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NICe&千葉大学 コラボレーション企画 レポート


「NICe&千葉大学」コラボレーション企画 レポート



2011年7月14日(木曜日)、千葉市稲毛区にある千葉大学西千葉キャンパスにて、NICe&千葉大学のコラボレーション企画『「働く」未来を考える〜あなたにとっての「働く」とは?〜』が開催された。これは、NICeメンバーであり、同校大学院生の本山実里氏が、「就職内定のためのセミナーやガイダンスでは探れない、これからの生き方を考える上で“働く”ということをどのように位置づけるか。学生と起業家の皆さんが同じステージで一緒に“未来”を考える会にしたい」と発案・企画し、学内で実行委員会を立ち上げ、教育学部生涯教育課程の佐藤和夫教授の協力のもと実現した勉強会。参加者は教育学部の学生だけでなく、他学部の大学生や院生ら20人以上、NICe内外からも“大人”17人が参加し、世代を超えたリアルディスカッションが繰り広げられた。

  

■オープニング



教育学部4年生の坂本一馬氏による司会進行でスタート。まずは、実行委員長の本山実里氏が参加者へ感謝を述べ、企画趣旨を改めて説明した。

 
▲司会を務めた教育学部4年生の坂本一馬氏 ▲実行委員長兼ファシリテーターを務めた本山実里氏

「大学主催の就職ガイダンスではなく、内定を得るためのノウハウでも、公務員試験対策でもありません。どのような勉強会かというと、就活に不安を抱えている学生がいっぱいいます。働くとはどういうことか、悩んでいる人がいっぱいいます。そういう人たちが抱いている大人のイメージと、私の知っている働く大人は違うイメージなんです。とてもキラキラしていて、自分のやりたいことや夢、能力を生かして働いているというイメージがあります。そのギャップはどこから来るのか。ギャップがあるのか。キラキラ輝きながら仕事している大人の方々と一緒に、ちょっと違う視点で“働く”そのものについて考えるきっかけになればと思います」

坂本氏がタイムスケジュールを説明したのに続いて、本山氏によるアイスブレイクが行われた。「どんな人たちがこの場にいるのか」という挙手方式だ。



「今4年生の人?」。かつて4年生だったと豪語しながら手を挙げる大人も。
「2、3年生の人?」ちらほら。1年生は0人のようだ。
「ド平日に仕事を休んできた人?」手が挙がると、
「お〜っ」と賞賛か驚きか、どよめきが起きた。
「暇だから来た人?」の質問には苦笑いしながら手を挙げる素直な大人も。
「学食に行きたい人?」勢い良く挙手したのはNICeの面々。
「就職のことですごく悩んでいる人?」学生のほとんどが挙手。
「NICeの人へ。就活で悩んだ人は?」数名。
「そうでもない人?」ちらほら。
「まったく悩まなかった人?」これもちらほら。

  

大人組の中でも、その世代その時代ごとに就活には違いがあるようだ。本山氏は会場の緊張感がほぐれたのを確認し、「いろんな人たちがいますね〜。でも、大人も今の学生と同じように悩みながら今があると思いますので、学生の皆さんもいろんな道を歩いて行けたらなぁと思います」と述べ、基調講演する増田紀彦氏を紹介した。


■第一部 基調講演



一般社団法人起業支援ネットワークNICe
代表理事 増田紀彦氏


「三児の魂、百までも 〜天賦の才を動詞化せよ〜」



直前のアイスブレイクで、「学食に行きたい?」に真っ先に挙手した増田氏は、まず今日参加している大人たちのほとんどはNICeの仲間であり、そのNICeとは何かを簡潔に説明した。そして、就業前の学生に講演するのは10年前の筑波大学以来だと述べ、学生に向かって「講演前に聞きたいことはありますか?」と声をかけた。

