには、産卵のために遡上してきた鮭の大群がいたのだ。見たこともない光景に興奮し、条例で禁止されていることも知らず、嬉しくて思わず鮭を手づかみしまったという。自ら採った鮭を手に、なんとも得意満面な笑顔。



「写真を撮ってすぐに川へ返しましたが、こんな浅いところで採れるのかなと思ったら採れちゃったんです。何が言いたいかというと、同じように、小川にいっぱいの鮭を初めて見た時に、車を停めて降りる人、通り過ぎる人、また私のようにつかむ人、眺めるだけの人、いろいろ異なりますよね? どれがいい悪いではなく、人はセンスが違うということなのです。皆さんは、鮭の遡上を見たら、どうしますか?」


増田氏は物心ついた頃から、目の前を横切る生きたものには手を出す、まさに猫と同じタイプだったという。夢中になるほど大好きで、得意だったこと。それは、捕獲。生き物を捕獲するためには、それ以前に発見すること、考えることも含まれる。蛇がどこに隠れているのか、冬はどこにいて夏はどこにいるかを夢中で考え、捕獲する。そして経験により、さらに捕獲数も増え、友達からも褒められ、それがまた嬉しくて、どんどん得意になっていったという。



「三つ児の魂、百までも。という諺がありますよね? 3歳児で形成されたその人の特技や適性は、たとえ大人になっても、100歳になっても、変わらないという意味です。私の場合は、思い出すと、捕獲でした。発見する、捕まえる、見せびらかす、です。皆さんは、子どもの頃、何に夢中でしたか?」

会場の何人かに聞くと、

「プラモデルをつくること」
「計算するのが好きでした」などの回答が。

自分が子どもの頃に夢中だったこと、得意だったことはなんだろう? と、参加者それぞれが思い出すために数秒の間を挟んだ後、増田氏は、一体それの何が重要なのかと話を進めた。


得意な動詞こそ、個々に異なる適性・能力であり、

  共同体に欠かせない役割



「人によって、異なりますよね。その能力は一生変わらないんです。野球をしていても、プレイはまぁまぁだけれど、チームをまとめるのがうまい人、応援するのがうまい人、いますよね? 女の子なら、授業中に私がわからないと、こうだよって教えてくれるのがうまい人。また、メモで伝言するのがうまい人、いましたよね? では、今も私が亀や蛇を捕まえて生きているのかというと、そうじゃありません(笑)。大事なのは、動詞なのです。プラモデルをつくる、そろばんで計算する、亀やヘビをつかまえる。その動詞の部分です」


つくる、計算する、見つける、捕まえる、伝える、教える、組み立てる、分解する、etc。その動詞の部分に注目して欲しいと強調した。大人になってもこの動詞=特技は変わらない。三つ児の魂、百までも。しかも、その特技は、みんなが同じではなく、かぶらないのだという。人間は、いろんな適性と能力を分担する生き物であり、そういう動物は人間だけなのだと語った。



「何かが得意なカブトムシとか亀とか、いませんよね(笑)。それらは共同体を形成せず、単体で生きていくようにできた生き物だからです。でも、人間は、複雑に社会を形成し、集団で生きていくために適性や能力が分かれていて、それらを合わせていくことで、発展していける動物なのです。

もうひとつ。人間はスゴいように見える反面、生まれてすぐにひとりでは生きていけません。馬でも牛でも、生まれたらすぐに乳を飲みに立ち上がりますが、人間は泣くばっかりです。脳が役に立つまで、二足歩行できるまで、かなりの時間がかかります」



脳の完成までに時間がかかるのは、なぜか。それは、環境に適応するための学習時間を稼いでいるからだと増田氏は説明した。たとえば、シロクマは、赤道直下に生まれたら死んでしまうだろう。だが人間は、アラスカで生まれても、赤道直下の国で生まれても暮らしていける。人間は、東西南北、海のそば、山のそばでも生きていける。

クマで言えば、環境ごとに種が異なる。緯度の上から、シロクマ、灰色グマ、ヒグマ、月の輪グマと、種が異なる。それらはその環境に限定して生きるから種が異なってしまう。しかし人間は、限定された環境に対する適応力を持たせず生まれてきて、様子を見てから、ここではこう生きていく、となる。地球上のどこでも暮らしていくことができ、なおかつ、その地で集団を形成した時に、その環境に適した中で、必ず役割分担がなされていく。海のそばならば、魚を捕るのがうまい人、さばくのがうまい人、干すのがうまい人、調理がうまい人、というように。


