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NICeチャリティセミナー in 熱血!鹿児島レポート


2011年9月19日(祝・月)、鹿児島県鹿児島市で「NICeチャリティセミナーin熱血!鹿児島」が開催された。これは、「新燃岳の大噴火、そして桜島も噴煙を噴き上げている鹿児島にとって、自然災害は決して他人事ではない」との思いから企画されたもの。この日はあいにく台風12号による悪天候だったが、鹿児島県内を中心に熊本県からもNICeユーザーが駆けつけ、参加者は11名に。セミナーというよりも参加者同士が身近に感じられる、交流型の“熱血!”イベントとなった。

■オープニング



実行委員長を務める大坪潤次氏のあいさつからスタート。
「6月に東京で増田さんと会い、NICeの活動の中で特に3月11日の震災以降に考えてきた思いを全国に広めたいとお聞きし、ぜひ鹿児島にとお越しいただきました。本日は秋のイベントが多い祝日で、参加人数は多くありませんが、だからこそ逆に、中身の濃い会にできると思います。話を聞く、何かを手に入れるという感覚ではなく、皆さんの持っているものを出し合い、大いに学びを深め合う機会にしていただければと思います」と述べ、増田氏にマイクを手渡した。


▲NICeチャリティセミナーin熱血!鹿児島
実行委員長 大坪潤次氏



■第1部 基調講演



一般社団法人起業支援ネットワークNICe 代表理事 増田紀彦氏

「ほんとに頑張れニッポン!

つながり力で、震災・TPP・デフレを乗り越えよう」



「こんなに近い距離でマイクを使うのは人生の中でなかなかない貴重な体験です(笑)。今日は聞いていただくというよりも、皆さんにも質問を向けますので、会話型で一緒に勉強していきたいと思います」とにこやかにあいさつし、まずはNICe(ナイス)について語り始めた。


▲一般社団法人起業支援ネットワークNICe
代表理事 増田紀彦氏

「長ったらしい名称ですが(笑)」と前置きし、一般社団法人起業支援ネットワークNICeは、もともと経済産業省委託事業として平成19年度から始まり、3年後の21年度で終了した国策であり、その後、民間の非営利法人を立ち上げ、自身が代表理事を務めていると説明した。National Incubation Centerの頭文字をとって、愛称はNICe(ナイス)という。インキュベーションとは直訳で“卵をふ化させる”だが、「これからの日本の経済を担う事業家の卵を応援してふ化させよう」という意味が込められているという。このインキュベーションという言葉は、日本では概して、ローカルインキュベーションという意味合いが濃いのだと増田氏は語った。

「たとえば鹿児島でベンチャー企業の卵がいたら、その人をふ化させる、応援するのは鹿児島の人、ローカルなのです。広島でも徳島でもそう。“島”が続きましたが(笑)、その地域内で応援し合う、情報を交換し合うケースがほとんどなのです。有名な企業ならば、全国的にも世界的にも名実共に知られて、その企業が求める販路や支援を得ることができ、さらなる成長もできるのですが、小さな会社、小事業者は、その存在すら知られません。今日、熊本県の阿蘇からお越しの小野さんは、地図のすごいソフトをつくっていらっしゃいますが、力がある、技術を持っていながら、そのすごさはまだ日本中に知られていません。そういう方が全国にたくさんいますよね? でも、もしかしたら北海道の人が、あるいは沖縄の人がその価値を理解し、応援してくれるかもしれない。でも知られないままだと、卵を温めきれず、ふ化できないことも出てきますよね。そうすると、新しい事業を考えている人や面白いビジネスや技術を持つ人たちは、応援をもっと得やすい東京や、一足飛びにシリコンバレーへと、地元から出て行ってしまうのです。地元で頑張ろうと思いながらも、理解や支援を受けられずに、自分の土地から離れてしまう。そこで、同じ地域内、つまりローカルではなく、もっと広域に、全国で応援し合いましょう!という発想で生まれたのがNICeです」

その目的通り、全国にネットワークを広げてきたNICeだったが、国の事業終了と共に、せっかく育ったSNSを経済産業省が閉鎖。地域が離れていても、世代が違っても、役に立ち合える関係ができつつあったのに!だ。そこで、「この活動をやめるのはもったいない!」と、事業終了翌月の2010年4月から、増田氏ら有志が民間NICeをスタートさせたのだった。