ひとりが挙手し、「就活は、学生のうちにしなくてはいけないですか?」と質問。

増田氏はこう答えた。
「就活はずっとすることになると思います。一度入社したからと言って、その会社がいつまであるかはわかりませんし、もっと自分の力を発揮できる仕事場所、会社を探すこともあります。それに、世の中は変化しますよね? 会社が経営に失敗して倒産してなくなってしまうだけでなく、市場は変化しています。逆もあって、今はない仕事や産業が将来生まれてくることもあります。私たちが20代の頃に、インターネットはありませんでした。当たり前ですが、私が就活する時になかった職種や業種が今はたくさんあります。世の中も変化していくし、自分自身も変化していきます。だから、よりよい仕事を探す就活は、すっと継続していくのです。障壁にも出合うでしょう。何度も何度も壁に当たります。ですから、大きく構えたらいいと思います。今頑張ってどこかに入社しても、それはゴールではないのですからね」と述べ、プロジェクターに映し出した自身の笑顔の写真について、今度は増田氏が参加者へ質問を始めた。

  
▲一般社団法人起業支援ネットワークNICe
代表理事 増田紀彦氏



同じ状況に遭遇しても、その後の反応は様々。

あなたならどう行動する?



「これ、何をしている写真か、わかりますか? 何の魚か、わかりますか?」

映し出された写真は、北海道十勝のレキフネ川で、偶然にもサケの遡上を見かけ、嬉しくて思わず手づかみしている増田氏の満面の微笑みだ。

「サケの遡上を見たことある人? あ、その前に、みんな、どこから来たの?」

数人の学生に声をかけた。
「富山」
「君津」

「富山ならマスですかね。君津では見ないですよね。私も初めてでした。条例で捕獲が禁止されているのを知らずに採ってしまって、写真撮影してすぐに川へ戻しましたが、すぐ上流の産卵地を目指して遡上してきた大量のサケに遭遇したのです。岩や石にこすれて遡上してきているので、満身創痍、ボロボロです。弱っているから私でも採れちゃったのです。さて、目の前の小川にサケがたくさんいるのを生まれて初めて見たら、皆さん、どうしますか? 想像してみてください」

増田氏は、ワイヤレスマイクを手に教室内を歩きながら質問した。



「見て、わぁと感じる」
「採ってみる」
「見て、写真撮る」
「ブログにアップしますか?」と重ねて質問。
「しないと思います」
「ツイッターは?」と三たび質問。
「するかも(笑)」

「かわいそうだな〜と見ている」
「ドン引きする」
「つっつく」
「採るための網とか持ってくる」
「手づかみじゃ熊と同じだものね(笑)」と増田氏。
「食べたい」

「川に顔を突っ込んでサケを食べる猛者が千葉大にもいるんですね(笑)。さぁ、何人かに聞きましたが、どうでしょう。みなさん、反応は様々でしたね? そこが今日の主題です」

もちろん“サケの遡上への反応”が主題ではない。今日のテーマである“天職”のヒントがそこにあるのだ。増田氏は、なぜ反応が各個人でこうも異なるのかを説明した。視覚から入った情報を脳が筋肉へ命令する。採る、さわる、見る、食う、引くなど、同じ情報を与えられても、人によって、その後の行動は異なる。そのどれがいい・悪いではなく、人はそれだけ違う行動をとる。その違いはどこから来るのかがポイントだ。続けて増田氏は「三つ子の魂、百まで。この意味はご存知ですか?」とまた質問した。


“三つ児の魂”を動詞化すると、

自分の特技・天性が見えてくる



“三つ児の魂、百まで”とは、3歳児頃に形成されたその人の性格や適性は、たとえ大人になっても、100歳になっても、変わらないという意味だ。この“3歳児で形成されたその人の特技や適性”こそ、大切なのだと強調した。

「皆さんは、子どもの頃に確立された特性を自覚していますか? 自覚する方法があるんです。子どもの頃に得意だったこと、大好きだったこと、夢中だったこと。それを思い出すと簡単に出てきます。

歳を重ねると社会の中で、いろんな人と同質化して、協調しないとならない事情があります。まして社会人だと、自分側の問題ではなく、雇用側のミッションで行動が制約され、自分の特性があいまい化していきますが、自分の特性を忘れている大人でも、子どもの頃に夢中だったことを思い出すことで、特性が何かが出てきます。では、大人に聞いてみましょう。子どもの頃、夢中だったことは何ですか?」