共同体の中では適性や能力は自然と自覚できるはず。
      
  なぜ“自分探し”が必要になったのか



「ところが!!なんです!!」増田氏は、声のトーンを一段高めた。

「お互いを尊敬し合って、補完して、みんなそれぞれの特技を生かした共同体で生きていれば、そこに上下関係はないはずですし、他人さまを尊ぶはずなのです。が、世の中が変わってきて、共同体で生きていることを自覚しなくなっています。自分は何が得意で、集団の中で何を求められているのか、わからなくなってきています。“自分探し”という言葉を耳にしますが、本当なら、すでに幼少時代に適性がはっきりしていたはずなんです。

たとえば、子ども時代に野球やっていて、4番でピッチャーをやりたくても、『おまえは守備がいいからそっちを伸ばせ』と言われたり、自身でも『あいつにはかなわない』と自覚したり。遊びでも仕事でも何でも、共同体の中にいれば、自分で探さなくても、他人から自分を探されてしまうものなのです。

子どもの頃、おままごとで、僅かの短時間に役割を仕切る女の子っていましたよね? 仕切る能力がある女の子が格好よくて、憧れました。私はその子の旦那さん役をやりたいと思ったのですが、いつも赤ちゃん役なんですよ(笑)。でも、それでわかるんです。理解するんです。自分はここではヒーローにはなれないなと。それでも、夏が来て、動物や昆虫を採る季節になると、私は周囲から一目置かれるようになり、ヒーローになるのです。

いろんな集団の中で、評価されることと、されないことが、幼少時にはっきりした。自分探しなんてしなくても、経験でわかっていくから、自分の役割分担がわかり、その各自の役割を合わせることで、人間は共同体を築いていくことができたのです」



講演の冒頭に述べた3つのテーマのひとつ、“人間ってなんだ? 人間は本来どういうものか”が、ここまでの話だ。ではなぜ、“自分探し”という言葉がこの世に出てきたのか。本来の人間がつくってきた社会が、今どうなっているのか。その原因は何なのか。ふたつめのテーマが次に語られていく。


人間にとって当たり前の共同体は、なぜ崩壊したのか。

   日本はいつからこうなった?



人間本来の共同体を蝕んだ、その原因は、20世紀型経済だと増田氏は述べた。
20世紀型経済とは何だろう? “経済”と聞くと、一瞬難しい話かと思われるが、それをわかりやすく増田氏が解説した。ほんの少し時代をさかのぼり、日本が戦後どのように復興してきたのか、という内容だ。

まず、日本の街はどう変化してきたか。
かつての日本には、都市も街も農村もあり、ひとつの地域にはいろんな職業の人が混在していた。今でもここ帯広市は都市部と農漁村部が近い距離にあり、職業も多種だ。しかし現在、東京の都心で、親が林業に就いているという子どもはいない。それどころか一次産業全体、さらには二次産業に従事する親を持つ子どもも少ない。オフィス街、工場街、商店街、住宅街というように、効率一辺倒で街づくりをしてしまったため、都市部に限らず日本中で、多種多様な職業が混在する街は少なくなり、どこの街も似通ってしまった。

ではなぜ、そうなったのか。
日本は終戦後、驚異的な復興を遂げてきた。もともと日本人は、目標を与えられると、よしっ!と燃える民族だという。だが、日本人の力量だけで驚異の復興を成し遂げたわけではないのだと増田氏は述べた。戦後、アメリカは冷戦状態だったソ連の影響力を阻止したいという思惑もあったのだろうが、1ドル=360円の為替レートを設定した。輸出をすればするほど、日本が儲かる経済構造だ。そのため日本は、対米輸出に向け、全精力を注ぐことになったのだ。

輸出をするならば、当然のことながら、工場や倉庫は海のそばが効率的だ。こうして京浜工業地帯、中京工業地帯、阪神工業地帯、太平洋ベルト構想と、関東から北九州まで、工場街と倉庫街ができあがった。また、道路や鉄道も工業地帯を結ぶように整備された。と同時に、それらの工業地域へは、全国各地から労働力も大量投入された。このように戦後の復興は、最近の言葉でいう“選択と集中”により、人的資産もお金も素材も製造拠点も集められ、国土は効率重視でゾーニングされるに至ったのだ。こうして、加工貿易という勝利の方程式のもと、戦後の日本は高度成長へと発展した。

その一方で、都市部へ人材を出した地方に、働き手はいなくなってしまった。それぞれの故郷に暮らしていた時は、それぞれに異なる職を持っていたはずが、都市部ではみんな工員、同じ職業。そして地方では、建設業と一次産業だけが残されていった。都市部も地方も、ひとつの地域の中に同じような職業のグループしかいなくなってしまった。また当然、地方の人口は減り、税収入も都市部との格差が生まれる。それを補うために、加工貿易で潤った金は納税を経て、交付金というかたちで地方へ戻され、そして道路などの公共工事の補助金となる。こうして地方をつぶさないようにしてきたのだ。