「経産省は『NICeの名前を使うのはやめてくれ』と言っていましたが、啖呵を切って始めたのです。NICeの趣旨は正しいし、やめるほうがむしろおかしい。やると決めたことも正しかった。でも苦しかったですよ(苦笑)。それでも今では経産省時代よりもいいサイトになりましたし、関東や関西では毎月勉強会があり、あさっては名古屋で全国定例会も開催されます。当時よりも活動は活発です。その中で今、NICeが取り組んでいるひとつが、震災復興です」


増田氏は、福島市在住のNICeメンバーの案内で4月と9月の2度に渡り、県内の被災地を訪問。その時の状況と思いを次のように語った。
「テレビなどでは立ち直った地域にスポットが当たりがちですが、未だに墓石が倒壊したままの墓地や、電話も通じないなど、インフラ復旧ができていない地域がまだまだあります。だからまだまだ支援が必要です。阪神・淡路大震災の時も、報道は半年かせいぜい1、2年。それでも復興まで10年以上かかっています。今月29日にまた福島へお邪魔し、毛布やストーブを届けてきます。倉庫に支援物資が眠っていると聞く一方で、行き渡っていないところがあるのです。特に事故を起した福島第1原発周辺の地域は難しい状況で、福島県とほかの地域が抱えている課題とは異なっています。私たちは避難指示区域をとおって沿岸部へ行ったのですが、ショックでした。一言で言えば、あの辞任した大臣の失言通りです。私は“神隠し”という言葉が浮かびました。豊かな稲穂が広がる田園風景のはずが、見渡す限り雑草地が広がっているのです。手をかける人間がいなくなると、こんなになるのかと……。空恐ろしい光景でした。あの大臣は、ショックのあまり発したのだと思いますが、立場が立場なので、やり玉にあがりました。でも、同じ日本で、人が立ち入れない場所がある。それをシーベルトという単位で表すよりも、ずっと伝わる言葉だと思いました。鹿児島からは遠い地域ではありますが、それが別の世界の話ではないということは、この後の話題にもつながります」

冒頭でNICeの「N」Nationalの意味を強調した意図が、“決して別の世界の話ではない”震災、TPP、デフレにもつながっていくということを参加者のほとんどが理解している様子だった。台風にもめげずに集った、さすが熱血!な参加者たち。その真剣さに応えるように、増田氏はこのあと100分に及ぶ講演内容についてこう前振りした。

「20世紀から21世紀へと変わって10年が経ち、今、世界は大転換期にさしかかっています。前々から変だな、変わるだろうなと薄々思っていたでしょうが、かなり大きく変わります。世界が行き詰まっているとニュースでも見聞きしているでしょう。そういう時代の経済活動の中でどうあるべきか、という話をします。前半は、人間とはどういうものか。後半は、人間が営む経済について。その経済の中で、少しずつ情報が出てきたTPPと震災復興における経済のありようについて、提案をさせていただきます」



「三つ児の魂、百までも」
 
子どもの頃に夢中だったことは?



増田氏はスクリーンに自身のプロフィールを映し出し、画像を回転させて強調し、「手にしているのは何でしょう?」と質問した。そこに映っているのは、満面の笑顔の増田氏。両腕に抱えているのは、大きなサケだ。この写真は数年前の今頃、北海道で撮ったという。たまたま偶然、きれいな小川を見かけ、車を降りると、そこに産卵のために遡上してきたサケの大群がいたのだ。条例で禁止されているとは知らず、嬉しくて思わず手づかみしまったという。

「写真を撮ってすぐに川へ返しましたが、天然の魚をまさか手づかみできるとは思ってもいませんでした。皆さんはサケの遡上に出くわしたことありますか? 想像してみてください。偶然、小川にいっぱいのサケがいたとしたら、どうしますか?」

「採る」
「見るだけで捕まえないと思う」
「写真を撮る」など意見は様々だった。



「何の話をしたいかというと、視覚から脳に情報が入り、脳が筋肉に命令して、人は行動しますが、ある同じシーンに遭遇した時、その行動が人それぞれ違うということを言いたいのです。まぁサケではなくサメならみんな逃げるという行動を取るでしょうが(笑)。三つ児の魂、百までも、という諺がありますが、3歳児で形成されたその人の特技や適性は、たとえ大人になっても、100歳になっても、変わらないという意味です」