 
▲学生にも大人にも次々と質問

「オリジナルの遊びを考えること。鬼ごっこは普通、鬼がひとりですが、インディアンごっこと言って、ひとり以外はみんな鬼で、みんなで探すんです」
増田氏「こわっ!でも、すぐにでもこの大学構内でやりたいですね(笑)。あなたは何が得意でしたか?」
「工作です。木工で魚をつくったり」
増田氏「あきずに夢中でやっていた?」
「はい」

「おままごとの演出。場所や関係性などのシチュエーションを設定して遊ぶのが得意でした」
増田氏「みんな言うことを聞くの?」
「聞かせます(笑)」
増田氏「あなたは何が得意でしたか?」
「壊す、分解する」
増田氏「人間関係じゃないよね?」
「いやいやそれは(笑)」

続いて増田氏は「学生さんにも聞いてみましょう。子どもの頃、夢中だったことは何ですか?」とまた教室内を歩き回り質問した。
「段ボールやお酒のケースで家を造ったり、組み立てたりすること」
「近所の小さな子の世話」
「壊す。どんな仕組みが知りたくて壊していました」
「無駄な数字の並びを覚える、今でも車のナンバーを見て4つの数字で10ができるか、とか」

増田氏は突然、自身のバッグに走りよりながら、「わかります! 数字パズル、私も大好きで。昨日買ったばかりですよ!これ」と、鞄の中から数字パズルの本を取り出して見せた。




天性の適正は動詞化できる。

そのマイ動詞を職業に生かせば輝ける



学生も大人も、それぞれが子どもの頃に得意だったこと、夢中だったことを思い出したのを見計らった増田氏は、それの何が重要なのか、こう述べた。

「何々を○○するのが好き。この○○の部分が大事です。皆さんの三つ児の魂を、動詞にすることができます。マイ動詞とも言えるものです。神様が授けてくれた天性の適性です。

私が得意だったのは、小動物や珍しい植物を見つける、捕まえることでした。そういう才能が自分にはあると子どもなりに自覚もするんですよね。そうすると、どんどん才能も伸びていきます。どこに亀が隠れているか、エビやカニがどこにいるか。大人でも見つけられないような生き物を見つける。それにおいては周囲からも天才と思われていました。もちろん、得意じゃない分野もたくさんあります。今のような季節だと、私にはスポットが当たりますが、冬は影が薄い(笑)。室内ではまた別に、おままごごを仕切るのがうまい女子、授業では数字が得意な子とかいました。子どもの頃は、集団の中のたくさんのシーンごとで、みんなそれぞれが輝く場所があって、それぞれが違っていました。

本山さんが最初のあいさつで、“輝いている大人たちだ”と紹介してくれましたが、今この場では、どこかどんよりして見えるでしょう(笑)。でも、みんな、輝いている場所だと本当に輝いています。さきほど、工作が得意だったと言った彼は、板金塗装の職人であり経営者です。そのお隣は、看護師さん。ほかにも、文章を書くライター、飲食店経営者、コーチなど、職業も様々です。

自分の輝く場所、輝かせ方をすでに知ってそれを職業にしているから輝いているのだと思います。」


共同体の中で、私たちに与えられた義務。

それは天性を発揮し続けること



人間は、マイ動詞とも言える天性の適性が幼少期に確立される。
その天性は生きる上での武器になる。
また一方で、どんな場所でも生きていけるのが人間なのだと増田氏は続けた。



たとえば、ホッキョクグマが赤道直下で生まれたら、生きていけない、マレーグマが北極圏で生まれたら生きていけない。だが、人間は、北極圏でも赤道直下でも生活できる。どんな環境でも適応できる能力を持っているのだ。そんな同じ適応能力を持ちながらも、そのグループ内で、それぞれの能力が散らばるようにできているのも人間なのだという。だからこそ、他の動物よりも社会を形成し、躍進できるのであり、逆に言えば、共同体に同じ能力ばかりがいては、社会形成も発展も成り立たない。


