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第9回 NICe全国定例会 in 姫路レポート


第9回 NICe全国定例会 in 姫路レポート


 

2011年5月28日(土)、兵庫県姫路市の姫路市民会館で、女性起業家の会「ゆるり」との共催により「第9回 NICe全国定例会 in 姫路」が開催された。“全国”と名を打つに相応しく、参加者は兵庫県内を中心に、東京都、神奈川県、新潟県、愛知県、三重県、滋賀県、京都府、大阪府、和歌山県、岡山県、佐賀県などから総勢65名が結集した。また、定例会の前には、世界遺産であり国宝でもある姫路城の大天守修理見学施設「天空の白鷺」ツアーも企画され、45年ぶりに大修理が行われている迫力の現場を25名が目の当たりにした。



■姫路城大天守修理見学施設「天空の白鷺」ツアー



2009年の秋から5年間に及ぶ、大規模な保存修理工事が開始された姫路城大天守。その修理現場を公開し、伝統的な工法による修理の様子をリアルに見学できるのが「天空の白鷺」だ。大天守を覆う素屋根の内部には、8階建てに相当する見学者用の施設が設置され、その修復の様子を目の前で見ることができるというもの。

実はこの補修工事が開始される直前の2009年10月に、おりしも「NICe姫路交流会」が開催され、今回と同様に、会の前には姫路城観光オプショナルツアーが行われていた。その時、「姫路城はこれから修復に入りますが、その間、見学できるようエレベーターをつけて公開する予定なのです」と聞き、その奇抜な発想に驚嘆したのを鮮明に記憶している。その通り、姫路城は“平成の大修復”に着手し、2011年3月からは一般公開がされている。修復現場の公開という前代未聞の新名所に、1日平均で2000人、休日には3000人もの見学者が訪れ賑わっているのだとか。ちょうどこの日は、台風2号の接近によりあいにくの大雨だったが、かえって混雑も待ち時間もなく、ゆっくりと城内を満喫することができた。






  
▲「天空の白鷺」ツアーの前に、一行はまず、姫路城前にあるたまごかけご飯専門店「たまごや」さんに集合し、腹ごしらえ。NICe全国定例会 in 姫路実行委員会とお店の計らいで、土曜日のお昼時だというのに、なんと貸し切りに

 
▲玉かけめし(小鉢・ご飯 ・味噌汁 ・香の物付き) 480円。お米はヒノヒカリ。鶏糞を使った有機肥料で土壌づくりから取り組む逸品。主役の卵は、良質の魚粉を通常の餌の3、4倍加えて、コクと旨みが際立つ自家製。玉かけ醤油も、天然醸造丸大豆醤油に3種類の削り節と天然利尻昆布でとった出汁に、秘伝の隠し味をブレンドしたオリジナル



 
▲▼実行委員長の前田氏が、まとめて団体券を購入し、概要を説明。「皆さんそれぞれのペースでゆっくり楽しんでください」と約2時間の自由行動へ
 


  

 

 
 
  
▲迷路のような場内を進み本丸へ。その緻密な配置、設計、戦略、そして本丸のスケールの大きさに圧倒される

 

 
▲まずは資料館で、修復の歴史や瓦の特徴などを予習。1964年(昭和39年)に完了した解体復元工事の様子も紹介されている

  
▲エレベーター内部の本丸側は、ガラス張りになっており、何層にも積み上げられた石垣から、城の外壁を登るようにしてゆっくりと最上階へ。各層の漆喰陰や屋根の傷みも間近に見ればよくわかり、後世のためにも大規模な修復に踏み切ったのもうなずける。目の前を忍者が通るのでは……と妙な錯覚も

 
▲8階相当の大天守最上部は、まさに“期間限定の特等席”。この日は土曜日のせいか、修復作業の職人さんは少なめだったが、それでも現代と当時の職人の姿がだぶり感激する

  

 
▲紋瓦の家紋まで見え、目を凝らすと揚羽の中に五三の桐まで確認できた!

  
▲海抜100mの最上部からは、姫路市街のパノラマも一望できる。絶景!

  

  
▲階段で1フロア下りると、漆喰壁の修復に関してさらに詳しい展示がされていて、実際の壁との見比べもできる。内壁、外壁だけでなく、屋根まで漆喰塗りがなされている城は珍しいそうだ。姫路城で使用される漆喰の材料、製造工程、匠の技も紹介されており、日本伝統工法の素晴らしさを知るいい機会にもなる。漆喰壁の塗り直しと屋根瓦の葺き直しを中心に修復工事が行われているが、本丸以外のほとんどはこれまで通り公開されている

姫路城 大天守修理見学施設「天空の白鷺」Webサイト



■NICe全国定例会 in 姫路





  
▲大阪から参加した中島昭二氏
この日のために自作して持参した立派な縦看板が受付けに華を添えた
▲右は、受付けを担当した実行委員会の皆さん。感謝!