なぜ、サケを手にしてあんなにも嬉しそうなのか。それは、増田氏の“三つ児の魂、百までも”だという。子どもの頃から川でも海でも、どこに生き物が隠れているかを的中させ、昆虫や小動物を見つけ、つかまえるのが得意だったのだ。当時はカンだと思っていたが、おそらく水温や地形などのデータから判断していたのだろう。大人になってもサケの遡上を目の前にして、ついつい無意識に手が伸び、つかんで得意満面になったのも、まさに、三つ児の魂。一方で、同級生の中には同じ昆虫好きでも、観察する、飼育する、産卵させるのが得意な子もいた。だが、増田氏は、捕獲し、それが何かを調べるまでが興味の範疇で、捕獲後、それらをどうしたかは覚えていないという。

「三つ児の魂とは、その人が得意とする“動詞”で表現することができます。誰にでもあるはずです。それがないと、社会の中で一翼を担えませんよね。でもいきなり、『得意な動詞はなんでしょう?』と聞かれて、パッとは答えられません。大人になると諸事情で、得意にならないといけないこと、勤務先からのミッションなどがあり、適性通りのことができない環境になりますから。でも、子どもの頃は、『あなたはこれを得意になりなさい』と言われたわけでもなく、単に好きで夢中になれたことがあったと思います。それを思い出してみてください。皆さんは、子どもの頃、何に夢中でしたか?」


「動くこと、競争すること」
「レスリングとか?」と増田氏。
「剣道です」
「強かったですか?」とまた質問。
「その頃は(笑)」
「私は柔道をしていましたが、1回も面白いとは思えませんでした。なんとかしてお稽古を休んで、昆虫採集に行きたいといつも思っていました(笑)。あなたは何に夢中でしたか?」

「調べること。海洋性動物が好きだった記憶があります」
「地図を見ること、航空写真を見ること」
「釣りです」
「冬はできないでしょう?」と突っ込む増田氏。
「1年中釣っていました。好きですから(笑)」



参加者から、子どもの頃に夢中だったことを一通り聞き回った後、増田氏はそれらの動詞の部分が重要であり、それが本来の得意能力なのだと強調した。
「剣道が好き、は、闘う、競う。釣りは、狙いを定めてゲットする、仕掛ける、狙う。地図を見ることは、調べる、分析する、解明するなどの動詞で表せますね。男子だと、組み立てる、つくる、機械だけではなく秘密基地をつくるというのも得意な人がいましたね。女性だと、教える、伝える、表す、仕切る、コミュニケーション系が得意な人が多いです。男女でも、人によっても、バラバラな得意能力を持っているわけですが、それを認識していると社会の中で能力を発揮しやすいのです」


環境適応能力と役割分担で、共同体を形成できるのが人間



社会の中で発揮できる能力=子どもの頃に得意だった動詞。それがなぜ、3歳頃に確立されるのか。増田氏は、ほ乳類の中でも独特な脳形成により環境適応能力を備えていく人間について、話題を進めた。

生まれてすぐに自力で乳が飲めないほ乳類は人間だけだ。猿もイルカも誕生間もなく自ら母乳を求めて動くし、馬はすぐに歩行する。一方で、ホッキョクグマが赤道直下で生まれたら、生きていけない。逆に北極圏でマレーグマは生きていけない。完成された脳で生まれてくる種は、その生存環境が限られてしまう。だから同じクマでも、種そのものが地域により異なっているのだ。だが人間は、あらゆる環境に適応して生きていけるよう、あえて未完成の状態で生まれ、学ぶ時間を設けているという。そして環境適応能力が備わり、その環境下での適性が確立されるのが3歳頃なのだ。

「人間は、南北東西どこでも生きていけて、ほかの動物と違って発展していけます。環境に適応しながら、その環境で担う役割分担がうまく分かれているのです。神様のおぼしめしとでもいうのか、ひとつの集落で全員が同じことが得意ならば、集落は途絶えてしまうでしょう。魚を捕るのがうまい人、家を建てるのがうまい人、子どもを育てるのがうまい人、非常にうまく役割分担ができています。だから社会を形成できるわけですし、発展できる。お互いに違う能力がないと共同体はつくれませんから。NICeはつながり力をテーマにしていますが、昔はそんなことを謳う必要もなかったはずです。自然と、それぞれ異なる特技を発揮し、補完し合ってきたはずなのですから」


“自分探し”は異常事態。

本来なら幼少時代に自分の役目はわかるはず



「ここ最近“自分探し”という言葉を耳にしますが、本当なら、すでに幼少時代に適性がはっきりしていたはずです。子ども時代、三つ児の魂が確立されてきて、自分がどういうタイプがわかったはずなのです。やりたいなぁと思うことあっても、この分野なら○○君にはかなわない。あれは○○さんが得意、算数は○○君、というように、学校でも遊びでも、集団の中で自分が評価されるポイントが何か、されないポイントがどこか、わかりました。共同体の中にいれば、自分で自分を探さなくても、他人から自分を探されてしまうものなのです。ところが、最近は違ってきました」

なぜ違ってしまったのか。人間が本来持っている役割分担により形成されてきた共同体は、今どうなっているのか。その原因は何なのか。話題は後半のテーマ、人間が営む経済、へと突入した。


高度成長時代の勝利の方程式“加工貿易”、その代償とは?