「学生さんも大人もそうですが、本当に天から授かった“マイ動詞”を十分に生かしきっているでしょうか? それを武器にしたら、職業は、仕事はどうでしょう。社会人という言葉は、社会を、共同体を形成するひとりとしての責任者ということでもあります。

集団の中で得意分野を発揮し、違う能力の人たちと協力し合うことで社会は健全に発展するのです。自分が生きている社会を持続させていくためにも、自分のマイ動詞を自覚して、それを社会の中で発揮し続けなくてはいけません。

“三つ児の魂、百まで”というのは、3歳児の適性は生涯変わらないという意味とともに、百歳になっても発揮する義務がひとりひとりに与えられている、ということです。ぜひ、この後のグループワークで、マイ動詞について、また自分は何なのか、を深めていただきたいと思います。そして、この会が終わる時に、自分にできることはこれかな? ということを共有し合っていただければと思います」




■第二部 働く大人の先輩談



「今日に至るまでのシューカツ&マイ動詞とは?」



数日前に、「増田さんの講演を参考に、経験談を話してほしい」とオーダーを受けたという“NICeの大人”KATO氏と矢野氏。どのように就職活動をし、社会人としてのキャリを積み、今に至るのか。そこから見える“マイ動詞”について、それぞれ15分間ずつスピーチを行った。

● KATO氏


▲笑顔を引き出す“適正”を生かしているKATO氏

トップバッターは、外資系企業に勤務する会社員である一方で、会社を立ち上げ、望んで2足のわらじをはいているKATO氏。そんな氏は、“三つ児の魂、百までも”に関して話すようオーダーを受け、昨夜実家に電話をし、自分がどのような子どもだったのかをリサーチしたという。

「母親に聞いたんですよ、マイ動詞。母によると、僕は幼稚園へいく道すがら、知らない人に、『こんにちは』『おはようございます』と、やたらと声をかける子どもだったそうです。そう言われて思い出したのが、自分は人の笑顔にとても反応する子どもだったということです」

KATO氏が就職した時期は、バブル景気崩壊後。就職活動はなかなか苦戦したという。何らコネもなく、愛知県の自動車メーカーの下請け会社に就職。開発、製造、営業が花形部署だったが、国際事業部に配属され、台湾の子会社を担当した。台湾で200台初走行させた実績は自身の誇りになったが、その後、過酷な部署へ異動になり、過労がたたって退職。しばらく雇用保険を受けながら転職活動をするも、精神的にかなり落ち込んだという。

「都落ちしたような、俺はダメな人間なんだなと思いました。しばらくのんびりすればいいと思いながらも、焦るんですね。皆さんの就活と同じかな。行く面接行く面接すべて落ちる。その時に、気分転換を兼ねて、違う業種を受けてみようと思ったんです。そうしたら受かりました。新卒で受験していたら受かっていないような企業です。転職活動のいいところは、学歴に依存しなくてもいいことです。テクニック的なところもありますので、興味がある人は後で聞いてください」



しかしKATO氏は、後にこの製薬会社も退職する。その理由は、勤務形態が自由過ぎたこと。出社するのは1週間に1度で、ほぼ毎日が直行直帰。やろうと思えば“仕事したふり”もできる環境に、危機感が湧いてきたという。反面、「いいじゃん、楽だから」の気持ちが湧くことも。そんな時に、友人から誘いを受けて、台湾メーカーの日本支社に転職。

そこでの仕事は楽しく充実もしていたが、自分ではどうにもならない問題が勃発し、また転職。次が現在も勤務している外資系企業だ。ここで、“2足のわらじ”で起業しようと決意したのだという。

「前の台湾企業も社内派閥がありましたが、どこの企業にもあるんですよね。転職した会社でも、直属の上司が派閥問題に巻き込まれて地方へ異動になりました。その時にふと思ったのです。会社に依存していてはいけないのだと。それが起業したひとつの要因です。安定のために会社勤めも続けて、家族と過ごす時間も欲しい。それで茨城県で起業し、飲食店を開業しました。しかし今は寝る時間さえありません(苦笑)。でも、自分がやりたいことできる、それが楽しいです。子どもの頃から、人の笑顔が気になる、という“三つ児の魂”は、会社で営業職に就き、飲食のサービス業を営むことに共通しています。こういう大人もいるということで、サンプルのひとつとして知っていただければと思います」