■オープニング



定刻になると場内が一瞬暗くなり、大音量の音楽とともに実行委員会オリジナル制作の映像が映し出された。これまでのNICeイベントの集合写真や仲間の笑顔に、歓声と笑いが起きる中、第9回NICe全国定例会 in 姫路がいよいよスタートした。

司会進行を務める香川浩子氏が、全国から集まった参加者の皆さんへ感謝を述べ、復興支援活動費用として、参加費からひとり500円、懇親会からひとり500円を、一般社団法人起業支援ネットワークNICe(ナイス)へ寄付すると報告した。

続いて、NICe全国定例会 in 姫路・実行委員長の前田昌宏氏から、開会のあいさつ。参加者の皆さん、実行委員会の仲間、共催の女性起業家の会「ゆるり」に感謝を伝えた後、こう述べた。
「NICe(ナイス)は、つながり力が合い言葉です。つながり力とは何かというのは、皆さんそれぞれあると思います。ビジネスも事業目的も皆さんそれぞれでしょうが、つながり力とはどういうものか。何かひとつ、今日ここから持ち帰って、答えまでは見つからなくても、なんだろう?という道筋を持ち帰っていただければ、私たち実行委員会は目的を達せられるかと思います」

  
▲司会進行役を務めた香川浩子氏 ▲NICe全国定例会 in 姫路・実行委員長の前田昌宏氏



■基調講演



一般社団法人起業支援ネットワークNICe  代表理事 増田紀彦氏

「つながり力で、デフレも震災もブッ飛ばせ!」



「増田屋っ!」との合いの手と拍手喝采で迎えられ登壇した増田氏は、1年7カ月ぶりに姫路を再訪し、前回に負けない高まりを感じていると述べ、十分な準備を尽くしてくれた前田実行委員長をはじめ、実行委員の皆さんに感謝を示した。そして、今日は、52年間の人生の中で自分なりに到達したことを話すと前置きし、語り始めた。


▲一般社団法人NICe 代表理事 増田紀彦氏

「今日お話しようと思っていることは、3月12日に埼玉で開催する第8回NICe全国定例会でお話しするつもりでした。ご存知のように、地震があり、中止にしました。でも開催番号は切り上げないでこの姫路を第9回としています。無念の思いで中止した第8回は、忘れたくても忘れられない、忘れてはいけない震災とともに、NICeのあるべき姿を考える日となりましたので、欠番にせずに残しています。

NICe(ナイス)は、インターネットを使ったSNSで全国の皆さんとやり取りをしています。震災で、連絡がつかないNICeユーザーもいました。また、ご家族の行方がわからない、工場や営業所がつぶれた、という方も出ました。加えて原子力発電所の事故で、何がどうなるのか。東京でも交通がマヒし、電気が止まっていく。経験したことがない、じわじわくる苦しみがあります。NICeは全国的なネットワークですから、悲鳴が各地から聞こえてきました。もうだめだ。こわい。死にたい。そういうメッセージも届きました。

NICeのSNSを見るのはつらかったです。が、私が代表たる時、代表としての力を試されていると思い、各地から届く悲痛な声に立ち向かっていきました。頑張れ!と。

実は自分自身も、東京で不安の中にいました。ですが、いろんな場面で叱咤激励をしました。しかし、想像を絶する災害に痛めつけられた人たちの思いは、非常に重たくて、励ましているうちに自分に限界が来てしまったのです。気が付いたら免疫障害を起こし、連日40度以上の高熱が続いて、『ヤバいな、死ぬのか』というところまでいきました。

人からものすごく励まされる反面、人の苦しい気持ちを受け止めることはこんなにも重たいものかと。力尽きた自分に対し、こんな奴が代表なのか! どうなのだ!という気持ちにもなりました。でも、その後、『これは長い闘いなのだから、今ここでエネルギーを使い切ってしまわず、休める時に休め』という天の思し召しなのだと、切り替えることにしたのです。


自分は思ったより弱い、と思い知らされたのですが、そんな時、NICeの仲間で、大阪の横見全宣さんからメールをもらいました。

『NICeはいい会だ。NICe以外のところは上からああしろこうしろとトップダウンの話ばっかりだけれど、NICeは、みんなが同志。同じ侍で、同じ志がある。こういうつながりを持って頑張れる会は、ほかにはない』と。そう書かれたメールをいただいたのです。

あ、そうだなと。トップが立派で強くて『みんなやれ、頑張れ!』で引っ張るのではなく、自立した皆さんが引っ張って頑張ってくださってくれる。病床に伏していた時も、皆さん各地でつながり力強化のために頑張ってくれていました。

NICeは多くの仲間によって支えられている会なのだと実感しました。そういう力をいただいて、もう一度パワーアップして、今、みなさんに日本人として、そして日本経済に関わるひとりとして、何が大事なのかを目一杯訴えるパワーがよみがえってきたのです。

今週の4日前には帯広で、そして今日はここ姫路で、お話をしますが、また今後も、各地で数人でも集まって、お呼びいただければどこへでも出向いて、お話しします。自宅の畳の上では死なない覚悟、つながり力の強化を訴えて力尽きる覚悟でいます。どこへでもおうかがいしますので、よろしくお願いします」




つながり力の強化を力尽きるまで訴え続けたい、と語った増田氏。52年の人生の中で到達し、畳の上では死なない覚悟で訴え続けたいこととは何だ? ほど良い緊張感に包まれた会場内に、「ではこれを見てください」とプロジェクターで映し出したのは、意外にも、子どものような屈託のないカメラ目線の笑顔。手に何かを持って、嬉しそうに微笑んでいる増田氏本人の画像だった。



「三つ児の魂、百までも」。あなたの魂は、何ですか?



