一般社団法人起業支援ネットワークNICe

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活動報告 永山 仁さん


大阪から物資搬送&炊き出しを

定期的に実施し、つながりを構築



●永山 仁さん(大阪府)
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●実施日/2011年4月10日〜
●主な支援活動地域/宮城県石巻市

●支援内容
自社の社員やNICeの仲間、地元友人ら有志と共に、週末を利用して大阪府から宮城県石巻市へ赴き、支援活動を実施。第一陣の4月9・10日は支援物資搬送を、第二陣の4月23・24日からは炊き出しの提供も加え、以後5月13・14日、6月3・4日、6月17・18日と定期的な支援活動を行い、7月にも計画中だ。また、4月には石巻市から大阪府知事あてに「災害派遣等従事車両証明書」を永山氏の会社へ発行するよう要請があり、証明書を取得した。被災地への移動は社用車と、NICe有志からの無償レンタル。永山氏は自社社員に対し、震災復興応援活動支援金の給与賞与天引きを呼び掛け、社員有志からの寄付金を支援活動資金に充てている。今後も継続的に現地へ赴き、つながりを広げながら被災者の自立支援を目指していく方針だ。



 
▲4/10、石巻市総合運動公園への物資運搬

  

 
▲全国から支援物資が永山氏の会社に届けられる。
その仕分け作業と炊き出しの試食づくりにも余念がない

 
▲4/23は物資運搬と渡波駅前での牛丼500食。
5/14は渡波駅前での物資運搬と牛丼800食。
6/4は物資運搬と鹿妻にある牛角での牛丼800食、
6/18は物資運搬と渡波駅前でうどん800食を提供

●永山仁さんのNICe日記より
6/4活動報告


6/4、ボランティアセンターからの指示を受けて、石巻市鹿妻南5丁目の焼き肉屋さんの駐車場を借りて、牛丼800食と皆様からお預かりした物資を配布してきました。

1、2回目の炊き出し場所だった渡波駅より2キロほど西に位置する住宅街で、沿岸部に比べると被害の状況はそれほどひどくないように見受けられました(と感じている自分の感覚がマヒしているかもしれませんが)。とはいえ、場所を借りた焼き肉屋さんは今も津波の被害を受けたままで、再開の目途は立っていないようでした。水道が出ないので、後片づけに苦労しました。洗い物は結局渡波駅まで移動してからやりました。

3回目の炊き出しということで、だいぶ経験が生かされてきたこともあり、これといったトラブルもなく、食材が無くなるまで順調にお配りできました。みなさんからお預かりした物資も全て無くなりました。NICeのみなさんから送っていただいた物資も大人気でしたよ(*^_^*)

牛丼の具材が先になくなったので、あまったご飯を出汁の中に入れ、おじやにしてお渡ししました。最後にあまったおじやをスタッフのみんなで食べました。

最後の最後に来られた人懐っこい男性の方と、地べたに座っておじやを食べながらお話をしました。石巻専修大学を拠点にしたボランティアセンターでは物資配送の手(車)が足りてないそうで、淡路から送られてきた大量の玉ねぎの配送を自分の車に積み込み配るのを手伝っているそうです。我々も一箱いただきました。我々はいいです、とお断りしましたが、「早く食べないと腐ってしまうから」ということでいただくことにしました。

淡路から宮城まで来てまた大阪に帰るなんて、いそがしい玉ねぎですね、と冗談を言いながら話をしていたら突然「バキン!!!」と地面が揺れました。

「地震や!!!!!」と大阪組は一瞬凍りつきましたが、その男性は、「それでね、」といつもどおり会話を始め、その隣にいたおじさんは携帯ラジオを聴きながら、「津波来るんだったらはよ言うてくれよ」と余裕の表情でつぶやいているのを見て、こちらの人はもう慣れっこになっているのだなあと思いました、たくましく思えました。


炊き出し準備中、現地で知り合った女性の方に要請のあった自転車と布団をお渡しし、周辺を案内してもらいました。その方のご主人は水産物の加工販売会社を経営していて、加工工場などを見させてもらいました。まだ経営再開の目途は立っておらず、研修生としてインドネシアから来た女性3人と従業員で再開に向けて片づけなど奮闘しているそうです。国からも支援はいまのところ一切ないそうです。


「失業者への保障が先で、私たちの様な自営業者には何も支援がありません。役所に行って『我々にも支援が必要です。会社が再開すれば雇用が発生するでしょう』と訴えてものれんに腕押しです。」


「津波で流されてきたたくさんの死体を見てきて、どこか感覚がマヒしている。知り合いの○○さんが亡くなったという話を聞いても、ふ〜ん、そうなんだ〜という感覚である自分が怖い」

「いまだ収入の目途が立っていないし、国の保障もなにもない。将来が不安でたまらなく、うつになってしまいそうだけど、いまはとにかく笑うしかないよね〜」

同行していた友人との会話も笑いながらでしたが、横で聞いていて切なくなりました。この友人は、「とにかく自立したい。生活のリズムを取り戻したい」ということで、大阪に来る決心がついたそうです。大阪に戻ったら、府や市が提供している住居や仕事の情報を集め、大阪に来られるお手伝いをする、と約束してきました。


炊き出しと、泥出しや片づけなど人手のいる作業提供と、どちらが必要ですか?と尋ねたら、炊き出しも助かるけど、後者かな、と答えられました。とにかく会社を再開させたい、と。

支援の形も変化していく時なのかもしれない、と思いましたが、他のスタッフからは、「駅前などで炊き出しをしていると、この人ホントに困ってるのかな?と思う人たちも来る。避難所に直接行ったほうがいいのでは」という意見もありました。

求められるものはそれぞれの状況に置かれた人によって違うと思いますが、全てに対応できる力は残念ながら我々にはありません。

限りあるパワーを、これからどこに、どれくらいかければいいのか、思案のしどころです。

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