だが、時代とともに為替レートは変動制へと変わり、アメリカも大量消費国ではなくなっていく。対米輸出に頼ってきた日本は、ものを買ってくれるあてがなくなり、企業が納めてきた税金も減り、地方交付金も減る。かつて黄金の方程式だった日本の加工貿易は、今や立ち行かなくなってしまったのだ。そして日本経済も低迷。


戦後復興の負の遺産、

  ゾーニングによるゆがみから生じた同質社会



「こうして時代とともに変化した中で、経済が落ち込んだだけでなく、恐ろしいのは効率一辺倒で地域の色を変えてしまったことなのです。どの地域も同質的なグループだけになり、住人は互いの違いを認識できなくなりました。また、経済格差も上下だけの問題ではなく、画一化という問題も生じています。都市部では私立の学校へ進学する子どもが多いのですが、そこを受けるには親の経済力だけでなく、偏差値の基準もあります。同質な親の同質な子どもたちですから、特技も頭のできも似ているんです。同質で同じ土俵で競い合っているからライバル視はする、それがいじめになる。私の頃は、音楽のヒーロー、算数のヒーロー、放課後のヒーローがいたのですが、今はいないんですね」



戦後日本は国を挙げてゾーニングをし、同質環境をつくってしまった。それにより、共同体の中にいても自分が探されている経験がない。特技を環境的に気付かさせてもらえない。大人になってから自分探しをしなくてはならない。そんな世の中になっているのだという。では、本来の適性に気付いていない人はどうすればいいのか。その前に、もう少し、20世紀型経済についての解説が続く。


世界経済も、TPPも、

  私たちは傍観者ではいられない、すまされない



「ではなぜ、これまで日本の得意先だったアメリカがものを買ってくれなくなったか? というと、アメリカは、ドルを発行しすぎたんです。もともと紙幣の発行数は、その国が保有する金(きん)の量で決まっていました。いわゆる金本位制です。第2次世界大戦後、各国はパワーがなくなり、金本位制を堅持したのはアメリカ一国になった。言い換えれば、金の裏付けのある紙幣はドルだけになったのです。しかし、さすがのアメリカも金本位制を断念する時期がきます。見方を変えれば、金の裏付けなどなくても、ドルは信用されるとアメリカは考えたわけです。もう、そうなれば印刷し放題。アメリカは、好きなだけドルを印刷して世界へばらまきました。

大量なドルが、世界市場に流れています。たとえば、『3万円をあげるから、CD買っていいよ』と言われたら嬉しいですよね? でも、30億円もらって、『CDを買いなさい』って言われたらどうです? CD1枚3000円として3000万枚。あまり、嬉しくないですよね、売ってもいないし(笑)。つまり、世界市場にはお金がありすぎるのです。お金があっても、買うようなもの、交換するようなものがないのです。

それでは、世界中で余っているお金は、何と交換しているのでしょうか? それは、ものを買う消費ではなく、お金でお金を買っているのです。実物経済ではなく、資産経済に大金が投入されています。あとで話しますが、こうしたお金の使い方が経済破綻を引き起こす要因になっています。さて、そうした資産経済に偏ったあり方がいかに危険か、リーマンショックを敬遠して各国とも十分に認識しました。だからやはり、ものの売り買いが大事だと。資本主義というのは、必ず常にものを求めて、それを買ってくれるところを探すものです。そして政府は、自国の製品がいい条件で売れるよう、企業と組んで取り引き国や市場を探しているのです。その中で、今日話題にするTPPというものが出てきました」



TPPとは、環太平洋戦略的経済連携協定、環太平洋パートナーシップ協定とも呼ばれるもので、太平洋を囲む各国間の経済連携協定のことだ。もともとは、シンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドの4カ国で発効したが、ここにオーストラリア、ペルー、アメリカ、ベトナム、マレーシアが加盟もしくは加盟に向け交渉を進めている。日本が加盟するかどうか、政府の結論は、まだ出ていない。賛否が分かれている。

TPPの話題に及ぶと、一次産業に従事している参加者はもちろん、全参加者が、それもまた無関係な話題ではないのだという自覚を持って聞き入った。戦後復興を遂げた日本経済の仕組みと、ゾーニングによるゆがみ。世界経済を浮遊する投資市場。そして、TPP。それらは決して、遠い過去や違う世界の話ではなく、日本に、十勝に、私たちの仕事に、暮らしに、深く関わっている。戦後復興や世界経済と同様に、誰ひとり無縁ではないのだ。




TPPはFTAの延長ではない。

  注目すべきは、非関税障壁の撤廃



関税の撤廃や規制の緩和による貿易自由化(FTA)と、TPPはどう違うのか。また、TPPはなぜこうも賛否が分かれるのか。その背景と問題点について、増田氏はわかりやすく解説した。