撮影場所は、北海道の十勝。つい数年前に撮影した写真だという。たまたま通りかかったところで小川を見つけ、産卵のために遡上してきたサケの大群に出くわしたという。

「すげーと思って、採ったら採れちゃったんです。見たことある人、いますか?」

挙手したのは2名。
採った人はひとり、採らないのがもうひとり。

「どっちがいいか悪いではなく(ただし条例では禁止されてい)、見た時に、手を出す人、もっと良く見たいと観察する人、いろんな反応をします。人間は、いろんなタイプがいるんです。採った後、どうするかも異なります」

同じ光景に遭遇したとして、人間は個々で様々な反応をし、行動も千差万別だと述べた後、増田氏はほ乳類の中でも人間がいかに特異であるかを解説した。生まれてすぐに自力で乳を飲めないのは人間だけ。ほかのほ乳類動物の脳は完成された状態で生まれてくるのに対し、人間は脳が未完成の状態で生まれてくる。二足歩行できるまで、ましてひとりで生きていけるようになるまでも時間がかかる。完全に脳ができて、人間として確立されるのは3歳の頃だという。なぜ、そうなのか。

「人間だけが、地球のどこに生まれても、どの環境にも適応できるよう、学習してから脳を完成させるのです。暑い場所、酸素の薄い場所、どこに生まれても、外界の情報を十分に理解してから脳が完成されていく。だから、人間は世界中のどこでも暮らせるのです」

「他の動物は、最初から自分はどこで生まれるのか決まっています。世界を広げず狭い場所で生きていくのが前提で、そこに対応するように、脳が完成されて生まれてきます。それらの動物と違い、人間が発達してきたのは、環境を適用するまで脳を決定しないという特徴にあったのです。だから人間は、どこへ行っても適応できます。どこへでも行けるから、争いも起きたわけですけれどね」




人間の能力のひとつは、どんな環境に対して適応できること。さらにその環境の中で、一定の集団をつくり社会を運営していく上で、個々に役割分担が行われるのだという。寒い地域なら、氷を割るのが得意な人、魚を採るのが得意な人、船をこぐのが得意な人、それらを命令するのが得意な人、万が一に備えるのが得意な人というように。共同体全体で見れば、きわめてうまく人材配置がされているのだ。

地域の中で、人はそれぞれ得意なことで役割を分担し、その社会を発展させることに寄与しているのだという。増田氏は次に、講演冒頭の“遡上してきたサケを手に得意満面な笑顔”へと話題を戻した。



共同体で生かせる役割=幼少期に夢中だった

 “マイ動詞”とは?



なぜ、あんなに嬉しそうなのか。増田氏によれば、自身はもともと生き物を見れば本能的につかまえる子どもだったそうだ。それは大人になった今でも変わらない。つまり「三つ児の魂、百までも」で、年齢を重ねても変わらない得意なもの、好きなもの、能力だという。それは、生涯に渡って持ち続ける適性であり、共同体の中での役割分担なのだと語った。




「皆さんは、端的にご自身の適性を自覚していますか? 共同体の中で割り振られた“魂”を……。これが変わってしまうと、社会が混乱しますし、社会の中で自分の役割が果たせなくなります」

自分の魂とは何だろう? 適性は何だろう? しばし考える間を与えた後に増田氏は、「それは動詞に言い換えられます。その動詞は、子どもの頃、何に熱中したか、でわかります」と語った。人の適性が確定する(役割分担が決まる)時期は幼少期。まさに「三つ児の魂、百までも」だ。

増田氏の場合は、子どもの頃から昆虫や小動物を見つける、つかまえる、見せびらかすのが得意だったという。大人になった今でも、それは変わっていない。偶然通りかかった小川でサケを見つければ、無意識に手が伸び、気が付けばつかまえて、満面の笑みを見せたように。


「子どもの頃、夢中だったこと、好きだったことは何ですか?」と、増田氏は参加者に問いかけた。

滋賀から参加した井居氏は、「プラモデルをつくること」
地元姫路の長沼氏は、「動き回る、友達の家を訪ね回ること」と回答した。


ここで増田氏は、大事なのは、「つくる」、「訪ね歩く」といった動詞だと述べ、「何々を」の目的部分は年齢や環境とともに変化するが、動詞は変化しないと強調した。井居氏は現在、メーカーの経営者であり技術研究者だ。もちろん「つくる」が得意。長沼氏は、インターネット関連会社の経営者で、迅速機敏な対応をモットーに顧客を「訪ね歩く」は日常茶飯事。まさに!



「社会の中における最大の役割を、今もおふたりは生かしていますね。起業でも、それを生かさないのは大間違いです。不得意な能力で一生懸命やっても、競合にはかないません。一番伸びるのは、3歳で持った魂を使うこと、なのです。また、起業すれば、自分がどこで勝負したらいいのか当然わかってきます。持って生まれた社会の中の一部のパーツとして、その能力を全うしないとなりません。

子どもの頃のマイ動詞、自分の動詞を思い出して、見つけ出して、それを柱にして、生かしてやっていけば、自身が揺らぐことがないでしょう。その能力は共同体の中で生かせるものだし、ほかと組み合わせていけば、共同体は発展していけるのです。ぜひ、あなたの夢中だったことを思い出してください!」



マイ動詞がわからず“自分探し”をする日本人が増えた。

 それはなぜ?



子どもの頃に夢中だったマイ動詞=適性や能力。それは本来、共同体の中で自然と自覚できるはずであり、気付かせてくれるのは、“周囲”なのだと増田氏は続けた。



「本人は夢中ですが、他人から見たらすぐにわかりますよね。あいつは鬼ごっこではトロいけれど、何時間でも本を読んでいられるとか。自分探しなどをしなくても、すでに共同体の中で探されているのです。例えば、野球で自分は4番のピッチャーをやりたくても、キャッチャーをやれと言われる。おままごとでも、仕切る女の子がいました。短い時間内に役割を決めてセリフまで設定するすごい子いましたよね? そういう女子に憧れるじゃないですか。その子の旦那さん役をやりたいのに、いつも私は赤ちゃん役でした(笑)。

もちろん努力はするけれど、憧れてもできないことがあります。『あいつはこれが得意だな。自分はこれではあいつには敵わない』と、自分の適性や役割、他の子との違いが、共同体の中で自然とわかってくるのです。何が得意で、何なら役に立つか、私が子どもの頃にはわかったものです。でも最近は、“自分探し”をする人が増えています。どうして今さら、大人になってから探さなくてはいけなくなったのでしょうか。そこには理由があるのです」



戦後復興を遂げた勝利の方程式“加工貿易”、

  その負の代償とは?