●IT企業勤務&キャリアカウンセリング 矢野ミチル氏

続いて登壇した矢野氏は、平日はIT企業に勤務し、週末は地元の埼玉を中心にキャリアカウンセラーの仲間と、企業と求職者をつなげる活動をしている。転職歴は多く、8社目だと述べた。その理由は、母親の影響が大きかったのだという。


▲見えないものを形にする仕事に喜びを持っている矢野ミチル氏

「母は、NTT(旧電電公社)のオペレーターでした。今はもうない職種ですが、昔はオペレーターが手動で通話をつなぐという仕事があり、当時は女性の花形職業でした。大企業であり、女性が自立できる仕事でしたから。ところが、結婚した父は転勤が多く、私が小さい頃は母も転勤願いを出して仕事を続けていましたが、弟が生まれてから辞めてしまいました。移転先で仕事を見つけようにも難しく、コミュニティで活動しようと関係を築いても、またすぐ転勤でやり直し。子ども心に、仕事を辞めた母はそのことを悔やんでいると感じていました」

そんな母親を見て、矢野氏は、絶対に自分は結婚しない。ひとりで食べていける仕事に就こうと決意したという。自分の向き不向き考える前に、ひとりで食べていける仕事を目指し、理系に進学。これから社会を動かすのは経済かコンピュータだが、経済方面は就職しても事務職しかないと判断し、コンピュータを選択する。

「大学でインターネットに出合えました。当時は、ごくごく大企業の研究所か大学にしかない最先端。もちろん就職活動もコンピュータ業界に的を絞りました。当時はバブル景気の最後の時代で、就職活動も引く手もあまた。地元の北海道から毎週東京へ、企業のお金で10回くらい来ていました。でも、ちゃんとツケは負わされるんです(笑)。入社した途端、バブル景気が崩壊しました」

バブル景気で大量雇用された同期は次々に関連会社へ異動となり、上司からも「君たちを採用しすぎてうちの会社は厳しい」と、ことあるごとに言われたという。入社動機だった事業もなくなり、故郷へ戻り、IT企業に転職。ところが、時代は大不況。北海道拓殖銀行もゼネコンも倒産し、転職先の経営者は夜逃げしてしまう。その後、結婚し、また首都圏へ。思いがけず突然専業主婦となった矢野氏は、とまどったという。自分は失業者のつもりなのに、周囲からは『あなたは専業主婦だからいいわよね』と。

その後、専門職に就き、それからジョブホッピングを始めたという。自分の専門性に合わない仕事を任されそうになると転職する、を繰り返した。毎日のように深夜残業で、2週間は会社近くのビジネスホテルに泊まる生活を5年間続けた。しかし身体を壊して、ペースダウンするようになったという。



「今の会社には10年勤めていますが、後半はペースを落としました。少し暇になった時期に出合ったのが、NICeやキャリアカウンセリングでした。こうして、少し間をあけてみるもの大事かなと思います。“三つ児の魂”でいうと、私は見えないものを表現することかなと。子どもの頃は、家で絵を描いたり、作文したりするのが大好きでした。大人になってからも、ネット業界でエンジニアやってきて、現場だけでなく、社長室と現場をいききしたり、企画したり。見えないものを形にしていくのが楽しいです。ビジョンに共感できて、それを形にしていくこと。週末のキャリアカウンセリングの活動も、ビジョンを形にしていくという点で共通していると思っています」


■第三部 グループディスカッションでの頭脳交換会



学生と大人が混じった6テーブルで、ワールドカフェ方式の頭脳交換会が行われた。各テーブルでは最初に自己紹介をし、その後20分ずつ2テーマについて自由に話し合った。

  

テーマ1/あなたの思う「スゴい働き人」は? 

その動詞は?