「日本の基幹産業は、自動車産業と電子機器産業です。この産業が、世界で食い込めていない地域がオセアニアです。TPPに加盟すれば、環太平洋の地域と自由貿易ができるチャンスだと日本の主力メーカーは望んでいます。9カ国で想定していますが、各国ともにみんな、新しい市場を取りたいと思惑を持っています。北海道は、関税率を高く設定している輸入農作物とぶつかる産品が多いので、皆さんも関心が高いと思いますが、本州以南ではまだまだ関心が薄いですね。実態がよくわからないし、賛成反対いろんな意見もありますから。農水省はTPPに参加するとGDPが下がるという。反対に経産省はTPPに参加しないとGDPが下がるという。内閣府はちょっと上がるといいます。それぞれ異なります。どれを信じるか信じないかも悩ましいところですが、そもそもGDPばかりを物差しにした議論に大きな問題があります。TPPはどうしても関税障壁の話しに思われがちですが、実はそれ以上に凄まじいのは、非関税障壁の撤廃なのです。たとえば、TPPに加盟すると、加盟国の中で、残量農薬基準を最も低い国に合わせようということになります。こういうことが非関税障壁の撤廃です」



非関税障壁とは、文字通り、“関税ではない壁”を意味する。つまり関税以外の障壁だ。たとえば、日本の食品は安全基準が世界でも非常に高く、農薬や添加物の使用に関してはポジティブ制度を導入しているし、牛肉輸入制限も設けている。また、新薬の承認基準も高い。しかしTPPに加盟すれば、それらはすべて加盟国の基準に下げられる。日本の高基準は、“輸出を邪魔する要因”となり、基準の緩和や撤廃を求められる可能性がある。

食や医療の分野だけではない。自動車の安全基準、労働力分野もしかり。加盟国から低賃金の労働力が大量に投入されれば、現状のデフレがさらに加速するだろう。また、日本国内の主な就職試験の問題は当然のことながら日本語だが、TPP加盟国の他国民からすれば、日本語の試験問題は非関税障壁となると増田氏はいう。 そんな、まさか??



「帯広市役所の採用試験は日本語のみですよね? それをTPP違反だと言われれば。加盟国の全言語を試験問題に併記する必要があるのです。まさか!と思っていませんか? まさかですまないことが起きる時代に私たちは生きているのです。世界市場がいっぱいいっぱいになって、これまでの貿易の枠組みに限界が来ています。今までの常識が、大きく変わろうとしています。そのひとつがTPPなのです。

経済は、その国の価値観や国家理念を突き崩すところまできています。多国籍企業などと言われてきましたが、TPPはレベルが違うということです。TPPに対する賛否はみなさんの自由です。ですが、ひとついえるのは、グローバル資本主義は、もはや国家の制御下に経済を置けないような段階に到達している。儲けたい、市場を取りたいという経済の執念は、凄まじいものがあるのだということです」



しかし、仮にTPPに日本が参加することによりGDPが向上したとする。その利益が国民へ還元されればいいのではないか? だが、増田氏の次の話でそんな楽観視はできないことを思い知らされる。


国民が実感できない、還元されない好景気。

  資産経済がバブルを生む悪循環



「戦後日本の最大の好景気をご存知ですか? 政府発表によると、2006年〜2008年です。そんな実感値ありませんでしたよね? 昭和の好景気は、所得も上がって消費も進み、好循環しました。ですが、国が発表した戦後最大の好景気を誰が実感しましたか? 私はしていません。おかしいですよね? では、どこで好景気を生んだのか。それは海外です」



日本の基幹産業である自動車の半分は、海外工場で生産され、日本国内生産している半分も輸出車だという。つまり日本人が買っていたのは、全生産の4分の1。帳簿上、企業の連結決算により数字的には戦後最大の好景気となった。それと並行して国内では終身雇用をなくし、派遣にし、期間契約にし、下請け業者を泣かせることで、利益を捻出してきた。日本人は生活費でかつかつ。それで戦後最大の好景気? 誰も景気の良さなど実感していない。企業はなぜ、給与や下請け業者に還元しないのか?



「原料代が高いのです。原料が投機の対象になっているので、どんどん上がります。そこが企業のつらいところ。しかしその企業自らも、利益を資産運用しています。結局、自らつりあげて自らの首をしめる。そして利益が上がらないと、雇用を減らす。雇用が減れば消費者も生活が厳しいから、安いものしか購入しなくなる。購入してもらおうと企業は値段を下げざるを得ない。値段を下げるために、また雇用数を減らす。そうすると、また消費も冷え込む。これがデフレスパイラルです」