それは、戦後復興の中で、地域を効率的に分けるゾーニングが行われてきたからだと増田氏は述べた。かつての日本の地域は、異なる家庭環境や異なる職業で構成され、ひとつの地域に様々な業種が混在していた。だが、戦後、その風景が変わってしまった。工場地帯、商店街、住宅街と効率的にゾーニングされ、同質の者しか住まない地域が全国各地に広がった。学校の中は、住宅街ならほとんどが会社員の子どもたち。同じような家庭環境で、似たようなDNAを継いだ子どもが集まってしまう。

また都市部では私立学校への進学者数が多い、同じような偏差値の、同じような職業の親を持つ、同じような子が受験するため、その学校はますます同質化してしまう。同じ特技の持ち主同士だから、ライバル視こそすれ、互いに異なる適性がわからず、エールの交換も起きない。そういう子どもが若者になり、就活の時期になると、「自分は何が得意なのかわからない」と、自分探しをするのだという。

ではなぜ、日本の風景はゾーニングされ、同質化したのか。
それは日本が戦後、驚異的な復興を遂げたことと関係があるという。敗戦で首都は壊滅したというのに、戦後10年後には経済成長が始まり、20年後には高度成長と呼ばれ、25年から30年後には経済大国とまでいわれるようになった。人類史でも極めて希な成長速度だ。もちろん、目標に向けて頑張る日本人の特質もあるが、特殊な状況だったと増田氏はいう。それは為替レートだ。今や1ドル80円の時代だが、当時の為替レートは1ドル=360円。現在80億円で取り引きされるものが、当時は360億円なのだから、輸出立国となるべく国が全力を注いだのもムリはない。1ドル=360円は当時の日本にとって、好条件以外の何ものでもないのだから。こうして、日本の驚異的戦後復興の要となる加工貿易へ、日本は邁進する。

当然のことながら、生産拠点となる大規模な工場や倉庫は、輸入輸出に最適な海沿いに集中。それらを結ぶように交通網も全国で整備され、資金だけではく全国各地から労働力が注ぎ込まれた。まさに、国中が加工貿易のために効率的につくり変えられたのだ。姫路で言えば播磨臨海工業地帯、また関東の京浜工業地帯、東海の中京工業地帯、関西の阪神工業地帯というように、北関東から北九州まで、日本の工業地帯を集中させた太平洋ベルト構想は、日本経済の主軸となった。そして高度成長へと発展した。

その一方で、地方には若い働き手がいなくなり、一次産業と建設業だけが主な産業となり残った。土地部と地方では収入格差も生じる。そのため、加工貿易で潤った企業の収益は納税を経て、交付金というかたちで地方へ戻され、道路などの公共工事も盛んに行われた。このようなサイクルで日本は戦後の復興を遂げ、経済大国と呼ばれるまでになった。しかし……。
    



「アメリカが『ものを買わない』となったら、崩壊する経済サイクルです。戦後日本は国を挙げて、最近の言葉でいう“選択と集中”により、効率重視でゾーニングをしてきました。確かに当時はGNPが上がり、生活水準が良くなったのも事実です。が、共同体は崩壊してしまいました。地方には人がいなくなり、都市は似たような人が集まり、社会の中で自分の役割がわからない、ふらふらする人が増え、国力の低下が起きてしまいました。数字では現れないですが、そういう日本になってしまったのです」


誰ひとり無関係ではいられない、世界経済の凄まじさとは?



「そしてついに、オバマ大統領は就任演説で、「もはやアメリカは、大量消費の国ではない」と宣言しました。発端は、2007年後半に明るみになった、いわゆるサブプライムローン問題。そこから始まり、翌年のリーマン・ブラザーズ倒産によるリーマン・ショックへと派生し、世界金融危機に陥りました。もはや日本のお得意さまであったアメリカが、これからは製造業と農業に転換する、輸出国になるのだと方針を示したのです。日本はピンチに見舞われました」


この日の参加者の中にも、リーマン・ショック以降の不況により、打撃を受けた経営者が多数いる。ここまでの増田氏の話が、決して遠い過去や遠い世界のことではなく、自身も深く関係していると実感したはずだ。戦後日本の高度成長も、加工貿易のためのゾーニングされた国土も、“自分探し”の若者も、アメリカのサブプライムローン問題もリーマン・ショックもしかり。そして、ここから増田氏が話題にするTPPも、だ。



「日本政府と企業は、もう一度、市場を獲得しなければ!と思っています。そこで浮上するのがTPPです。原子力事故と違わないほど、日本を変える問題だと私は思っています。TPPをご存知ですか?」


TPPとは、Trans-Pacific Partnership、環太平洋戦略的経済連携協定、あるいは環太平洋パートナーシップ協定とも呼ばれる、太平洋を囲む各国間の経済連携協定のことだ。もともとは、シンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドの4カ国で発効したが、ここにオーストラリア、ペルー、アメリカ、ベトナム、マレーシアが参加もしくは参加に向け交渉を進めている。日本は参加するか否かで賛否が分かれており、日本政府の結論はまだ出ていない。

TPPの詳細は知らなくても、“日本を変える問題だ”と言った増田氏の言葉の重さに、緊張感を抱いた参加者は少なくはなかったはずだ。一体どんな問題なのか。その前に、そもそも、国同士の貿易にはなぜ課税が必要なのか。増田氏はわかりやすく解説した。