筆者のテーブルでの主な意見/
・茂木健一郎さん。自分の好きなことやっていて、持論があるから。発想が自由。楽しむ。考える。話す。理論立てる。表現する。
・有名人じゃなくても身近にいる。商店街のおじさんだってスゴい。野菜のことならなんでも知っているとか、魚のさばき方とか。料理人と同じくらいプロ。町中にころがっている。今はスーパーでしか出会えない。
・触れる機会が減っている。有名人はメディアを通して知るのか。
・津田沼でも有名な魚屋のおじさんがいる、そういう身近な人の仕事ぶりも見たらいい。
・その人に会いたくて買いに行く。
・どんな人も裏で努力しているはず。イチローも。
・スゴい人のカテゴリーでいうと、真摯な人。
・自分でスゴいと主張もしないけれど、自己犠牲ではなく、努力する人たち。
・安定や肩書きが欲しいと思ってしまうけれど、やはりデザインすること。
・同じ宅配業者でも、次の夢を実現するため資金を稼ぐために働いている人も多い。安定と聞いて思い出した。
・宅配ピサのバイトもスゴい。雨でも雪の日でも笑顔で届ける。社員、バイトの雇用形態に関わらず、プロを感じる。
・友人でいる。ピンポン鳴らして笑顔で接客すると、こんな天気なのにと喜ばれるのが何より嬉しいと。喜ばれる
・お金をもらっていなくても、スゴい仕事している人いっぱいいる。料理する人、買い物上手とか。家事とかもそう。専業主婦、母親も、お給料もらっているわけじゃないけれど、朝から晩まで家族のために尽くす。
・ボランティアもそう、震災ボラも。
・お給料が特別に多いわけでもないけれど、人のために命がけで働く人はスゴい。
・重機操縦できる仕事に子どもはすごく憧れる。誰が見るかによって“スゴい”は違う。
・子どもの頃はペンキ屋さんになりたかった。兄が大工になりたいというので。家が築100年の古民家で、ふたりでうちをよくしようと。
・イチローとか見ていて、何か目標はあるのでしょうか?
・こうなりたい、というのはあると思う。自分も、この仕事は好きだし楽しい。大変だけれど楽しい。ただ、三つ児でというと違うかなと思う。理系に進学したくてたまたま先生から『看護師も病院勤務だから理系じゃない?』と言われて。ただ、なりたいと就いた人は、現実とのギャップを感じて辞める人も多い。自分はそういう憧れがなかった分、よかったのかも。
・イメージや憧れが大きすぎると、そのギャップでダメかもしれない。
・楽しく働いている人。つらくても楽しく働いている人。動詞は楽しむ。
・所属せずに好きなことを仕事に結び付けている人。肩書きではなく、好きなことを仕事に結びつけている人はスゴい。
・昨日ちょうどピンポン鳴って、対応せずにのぞいていたら、営業マンらしいけれどスーツを着ていない人だった。そうしたら、向こうは私が覗いているのを知らずに、一礼してポストにパンフを入れていった。見えないところで頭を下げていた。人が見ているから何かをするんじゃなくて、見えないところでもそういうのスゴいなぁと思った。礼を尽くす。


テーマ2/あなたの“動詞”は何でしょう? 

そこから連想される職業は?





筆者のテーブルでの主な意見/
・子どもの頃、マンガでいきなり7巻目を読んで、今までどういうストーリーなのかを想像することが好きだった。ロボットをつくっても、一部の素材があって、そこにどう材料を持ってくるか、考えながらつくるのが好き。どう合わせていくのか。でも、ストーリーは当たったためしがない(笑)。
→想像する、連想する、想像して創造する。推察する。コンサルティング、コーチングとか。
・段ボールで何かをつくる。お酒のブロックで何かつくるのが好きで、手仕事系かなと思う。
想像してつくるのではなく、手元にある材料でどうつくるかが好き。生かす、活用する、ベストを尽くす。就職をどうしようと悩み中。自分が関心ある分野で食べていけることで生きていきたいけれど、最低どこで喰っていけているのかに関心がある。どうすれば喰っていけますか?
→どの辺りを喰っていく最低ラインと考えているかで違うのでは?
・数年に一度は旅行に行けるぐらい。
→やりたいことが漠然としているなら、入社した会社で完結するのではなく、貯める目的もありと思う。
・そこで見えてくるとか、似たような人に会ってみるとか、道が見えてくることあるし。
・お金貯めることと、経験貯めることを目的に就職してもいいのでは?
・働くことは、お給料よりも健康一番だと思っている。そういう働くスタイルを考えたいし、それに見合った職があるのか考えたい。1、2年の時に飲み会が多くて、食生活も悪くて、身体を壊した。もう二度としたくないなと。
ここでタイムオーバー!!!