デフレスパイラル脱却の鍵になるのは、

  ひとり一人の変革意識



「デフレスパイラルの悪循環は、悪意から生じたものではないのです。合成の誤謬(ごうせいのごびゅう)といって、ひとりひとりは正しいことが、全体として不利益をもたらすという意味です。経営者は会社を黒字にするのが正しいことなので、そのためにコストを抑える。社長として間違ってはいません。家計もそうですね。生活をきりつめる。安いものしか買わない。でも、個々の正しいことを足した結果、賃下げ、首きり、価格デフレ、そういう悪循環が起きているのです。

これは昨日今日の話しではなく、バブル以降、私たちは豊かさを実感していません。生活するのに精一杯で、むしろ、どんどん厳しい状況になっていく。戦後最大の好景気にピンとこない、おかしい、なんか変だと思いながら、貧しい。そんな中で大地震が起きました」



ここで増田氏は、震災前後でどのような変化をあったのか、自作したチャートで示した。意識の変化、起業動機の変化、起業機会の変化などを示している。そして、自身が震災後、訪れた福島県相馬市の話を紹介した。



「震災前は、勝ち組負け組、という言葉がよく使われていましたね。私は福島へ行って、相馬市で自動車整備販売業をしている経営者にお会いしました。そこは、ものすごい助け合いをしているのです。人間は、誰もが強いわけではありません。実際に、肉体も精神も苦しんでいる方がたくさんいます。でも、そこにはリーダーがいて、頑張ろうよと、頑張れる人が頑張っている。勝ち組などではなく、自分らでなんとかしようぜと。そういう人に、泣きながらも人が付いていくんです。その泣いていた人も、今は力なくても、実は建築が得意とか、魚の網を直すのが得意とか、人の話しを聞くのが得意とか、そういう共同体に貢献できる。辛い方もたくさんいます。が、必ずヒーローが出てきます。

その経営者さんが言っていました。『相馬は伝統的に団結力が強いんです。市も、政府のお金や援助を待たずに、自分らでプログラムを立てて、医療関係者も他地域から手配しました。もう俺らの地域は大丈夫だから、他の被災地へボランティに行くんです』と。

自分たちも被災しているのに、ですよ。助け合おうという精神が生まれているんです。震災で、猛烈に生きるためのスイッチが入った人が多いのではないかと思います。国や会社が何をしてくれるかではなく、自分は仲間や社会のために何ができるかと。あるいは、死生観を持つようになったと思います。人はあっけなく死ぬんだと。そういう気持ちを抱いています。浮かれていた日本人が、久々にマジになる時代がやってきたと。

震災で変わったのではなく、不安定な状態でずっと何かがおかしい、おかしいと、世の中のおかしなことを感じながらも、仕方がないのかな、良くはならないのかな、という気持ちがありました。また、TPPの全貌は見えてきませんが、アメリカ、ヨーロッパ、中国のスタンダードに、飲み込まれようとしていて、日本のいいものが消されていくんじゃないかと、うすうす感じ始めていたはずです。

国際競争力を持ったいいものをつくらないといけない、という。そうかもしれませんが、相手の得意な土俵に乗って競い合うのは大変です。でも日本は独特な自然文化があります。4つの海流、縦に長い地理的条件、海の幸・山の幸は世界有数です。それら天然の資源を使ったもので、得意の器用さで、ものをつくってきました。実は、日本スタンダードのほうが、よほど国際競争力を持つと私は思っています。なのに日本の日本らしさが、北海道の北海道らしさが、薄れていくのを感じていました」


今こそ、人間本来の共同性に満ちた21世紀型の経済を!



講演の冒頭に増田氏が挙げた3つのテーマ、その最終章である「これからの経済が人間にとってどういうかたちになればいいか」に到達していた。人間は本来どういうものか。それぞれが役割を分担し、成長・発展可能な共同体を形成する、それが人間の本来の生き方だと今夜、学んできた。その人間が、本来の姿でいられる共同体、営むべき経済。それは、裏切りたくない関係であり“お互い様経済”だと増田氏は語った。



「人間関係をつくらない方向、あるいはそれが希薄になるような方向に、国も企業も走ってきてしまいました。共同体が蝕まれ、人間関係が崩れ、デフレが止まらなくなっています。人間関係が希薄になったこととデフレは無関係ではありません。関係が希薄な相手なら、思いっきり値引きを要求できるでしょ。だからその反対が大事なのです。裏切りたくない関係をまず先につくり、“お互い様経済”をつくる。その総和がデフレスパイラルにストップをかけるのです。

人間は、それぞれが暮らす気候風土の中で、協力し合って、幸せに生きていける力を本来、持っているのです。にもかかわらず、欲望丸出しの経済、戦争すらよしとしてきた歴史、そんな低レベルな歴史をいつまで続けるのでしょうか。