「日本は諸外国や地域と、FTA(自由貿易協定)を結んでいます。2国間あるいは地域内で、お互いの国のものを売りやすくしようという相互協定です。では、そもそもなぜ関税が必要かというと、たとえば、私の目の前にあるペットボトルのお茶。これが日本で130円で売られていますが、もし海外の安いものを輸入して販売すると、販売価格は数十円かもしれませんよね。でもそれでは、国内企業はたまりません。国内産業を守るために輸入品に税金をかけているのです。コンニャクの関税は1700%です。ほかにも海外から輸入する食品には、200%。300%と課しています。そうでもしないと、海外から輸入される安い品に、国内産は立ち行かなくなりますから。ですが、当然、取り引き相手国から日本は非難されています。高いと。

このFTAを、もっと広く、太平洋を囲む9カ国で一緒にやろうというのが、TPPです。今の政権はTPP推進ということですが、参加したほうが得か損か、政府も意見が分かれています。農水省はTPPに参加するとGDPが下がるという。反対に経産省はTPPに参加しないとGDPが下がるという。内閣府はちょっと上がるとあいまいな表現です。国のトップの中でも、まだ明確ではなく、さらに各産業ごと、企業ごとにまた意見が異なっています。まだまだ情報が少なく、細部まで公開がつくされていませんので、私も賛否はまだ言えません。貿易協定となると、どうしても関税のほうに注目が集まりがちですが、それよりも注目してほしいことは、TPPに含まれる非関税障壁の撤廃のほうです」



TPPの是非で注目すべきは、

  国家理念をも崩す非関税障壁の撤廃



非関税障壁とは、“関税ではない壁”を意味する。つまり関税以外の障壁だ。具体的にはどういうものか、増田氏が例を挙げると、まさか!の列挙に会場内がざわついた。



「日本は、食の安全をとても重視している国で、安全基準が世界でも非常に高いです。農産物の暫定農薬基準や添加物にはとても厳しいです。食だけではなく、新薬も、工業製品も。ですが、TPP加盟国の中には基準がゆるい国も含まれます。TPP加盟国の中で、一番ゆるい国の基準に合わせましょうというのが非関税障壁の撤廃なのです。ほかにも、すべて売り買いできるものを国間で取り引きしようということですから、労働力も同様です。たとえば、労働環境が日本語だけ、という常識も通用しなくなります。姫路市役所の採用試験問題は、もちろん日本語ですよね? でも、TPP参加国の国の人が、採用試験を受けたいのに日本語だけの試験しかなく、受けられない。それはTPP違反になります。日本語だけ、も障壁ですから、TPP違反になり、基準の緩和や撤廃を求められる可能性があります。加盟国の全言語で試験問題を作成しなければならなくなります。まさに超国際化です。


非関税障壁の撤廃とは、加盟国間の取り引きの邪魔になる、つまり障壁となる、すべての壁を撤廃するということなのです。各国の常識や価値観さえも超えてしまいます。それほど、グローバル経済は、国境を越えるどころか、国家理念を突き崩そうとするほど、どん欲なのです。それが世界中で起きようとしています。国がもう自国を守れない、経済を制御できないところまで到達しています。『ごめんなさい、経済の力には勝てません』となるのです。私が言いたいのは、TPP賛否ではなく、かくも経済の執念はすさまじいものだということです」



史上最高の好景気すら国民に実感がない。

  富が分配されない経済構造



このTPPに日本が参加することを望む企業も多く、日本経団連(社団法人 日本経済団体連合会)も推進しているという。それには理由があるという。日本の基幹産業は、電子機械分野関係と自動車だ。その2大産業が、世界の中でアドバンテージを握れていないのがオセアニアと言われている。まさに、環太平洋戦略的経済連携協定=TPPでオセアニア市場を取れれば、日本はチャンス!と思っているのだ。



「では、仮に日本がTPPに参加してGDPが向上したとしましょう。それで、皆さんは本当に幸せになるんでしょうか?」

GDPが向上して、日本企業が得た利益が従業員へ、日本経済へ、国民へ、還元されればいいのでは? だが、その見込みがないことを、増田氏の次の話で思い知らされる。


「知っていましたか? 日本の戦後最大の好景気は2006年から2008年なのです。あのバブル景気を超えて、歴史上最高の景気を上げていたのです」



誰がそんな好景気を実感しただろうか。増田氏はその実態を解説した。
日本の基幹産業である自動車は、その半分が今や海外生産だ。つまり、海外で生産し、海外で販売し、利益を上げ、帳簿上は連結決算により、日本は戦後最大の好景気となっていたのだ。そんなに良いのなら、企業が得た利益は日本の従業員へ、下請けへ、日本経済へ、国民へ還元され、消費意欲も向上し、経済が活性化するはずである。しかし、そんな実感はない。なぜ?



