vol.250 NICeメールマガジン特別号【増田紀彦代表から3.11メッセージ】

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Vol.250 2026.3.11
つながり力で起業・新規事業!メールマガジン
起業支援ネットワークNICe
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このメルマガは、NICeの活動に参加された方々、
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今号のメールマガジンVol.250は
特別号として、3.11メッセージをお届けします。
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NICe代表 増田紀彦から3.11メッセージ
「正確な情報で行動を!」 ~15年前の壁新聞より~
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20代の前半、私は地方新聞社に勤めたものの馴染めず、
3年足らずで退職し、しばらく、引きこもり状態に陥っていました。
ようやく復帰を期す気持ちが芽生えた私は、
リハビリのつもりで夜間の専門学校に通うことを選択。
東京の高田馬場にあったその学校には、
世代も出身地も経歴もバラバラの男女が集まっていて、
その中の一人に宮城県出身の平井美智子がいました。
学校の掲示板には常に求人票が掲出されていて、
渋谷にある雑誌編集会社の募集に興味を持った私は、
心身が回復した手応えもあり、
勇気を出してその会社を訪ねてみました。
そこで驚くべきシーンに遭遇。
夜間学校の同級生の平井が、まるで昔からその会社にいたかのように、
テキパキと仕事をしていたのです。
彼女は私より先にその会社を受験し、合格していたのでした。
遅れて私も合格し、平井とは同級生から同僚の間柄に変わりました。
しかし、1年もしないうちに彼女は生まれ故郷へ帰って行きました。
以降、欠かさず年賀状のやりとりは続けてきたものの、
彼女が宮城で何をしているのかまでは知りませんでした。
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そんな彼女の近況を知ることになったのは、
東日本大震災の翌年の3月6日に放映された、
『3.11 その日、石巻で何が起きたのか ~6枚の壁新聞』という、
ドキュメンタリードラマを通じてでした。
主人公は戸田恵子さん。
そして戸田さんが演じたのが、何と、我が旧友の平井美智子でした。
ドラマの最後には平井本人も登場。
「わっ、美っちゃんだ! あっ、年くってる。でも美っちゃんだ」。
ドラマは、東日本大震災の直後、
停電でパソコンも輪転機も使えなくなった石巻日日新聞が、
「地域への情報提供こそ使命」という一心で、
手書きの壁新聞を6日間に渡って発行した奮闘を描いていました。
平井はその当時、同社で編集長を務めていたのです。
平井たちは、新聞用のロール紙にマジックで記事を書き、
それを6枚の紙に書き写して、
石巻市内5か所の避難所と1か所のコンビニに掲示を続けました。
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15年前のあの日々を思い出してみます。
「千葉県のコンビナートが爆発して有害物質が空から降ってくる」。
そんなチェーンメールが私のガラケーに何通も届きました。
猛獣が逃げ出したとか、外国人が犯罪を起こしているとかいう、
流言や飛語も飛び交っていた記憶があります。
何より福島第一原発事故の実態や真相がわからず、
ありとあらゆる放射能情報が乱れ飛んでいました。
阪神・淡路大震災の直後とは比較にならない、
大量のデマや憶測が駆けめぐった背景には、
Twitter(現X)やFacebookを通じて、
誰もが好き勝手に発信できるようになった状況があるでしょう。
それまでSNSの「功」にばかり目を向けてきた私は、
SNSが犯す「罪」の大きさに、心底打ちのめされたことを覚えています。
そういう時代にありながら、
いや、そういう時代だからこそ、
ヘドロとガレキの中を奔走し、ご遺体の脇をすり抜けながら、
正確な情報の提供に身命を賭した平井たちの取り組みは、
石巻という限定されたエリアでの出来事とはいえ、
決して過少に扱うべき事柄ではないはずです。
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正しい情報の収集と伝達。
今、このテーマは、あの時以上に重要度が高まっています。
自然災害も収まる気配がありませんし、
戦争やパンデミックや気候変動による影響も深刻化の一途。
にもかかわらず、誰でも簡単にフェイク動画が作れる時代です。
災害も戦争もパンデミックも気候変動も恐ろしい事態ですが、
それにも増して、付随して拡大する憶測や風評、
さらには悪意のあるデマやニセ情報もまた、
人々を苦境へと陥れる人災と言わざるを得ません。
だからこそ、「本当のこと」を伝える真のプロフェッショナルが、
社会にとって不可欠な存在だと痛感します。
誰もが情報や智恵や思いを自由に発することのできる社会は、
間違いなく素晴らしいものです。
ただ、発した情報が本当に正しいものなのかどうか、
それを裏付け、責任を取ることは、誰にでもできることではありません。
それゆえ私たちは、
ジャーナリストを育て、守り、励まし、時には叱咤して、
社会全体の資産と位置づけることが肝要だと思うのです。
そう言えば、平井と私が出会った夜間学校は、
日本ジャーナリスト専門学校でした。
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東日本大震災から2年を経た2013年12月8日、
私は宮城県石巻市にお邪魔し、
「石巻市女性起業セミナー」の講師を務めました。
当時の私は、
「震災で仕事を失っても、起業で身を立てる道もある」、
というメッセージを伝えたくて、
岩手県、宮城県、福島県の各地に間を置かず出掛けていました。
石巻でのセミナーが始まる少し前の時間、
開催窓口になってくれた石巻市役所の職員と雑談をする機会があり、
「私、新聞社の平井さんと、昔、同僚だったんです」と告げたところ、
その方が、「では、彼女を呼びましょう」と言ってくれたのです。
ほどなくして平井がセミナー会場に到着。
前年にテレビで見ていたこともあり、すぐに平井だとわかりましたが、
話してみると、バリバリの東北弁になっていてびっくり(笑)。
いやいや、そもそも、それが彼女の母語なのでしょうが、
赤い革のコートを着こなして、
渋谷の公園通りを颯爽と歩く彼女しか知らなかったので……。
「美っちゃんは、東北人なんだ」。
よどみのない訛りには、彼女の地元への情愛と、
あの大津波と戦った誇りが込められているような気がしました。
遠い昔、渋谷の雑居ビルの一室で、
深夜まで半泣きになりながら原稿を書いていた若い2人が、
こんなかたちで再会し、互いの使命について語り合えるとは……。
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東日本大震災から15年。
平井と再開してから、もう13年。
月日はどんどん流れていくものですね。
その歳月の積み重ねが、悲しみや苦しみを、
少しでも和らげてくれる薬になるのなら、何よりだと思います。
しかし一方で、忘れてはいけないことがあると、
私は気を引き締め直しました。
石巻の平井たちのあの姿を、あらためて胸に刻まねばと。
今後何かが起こるたびに、
生成AIを使ったフェイク画像やフェイク動画が出回るでしょう。
インプレッション稼ぎのための偽情報も増え続けるかもしれません。
そんな社会をただ嘆くのではなく、私も物書きの端くれとして、
冷静かつ誠実な情報発信に努めねばと、自らに言い聞かせました。
平井たちが掲出した壁新聞に赤いマジックで大きく書かれていたのは、
「正確な情報で行動を!」という訴え。
この言葉の重みが一層増してきた、あれから15年目の春です。
<一般社団法人起業支援ネットワークNICe 代表理事 増田紀彦>
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