これがビジネスなのだと、困っている人の首を切って、平然としているような野蛮なレベルで人間はとどまるのでしょうか。歴史から人間は学ぶのですよね。人類が富を蓄積できるようになった段階から、それを奪い合おうとして非人間的な行為が起きてきました。その当時は、蓄積可能とはいえ、富が少なかった時代です。でも、今は、生きていくのに困らない富が生産できるじゃないですか。仲良くならないといけません!ということです」



「仲良くならないといけません!」という増田氏の声のボリュームが、一段と上がって聞こえたのは私だけではないだろう。続けて増田氏は具体的に、知り合い同士の場合と、知らない者同士の場合で、どのような心理状態になるかを説明した。知らない者同士の仕事なら、相手に無理難題も言えるだろう。人を資材と思うなら、もの扱いだから心も痛まないだろう。だが、相手が自分の知り合いならば、無理難題は言わないし、損になるような仕事は持ち込まない。逆に困っていたら励ますし、会いにも飛んで行きたい。知り合いは、裏切りたくないし、裏切られたくない。それが人間本来の姿であり、共同性ではないか。だからこそ、裏切りたくない関係性の上に“お互い様経済”は成立するのだという。そうならなくてはいけないのだと力説した。

参加者の多くが気付いたはずだ。「ということは、お互い様と思い合える知り合いが、自分にはどれだけいるかが大切」。「たくさんいる」と安心した人もいるだろうが、不安を感じた人もいただろう。「自分にはそんな知り合いはいない。どうしよう……」と。

増田氏は、力強く励ますように言葉を続けた。



「どうすれば、お互い様と思える知り合いを増やせか。今からでもいいんです。異なる職業の人、いろんな地域の人、そして異なる世代と、仲良くなってください。知識あるお年寄りから学ぶことも多いです、子どもが持っているセンスに、へ〜〜っと感心することも多々あります。日本中にある、教え合える知恵が、結びついていない知恵が、まだまだたくさんあるんです」



ここで、増田氏が体験した身近な例として、コンビニのおにぎりを紹介した。札幌のコンビニでおにぎりを購入した際に、店員から「温めますか?」と聞かれ、断ったのだという。そうしたら、「温めないんですか?!」と、とがめるような口調で切り返されたそうだ。店員から責められたのは初めだったが、後で後悔したという。おにぎりの中にバターが入っていたのだ。温めたらさぞおいしかったことだろう。もちろん東京では売っていないので知らなかった。一方、沖縄のコンビニでは、ランチョンミートと卵が入ったおにぎりを買った。超おいしいのに、これも東京では売っていない。もったいない。両者とも、その地域では当たり前で、おいしいのに、他地域では知られていないし、知られていないことをまた知らないのだ。



「いろんな地域で、それぞれの業界で、様々な年代で、まだまだ互いに知らないこと、学べて教えてもらえることが、いっぱいあります。だから、無理して人を追いつめたり、外国と同じ土俵で競い合わなくても、いわば、力ずく経済を守ろうとしなくても、日本中に眠っている知恵を足し合えば、まだまだまだまだ、日本の中で新しい仕事や新しい市場をつくっていけると思っています」




つながり力で、

  異業種・異地域・異世代の全国的な共同体を!



異なる業種、異なる地域、異なる世代をつなげていきたいと、増田氏はそれこそ人生を懸けて活動している。それがNICeだ。だが、“つながる”ことは同時に、大変なパワーも必要だと正直に語った。



「属性が違うというのは、違うから、知らないから、わからなくて大変なんですよ(笑)。ですが、違うからこそ価値があるのです。同じ地域で生まれ育って、同じ世代で、同じ仕事の人と話すなら、楽ですよね。芽室の生まれで、ビート農家の子どもで、隣のビート農家の同じ中学校出身のお兄ちゃんと毎日話していたら、難しいことないじゃないですか。

ところが、九州の技術系のおじさんと、芽室の兄ちゃんが、話をあわせようと思ったら、大変ですよね。どうせ無理だと思って、面倒くさいと思って、普通は会話をやめてしまうでしょう。が、そこに学び合うチャンスがあり、もっといえば、そこに新規事業のチャンスがあるのです。多くの人がそれをチャンスと思わないからこそ、チャンスなのです。

人間というのはつらいことは嫌だし、面倒も嫌だし、ついつい楽なほうへと行きたがります。でももう、楽して飯を喰おうという魂胆では無理です。楽しようとするから、どんどん追いつめられてきた。ぜひ、異なるものにこそ、学ぶことがあるのだと信じなくてはいけません」



異なる属性とつながるには、その根底にお互い様の精神がなければならない。「こんなことも知らないのか?」ではなく、「こんなことは知られていないのだ、を知ることができた」だ。まさにコンビニのおにぎり。また、お互いに異なりを尊重し、学ぶ一方ではなく学び合うという気持ちがなければならない。その積み重ねで、人間関係は築かれていくからだ。

ただ、知り合いが多ければ、それだけの数の人間関係も生まれ、そこにはつらさが伴うこともあると、増田氏は語った。だが、それは決してマイナスではない。マイナスどころか、それが人間本来の姿ではないのか?