「好景気なら、皆さんもお買い物しますよね。『自動車買っちゃおうかな〜。テレビ新しくしちゃおうかな〜』って。ですが、そんな気になりませんでしたよね。日本国内は好景気ではなかったからです。同じく今後、たとえGDPが上がっても、国民は潤わない。給料も増えない。なぜかというと、原料代です。原料価格が高いのです。

なぜ高いかというと、企業は利益を資産運用しています。石油や原材料が投機の対象になっているので、どんどん上がります。悪循環です。しかも、消費者は生活が厳しいので、安いものしか購入できません。売れなければ、企業の利益も上がりませんから、雇用を減らし、ますます資産投資へ向かいます。そして原料が上がる。この繰り返しです。消費者は給料も上がらず、雇用を縮小され、ますます消費意欲をなくします。富が分配されない経済の仕組みができているのです。それが、“川上インフレ・川下デフレ”(原料は高く、販売価格は低い)です」



ここで増田氏は、「少し難しい言葉ですが、せっかくですから覚えてください」と述べ、
“合成の誤謬”(ごうせいのごびゅう)を紹介した。ひとりひとりは正しいことが、全体として不利益をもたらすという意味だ。たとえば、企業経営者は利益を出すためにコストを抑える。国民も収入が増えないので消費を控える。個々がやることは正しく、間違っていないが、それらが合成されると、全体としてみた場合に間違った状況に陥っている。資産投資、賃下げ、雇用カット、消費低下、価格デフレ、そういう悪循環が起きているのだという。

「みんな必死でやっているんですよね。でも、この悪循環は数年前から起きていて、リーマンショックで決定的になってきました。経営が苦しくて雇用を縮小する、生活が苦しくて消費を抑える。その一方で、経済のグローバル化も、川上インフレ・川下デフレによる長期不況も、ずっと前から起きていました。何かがおかしい、変だなと思っていました。あまりにも人間関係が希薄ではないか、勝ち組負け組とかワーキングプアとか、おかしくないか? このままじゃ日本はダメじゃないのか、しかたがないのか。そんな悶々としたところに、大地震が起きました」



増田氏は、震災前後でどのような意識変化があったのか、またその背景について、自作したチャートを示しながら説明した。


「それを機に、日本人の意識が変わったこともあるのですが、前々から、目を背けてきたところに地震が起きたと感じています。天災と人災に見舞われ、その後の政府対応の不可解さも、今大事なことはそんなことなのか?と愕然とします。やっぱりこの国はヤバかったのだとわかってきました。でも、現場では、日本人は素晴らしいということも、涙なしには語れないようなことも、いっぱい見えています。NICeの仲間にもたくさんいます。大阪から石巻へ何度も出向く永山仁さんのように、民間単位で、個人単位で、感動的なこともたくさん起きています。

一度しかない人生の中で、いつくるかわかならい将来のためではなく、今を一生懸命に生きようという人がたくさん生まれてきた。この日本を変えなくてはと、はっきりと意識できた人も多かったと思います。





人間本来の姿でいられ、役割を発揮できる、

  共同性に満ちた21世紀型の経済を!



では、これから私たちは、どうあるべきか。限りある資源や伸びない経済を奪い合って、実体のない資産投資につぎこんでいくのか。そんなのもう嫌だ、限界だと震災をきっかけに目覚めた人は多いと増田氏は言う。人を人とは思わない経済、生き延びるための負の連鎖を断ち切るにはどうすればいいのか。もう一度、人間は本来どういうものかを考え、原点に立ち返り、それぞれが役割を分担して、成長・発展可能な共同体を形成し、協力し合って、幸せに生きていける経済をつくりだそうと増田氏は熱く語った。



「人を人とも思わない社会、人間関係をつくらない方向で国も大企業も走ってきました。公共事業からして、そうです。入札表示時点ですでに赤字です。それでも、赤字覚悟で入札する。下請けや孫請けも泣く泣く受ける。断ったら二度と仕事がもらえない恐怖心からです。でも、知り合いだったら、できませんよね。安く叩くなんてこと、できません。ただ自分も苦しいから、『ごめん、ちょっとオマケさせてね』はあるでしょう。それでも、相手を泣かすようなことはしません。相手が仲間なら、少ない利益を分け合おうとしますよね。仲間意識があれば、そうするのが自然だし、できますよね。

もう一度、そういう人間らしい関係をつくって、共同体をつくっていく。それにより、まだまだ自分の得意なことがわからない人も、改めて自分の特技、役割を知ることができます。人間は本来、それぞれに適性があり、その能力・得意技を讃え合い、伸ばし合って、協力しあって、社会を成長・発展させる力があるのです。もう一度、そういう環境をつくりましょう。

時代は共鳴性もありますから、震災を機に、希薄な人間関係ではなく、もう一度、仲良くしようというネットワークがあちこちで生まれています。これは自分にはできないけれど、これなら自分はできると、互いの得意と得意を見つけ合って、各所で復興支援をしていますよね? 何が得意で、何なら役立てるか、頑張れるのか。発見し合える関係も同時につくっていけるのです。それがまた、経済を伸ばす基になっていくと思っています。ぜひ、異なる業種、異なる地域、異なる世代のネットワークをつくらないといけません」




つながり力で、異業種・異地域・異世代を超えた共同体を!



異なる業種、異なる地域、異なる世代の全国的なネットワーク、それがNICeだ。増田氏は、基調講演の冒頭で「NICeの合い言葉である“つながり力”を、さらに強化すべく、力の限り尽くす」と宣言した。そして講演で、人間本来の魂とは何か、共同体の中で果たすべき個々の役割とは、経済のすさまじさ、そして仲間たちへの思いを説いた。エピローグでもう一度、自らに誓うように、一度ゆっくりと会場内を見回してから、参加者ひとり一人に訴えかけるように力説した。



「もちろん言葉で言う程、簡単なことではありません。同じ地域で、同じ職業で、同じ環境なら、話題も悩みも共通しています。異なる者同士だと、わからなくて大変です。手を差し伸べたくても、どうしていいのかわからない。普通なら面倒くさくてやめてしまいます。だからこそ、そこを乗り越えたら、互いに大きな力になります。鹿児島の新燃岳が噴火して、怖いと言う仲間をどうしてあげていいのかわからない。秋田や新潟が豪雪で、知り合いが苦しい毎日を過ごしているのに手伝えない。知り合いじゃなければ、そんなに自分が心を痛めることもありません。震災もそうです。知っているからこそ、人間関係があるからこそ、苦悩することもたくさんあります。