小林京子氏からの総評


▲幼少の頃、おままごとの脚本・演出・監督が得意だった小林京子氏

「坂本さんは初めての司会、本山さんも初めてのファシシテーションとのことでしたが、お見事でした。素晴らしい会を開催していただき、ありがとうございました。今このテーブルの中から出た動詞で、“引き出す”という言葉がありました。発見ではなく、すでにあるいいものを、引き出すがキーワードでした。この2時間半、皆さん、いいものを引き出せたのではないかと思います。企画してくださった千葉大のみさん、実行委員の皆さん、ありがとうございました」


■教育学部生涯教育課 佐藤和夫教授から一言


▲ディスカッションの様子を微笑んで見守っていた佐藤和夫教授

「生涯教育課程は、他と違う特徴があり、自分で探さないと誰も使わない、起業のためにある課程のようなものです。人間はいかに多様で面白く生きていくかということを、仕事と結びつけて考えてくれたらいいなと思ってきたところ、このような企画があって、学生の皆さんは本当に喜んでいると思います。私の人生の中で、何が良かったかいうと、世の中には、なんと多様で面白い人がいるのだろうと経験してきたことです。ところが、今の学生はまわりの同級生も同じような階層で、同じような親で、同じような人しか見ていない人が多いです。今日のこの集まりで、ひとつだけ残念なのが、話し合い始めたところで終わっちゃったような感覚があることです。ぜひ名刺交換ならぬアドレス交換会をしていただきたいです。このあと、生きている上で支えとなるような先輩たちと若い人が支え合えるようにしていただければと思います。今日は本当にありがとうございました」

■実行委員長 本山実里氏から一言
「開催動機は3つありました。2011年1月に開催された『NICe×大阪経済法科大』コラボ企画に触発されたこと(レポート参照)。3月の『NICe全国定例会inさいたま』が震災翌日で中止されたこと。この時のテーマが“新卒無業”というリアルなものであったのに加え、会いたい人に会えない悲しさ、大きな変化に対して動けずにいる無力感やふがいなさに打ちひしがれました。その感情をバネにして、よし、立ち上がろう!と思ったのです。3つ目の動機は、周囲の学生の就職への不安や不満の声が顕著に現れてきたことです。就職に対してネガティブな悩みでいっぱいで、安心して学業にも専念できないという焦りを感じました。ですが、私が出会ったNICeのナイスな方々は、他の学生が抱いている社会人とは似ても似つかない。このギャップは何なんだ!? NICeの出会いを私だけのものにしてないで、みんなにも広げたい、将来に対する見方が広がるきっかけになるかもしれない!と思ったのです。

実行委員の仲間集めから始まり、企画の推考、事務的準備そして宣伝・広報。実行委員の仲間にとっても今回は大きな活動の経験となりました。お察しの通り(笑)、準備は大変なこともたくさんありましたし、参加人数も不安でした。ですが、数の問題じゃない!と気付いたのです。大人も学生も参加者みんながほんっとーにキラキラ真剣な目をしていて、ディスカッションも時間が足りないほど、実に充実した時間になりました。確実に、何かの種は蒔けたのではないでしょうか。次回開催を希望する学生の声も挙がっています。今回の経験、反省点も活かし、次のステップへのタイミングを今後も見計らっていきたいと思います。みなさん、本当にありがとうございました!コラボ企画、やってよかったぁー!!!」



取材・文、撮影/岡部 恵

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