「震災で多くの仲間の苦しみを感じましたが、震災だけではありません。鹿児島の新燃岳の近くにNICeメンバーが住んでいて、毎日毎日噴火が怖いと。気の毒だなぁと思って、冬になったら今度は、秋田や新潟の仲間の家が、豪雪でつぶれてしまうと。毎日朝3時に起きて、雪下ろしをして、仕事へ行って、帰ってきたらまた雪下ろしをする……。身体がボロボロだと。気の毒で、気の毒でたまりません。たまらず、いっそ鹿児島に知り合いがいなければ、秋田や新潟に知り合いがいなければ、この震災でも東北や茨城や千葉に知り合いがいなければと……。知り合いがいるから本当につらいです。年輩の仲間を考えれば、この後の社会保障が心配。若い知り合いや学生さんを思えば、就職できるのだろうかと気がかり。異業種もそうです。円高で製造業の仲間はどうするだろうか。TPPは農家や食品関係の仲間にどう影響するのだろうか。みんなのことを考えると、苦しみが伝わってきて本当につらいんです。

でも、これはいいことなのです。“ひとごと”ではないと自分は思っているのですから。まさに、自分の苦しい気持ちこそが、本当にいろんな人と私が仲間であり、友達であるとことの証です。

ビジネスマッチングという言葉がありますが、これからはヒューマンマッチングです。

数字ありきでつながるのではなく、出会って、互いの話しをして、意気投合して、まず仲間になる、友達になる。そのうち、じゃ何か一緒にできるかと、ビジネスが、お金の行き来が生まれていく。小さな地域だけだと広がりませんから、ぜひ全国ネットで、インターネットを使ってください。NICeを活用してください。江戸時代ではないのですから、飛行機、新幹線で行って、会って、帰ってくることもできます。近くの好きでもない人より、遠くの素晴らしい尊敬し合える仲間たちと、志をともにできる共同体をもつくって、裏切りたくない関係、裏切れない商売、お互い様と思える経済をつくっていきましょう」



講演のフィナーレに、増田氏は自らも鼓舞するようにさらに力を込めて語った。今宵、集ってくれた皆さんへ、またこの場にいなくとも、全国各地にいる知り合いへ、志をともにする仲間へ向けて発するかのように。



「人が人を痛めつけない経済を、経済に使われる人間ではなく、人間のための経済を、21世紀になんとしても創り上げていきたいと思っています。

日本地図はますます大きくぬり変わっていきます。世の中どんどん変わっていきます。ですが、変わっていくことに、ビビらないでください。景気なんて元々悪いのですから、今さらビビる必要はないのです。むしろ、信じ合える仲間、志が一致する仲間、会えて嬉しい仲間とつながることの価値と威力を信じてください。

人間は、やはり共同体の中で、自分が必要とされている、役に立てていると思いながら飯を喰えるのがいちばん幸せです。そういう状態を、私もぜひNICeでつくっていけるように頑張ります。この活動をこれから一生懸命推進していきます。ぜひ皆さんも、お互い様の経済をつくるために、まずは異なる世界の人と仲良くなることから始めてください。ほんとに、頑張れニッポン! 私のテーマを終わらせていただきます」

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参加者スピーチ 「私たちは、こうやって頑張る!」



自薦他薦により、参加者数名の決意表明がなされた。

トップバッターは、実行委委員長の岡田昭彦さん

「顔見知りも多いのですが、せっかくなので宣言します。昨年10月に起業して以来、全力でやってきたつもりでした。でも、10の力を出してきたつもりが、まだまだ足りないことを痛感したのです。人が10の力で済むのならば、自分はもっと、15の力を出さなくてはいけないのだと。そのつもりで今後は努力していきたいと思います、それを宣言します! そして周囲の人への感謝の気持ちを忘れず、いつか恩返しができるように頑張ります。今後ともどうぞ、「おまえ、あの時に頑張ると言ったじゃないか!」と叱咤激励、ご指導をよろしくお願いします」


▲15の力を出して頑張ると宣言した岡田昭彦さん

続いて、神奈川県から参加した小林京子さん

「NICeの理事をしています。岡田さんから3分前に『決意表明してください』と言われて、それではと、半袖になって決意を表してみます(笑)。私はNICe参加者の平均年齢よりは上のほうだと思います。職業はコミュニケーション関係や演劇などをしていて、その意味でもNICeの中では少数派です。あらゆる意味で少し遠慮がありました。でも、今日改めて、違っていていいのだと思いました。具体的な決意表明としては、私自身がなるべくいろんな職種、年齢の皆さんに出会い、“これぞ変わり者!”という方をNICeにお誘いしていきます。この後の懇親会でも、『われこそ、変な人だ!』という方は、ぜひ仲良くしましょう」