でも、苦悩しないなんて、人間関係ではないですよね。その時に、ヒューマンマッチングが生まれるのだと思うのです。わからなくて大変ですが、その壁を乗り越えた時に、自分の可能性も広がります。簡単な人間関係よりも、大変でも、心がかよう人間関係のほうが、ビジネスにとっても大きな威力を持つことをきっと実感できると思います」


「会ってみたい。出会えて良かった。一緒に何かしたい、という関係の中からビジネスが始められたら素晴らしいじゃないですか! お互い様で、少しずつ利益を分配する。そういう裏切らない関係、いい関係を築き、業種を、地域を、世代を超えた全国的なネットワーク共同体をつくっていきたい。そういう活動こそ、“つながり力の強化”と呼びたいのです。

NICeは、なくてはいけないものではないですが、“つながり力の強化”で、この国に生まれて良かった、まだまだ生きたいとワクワクするような日本経済と社会をつくっていきたいと思います。ぜひ一緒に頑張っていきましょう。よろしくお願いします!」




■PRタイム



滋賀県から参加した市川幸弘氏
「NICe関西の勉強会『みんなで関西を元気にするコミュニティ』の震災チャリティで、何か役立ちたいと持参した『ポケットDr.図鑑』が好評でしたので、今日も持ってきました。定価4500円ですが、今日は2000円で販売し、半分の1000円をチャリティ募金にします。ご協力をよろしくお願いします」

愛知県から参加した菅沼之雄氏
「第11回NICe全国定例会を9月に開催します。東海エリアの名所を回り、学びをいれた企画を考えています。日程は未定ですが(9月23日開催に決定)、決まり次第NICeで広報します。ぜひ東海も盛り上げますので、お越しください」

神奈川県から参加した小林京子氏
「東海の前に、第10回NICe全国定例会を東京で、7月9日に開催します(詳細はこちら)。NICe棚田クラブでおなじみの新潟県十日町市から米生産の株式会社白羽毛(しらはけ)ドリームファームの方々も参加します。ニッポンの元気について講演を聞き、そして熱く語り合い、学び合い、つながっていきましょう!ぜひご参加ください」

 
▲ポケット図鑑を持参しチャリティに協力した市川幸弘氏(左写真)
▲次々回、9月開催のNICe全国定例会@名古屋の実行委員長・菅沼之雄氏(右写真)



■「つながり力で日本を元気に!」

    ワールドカフェ頭脳交換会



休憩を挟んで始まった頭脳交換会は、ワールドカフェ方式。ワールドカフェとは、カフェのようなオープンな空間で、テーマに沿って人々が創造性に富んだ会話を重ね、互いの価値観や新しい知識の生成を行うファシリテーションプロセスのことだ。「つながり力で日本を元気に!」をテーマに、熱い3ラウンドが行われた。

<ルール>
・各自、好きな色のペンを選んでください。
・お菓子も自由に食べてください。
・1ラウンドを12分で話し合います。
・6人全員が発言できるように、発言は簡潔に短めに。
 話す時には砂時計(30秒)を手に持って、ほかの皆さんは聞くことに集中してください。
・思いついたことは、自由に模造紙に書き込んでください。
・ラウンドごとに、シャッフルします。
・赤ペンの人がテーブルマスターとなり、その人はテーブルにとどまってください。ほかの人は、ペンを卓上に置き、同じ色のペンがある他のテーブルへと移動してください。

まっしろな模造紙が広げられたテーブルに6名ずつ座り、卓上にはカラフルなペンと、お菓子が置かれている。まずは司会の香川氏からルール説明があった後にスタート!




●第一ラウンド「つながり力って何?」 12分

発言をとまどったのは最初の一瞬。皆さん次々と話を始めた。30秒の砂時計では短すぎるとばかり、何度もひっくり返して話す人も続出。模造紙には、言葉だけでなくイラストが書き込まれ、あちこちから笑い声も聞こえ、場内は一気に盛り上がっていった。

筆者のテーブルでの主な意見/
・思いやり、知る、認める、違うから湧き出るエネルギー、好奇心、
・相手に興味を持つことから始まる、近所付き合いも。
・おしょうゆを共有できるもの。ニュースソース。
・ものだったり、世界だったりが広がる力。
・隣の人を知らなかったり。PTAも順番だからやる、じゃない。お互い様と思える力。
・近いと照れるけれど、遠くだと手を伸ばせる、つながれる。
・あいさつから始まるもの。
・愛情。育んでいくもの。
・つながり力の始めの一歩は何か。今さら初めましてが言えなかったり。
・自ら距離を縮めること、努力する。そうしないと始まらない。
・会いにきたいと思える。自分も知ってもらい、相手のことも知る。
・本音を聞くのはリアル。つながり力が増すのはリアルだと思う。
・一度では築けない。何度も会うことで深まる。
・他人とつながることで自分の内面や気付いていないことも発見できる。
・自分の世界を広げることができる。そのパワーを持っている。


●第二ラウンド「つながり力のいいところ、好きなところって何?」12分

筆者のテーブルでの主な意見/
・つながることで愛を感じたり、助けてもらったり、頑張れる。
・会って終わりではなく、NICeだとSNSで継続できる。
・信頼感が生まれて、小さなこと、自分ではできないことも補完し合える。
・子どもたちにサッカー教えていて、お父さんと実は試合したことあったとか。お店へ行ったりしたことあったり。つながることで共通の話題が広がる。知り合いが広がり、つっこんだ話もできる。
・個々は人と人でも、普段は自分の仕事でしか知り合えない人とNICeというツールを通じてつながれる。人と人がつながることで、その向こう側へつながっていく、可能性が広がること。
・繰り返しで元気をもらえる。つながりで頑張れる人を知ると、その後ろの人、輪が広がっていくのが魅力と思う。
・仲介がいることで、ひとりでは苦手な人、つながれなかったはずの人とも仲良くなれる。ちょっとした力を借りて世界が広がるところ。
・NICeも知らず初めて参加した。面白そうと思って参加したが、自分がつながることで自分の友達とも広がって、日本が元気になればいいなというわくわく感を感じられる。
・今日のように、全国から来るなんて、スゴいと思う。
・会いたいと思って会いにいく、犬猫の里親・里子もそうだけれど、そういう行動をしようと思える。


●第三ラウンド「つながり力が最高に発揮されたら何が起きる?」12分

筆者のテーブルでの主な意見/
・どうなってほしいかの延長にあると思う。日本が変わる、日本人の良さが発揮される。
・自己主張だけではなく、相手を察することになり、日本全体がは変わると思う。
・大人が示すことで若い世代からも見えやすく、わかりやすく、未来を描けるようになるのでは。
・住みやすくなる。自分も相手も尊重していつもベストに持っていくのが日常になればいいなと。それが理想なら継続できる。無理してつながれなくてもいいと思う。来るもの拒まず、去る者追わず。また寄ってきてもいいのでは。
・もともとつながり力はあって、相手を思いやる気持ちもあるので、最高に発揮されたら何かあったらもっと助け合える。
・関係が希薄だ、勝ち組をおだてるマスコミはどうかと思う。助け合いは自然と発生したもので当たり前のこと。無意識のことで、もともとあるもの。
・希薄な関係が今や当たり前のように感じてしまっている、やはり意識して続けないといけないと思う。

    

   

    

   
▲真っ白だった模造紙が、最初は控えめに、そのうち溢れんばかりの思いがつづられ、次々と文字とイラストが描かれ、第三ラウンドが終わった頃にはこんなに!



あっという間の12分×3ラウンド! まだまだ話したい、聞きたいという盛り上がりの中で時間となり終了となった。総評で増田氏は「知恵は泉のように湧き出るのだと実感しました。大きなテーマでもみんなで話し合うと、こうも具体的になり、かつ広がるのかと思いました」と満足そうに語った。

実行委員の長沼実侑紀氏からあいさつと、懇親会にご協力いただいた各企業紹介も。
「皆さん、楽しかったですか?(イェーイ! おおーっ! よっ、長沼っ!の歓声が沸き起こる)。
今日ここでの出会いが今後、皆さんのプラスになると思います。この後の懇親会では多くの皆さんのご協力を得ていますので、皆さんどうぞ楽しんでください」と、懇親会のために用意した姫路名物と、それぞれご協力いただいた各メーカーさん、店舗を紹介した。


▲実行委員・長沼実侑紀氏

(敬称略 あいうえお順)
和庵(なごみあん)いっしん
たまごや 
有限会社 播州ハム工業所
やっさ弁当
株式会社 杵屋
株式会社 福寿堂本店 


■懇親会




▲懇親会の乾杯のあいさつは、新潟県小千谷市から参加した高橋慶蔵氏

申込み人数が予想以上に多く、急遽、会場を変更して定例会会場での開催となった懇親会。姫路名物のおいしい料理やお菓子を味わいながら、各テーブルで会話の華が咲いたのは言うまでもない。また、株式会社杵屋さんからは、洋菓子部工場長の井上智博氏がお菓子を運び入れ、白鷺城ロールケーキのカッティングも会場内で自ら行いサーブまで。

 
 
▲懇親会では、選りすぐりの姫路名物が用意され、参加者のお腹も心も満たしてくれた

  

 

  

  

  
▲協賛いただいた皆さんへの感謝のフラッグ。細やかな心遣いにも感動

 
▲株式会社杵屋・洋菓子部 井上智博氏


▲懇親会の合間に、「なぜこう書いたか」のお呼出しスピーチも



ほかにも会場内には震災復興のための募金箱が回され、ポケット図鑑販売の市川氏をはじめ、タロット占いの森川めぐみ氏も実演チャリティを行い、募金活動に貢献した。

  
▲募金箱にイラストを描いてくれた、大阪府から参加の北出佳和氏(左)。森川めぐみ氏(右)

そしてお開きは、姫路実行委員会の内田雅康氏の一本締めで!


▲実行委員・内田雅康氏



▲NICe全国定例会 in 姫路・実行委員の皆さん、本当にありがとうございました!

 
▲撮影を担当した実行委員の福永雅文氏

▲同じく実行委員の堀 希恵氏





●NICe全国定例会 in 姫路・実行委員長の前田昌宏氏から一言

「まずは感謝の言葉から。実行委員を代表して御礼申し上げます。ありがとうございました。65名もの皆さまと定例会をご一緒できるとは、委員の誰もが想像していなかったこと。舞台裏のバタバタもご愛敬とばかり、おおむねご満足いただけたものと自負しております。さて皆さま。この度の定例会からお持ち帰りになったお土産『気づきを何かひとつ』。すでにご賞味なさいましたか?できれば『つながり力』と合わせて調理の上、またとないご馳走に仕上げていただきたく、次回定例会では食後の感想など楽しみにしております。ではではその日まで。皆さま、お元気でお過ごしください!」

撮影/福永雅文氏堀 希恵氏
取材・文、撮影/岡部 恵










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