▲変わり者の仲間を増やすと決意した小林京子さん

地元、NPO法人大作(だいさく)代表・青山哲也さん

「有機栽培農業と障害者支援の飲食店、リサイクル店をやっています。最終的には、自分たちの手で生活していける、分け隔てなく誰もが生活できる、自然とともに生き、自給自足していくコミュニティを目指しています。そのために、日本人の魂・米づくりと神事を推進しています。そこで皆さんへひとつ提案。脱石油のひとつとして、麻のふんどしをしませんか? もうひとつは、シンプルに幸福な人生送りませんか? 共同生活しませんか?という運動です。国や行政を当てにしないムーブメントは既に起きています。永続可能で明るい社会を創るのが、次世代のためのテーマだと思います。また、7月23日に、仲間とともに大地の祭を開催します。これからのヒントがたくさんありますので、ぜひご参加ください。まずは、麻のふんどしを、はきましょう!」NPO法人大作


▲麻ふんどしと自然の村づくりを提案する青山哲也さん

岡田さんからぜひにと声がかかった戸草勢一さん

「鹿追町から夫婦で参加しました。150頭の乳牛で酪農をしています。人と人とのつながりを大事にして、自家製の牛乳を使った牧場カフェをつくるのが夫婦の夢です。夢の実現に向けて動くことが、自分の成長にもつながるし、周りにもいい影響を与えると思っています。夢に向かって頑張りますので、どうぞよろしくお願いします」

▲牧場カフェ実現に向け夫婦で頑張っている戸草勢一さん

ここで、参加者プレゼント「日本酒」の抽選会が行われた。抽選&プレゼンターに選ばれたのは、株式会社ノースプロダクション ・代表取締役の近江正隆さん。抽選の前に、ひとこと決意表明。

「浦幌町から参加しました。増田さんとは何度もお会いしていますが、改めてこうして講演を聞くのは久しぶりで、とても新鮮でした。決意表明としては、今後こそNICeに登録したいと思います」


▲復興応援の日本酒のプレゼンターを務めた近江正隆さん

岡田さんがプレゼントに用意した日本酒は、宮城県黒川郡大和町の「雪の松島」。地震で蔵元が傾いたそうだが、今は復興し、このお酒も5月に摂れたものだという。皆さんが注目する中で近江さんがくじを引き、見事当たったのは、音更町から参加した川井延浩さん。


▲海外進出を目指す造園業の川井延浩さんが日本酒を獲得!

「造園業をしています。最近、やりたいと思っているのは、地元で庭をつくっているので、海外でもその技術で活躍できればと考えています。機会があれば日本で磨いた技術を海外で生かして、庭をつくってみようと思います」

最後に、副実行委員長を務めた河村さんから締めのあいさつ。
デジタルグラフィックス株式会社・代表取締役 河村知明さん

「実行委員長の岡田さんとは商工会の青年部つながりです。47歳で未経験で起業に挑戦した岡田さんはハイリスクですよね。でも、人生を掛けてやっている、その意味でも既に成功者の仲間入りだと思います。僕も岡田さんが成功するように応援したいと思います。今日、まさに増田さんのメッセージを受け取って、自分の仕事を、社会を変えていく、そのためにもっと知恵を合わせていこうと思いました。ということで、これからのつながりを力にしていきましょう!その気持ちを込めて1本締めをしたいと思います。被災地の復興と皆さんの繁栄、そして人類の幸せを祈念して!」

▲副実行委員長兼撮影担当を務めた河村知明さん




▲懇親会の席では、岡田さんが朝3時に起きて採ってきた、
ときいろファームさんのアスパラも振る舞われた
▲懇親会もお開きとなり、また会いましょう!と記念撮影


■NICeチャリティセミナー&交流会 in 美味しい帯広
実行委員長 岡田昭彦氏から一言

「増田さんとは2度しかお会いしたことがないので、図々しいかなと思いながらも、実行委員長を務めさせていただきました。震災後、自分にできることは何だろうと試行錯誤して取り組んでいますが、自分ひとりでは非力なことも痛感しました。しかしこのセミナーの準備に取り組むことでは、たくさんの人に呼びかけ、なぜこのチャリティセミナーを開催するのかもじっくり話すことができました。その過程も含め、話を聞いてくれた人、実際に参加してくれた人への感謝の思いが、今まで以上に大きく膨らんでいる自分改めて発見する機会にもなりました。普段なかなか会えない人、恩返しをしたい人、そんなひとり一人の参加者の皆さんと、この会を通じて再び出会えたこと、その機会をくださったことに感謝しています」

撮影/河村知明氏
取材・文、撮影/岡部 恵

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