「昔の日本の町や集落には、いろいろな職業が混在していました。ところが、戦後復興の過程で工業化されていく中で、きわてめ極端な国土づくり、いわゆるゾーニングが行われたのです。経済効率のいい町づくりがなされ、工場地帯、商業地区、住宅地、農地というように、日本中が色分けされていきました。

そうすると、ある地域の子どもの親は似た職業となります。東京はホワイトカラーでニュータウン。同じ地域に職業もみんな同じ。親も同じなら、子ども達も同じで、それぞれの得意分野も似てきますから、自分が集団に何を求められ、何が得意かがわかりづらい。むしろ補完どころか同じ分野で競い合うようになります。お受験も典型的で、今は小学校受験から盛んですよね。これはちょっと早すぎるんです。自分が周囲に探されてからなら、同じような分野で同じような能力を持つ集団に身を置いても何とかなりますが、まだ早い。自分が周囲に何を求められているのか、いまり何が得意なのかがわからないまま大人になり、大人になってから慌てて“自分探し”をすることになるのです。人間はこんなはずではないのに……」


こんなはずではない人間が量産されるほどに同質化した国づくりをなぜ日本はしてきたのか? それは、日本が戦後、驚異的な復興を遂げたことと関係があると増田氏はいう。加工貿易だ。もちろん、日本復興への高い意欲、日本人特有の器用さ・ものづくりのうまさ・勤勉さもあるが、日本は国を挙げて加工貿易立国を目指して邁進してきた。今や1ドル70円代の円高だが、当時の為替レートは1ドル=360円。国が全力を注ぎ、効率的な生産と輸出を最優先しても不思議ではない。生産拠点となる大規模な工場や倉庫を輸入輸出に最適な海沿いに集中させ、それらを結ぶ交通網を全国に整備し、資金も労働力も全国各地から集中させた。10代、20代の働き手は東北からは東京や神奈川へ、九州からは関西へと、大量に注ぎ込まれた。一方で、地方は若い働き手がいなくなり、一次産業と土木建設業だけが主な産業となって残った。人は都市部へ注がれ、その代わりに、加工貿易で潤った企業の収益が納税という形を経て、交付金となり地方へ戻され、道路などの公共工事が盛んに行われた。それで都市部と地方とのバランスも取れていたのだ。こうして日本は“選択と集中”により、加工貿易という勝利の方程式で高度成長を遂げ、戦後復興を果たし、経済大国と呼ばれるまでになった。

しかし、今は違う。為替レートは変動制になり、日本の得意先であったアメリカはとうとう「今や消費大国ではない」とオバマ大統領が就任演説で宣言するまでに至る。実体経済から資産経済へと世界は変わり、効率重視でゾーニングをしてきた日本には、その代償として、崩壊して体を為さない共同体と、過疎化した地方と、同質化した都市部が残され、そして自分探しをする若者が増加している現実。日本の戦後復興もその代償も、また世界経済も、“決して別の世界の話ではない”のだ。

 


農業に限らず、

全産業にとっての脅威となりかねないTPPとは?



すでにもう日本の高度成長を支えた20世紀型の経済構造は通用しない。にもかかわらず、さらに深刻な問題をはらんでいるのがTPPだと増田氏は語った。「その通り!」と言わんばかりに大きく頷く参加者に、ここ鹿児島県は北海道に次ぐ第2の農業県であり、TPPへの関心の高さを実感した。しかし、TPPは農業に限った危機ではない、全産業にとって脅威になりかねないことを、この後の話で思い知ることになる。

TPPとは、Trans-Pacific Partnership、環太平洋戦略的経済連携協定(あるいは環太平洋パートナーシップ協定)と呼ばれる経済連携協定だ。もともとは、シンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドの4カ国で発効したが、ここにオーストラリア、ペルー、ベトナム、マレーシア、そしてアメリカが参加もしくは参加に向け交渉を進めている。日本は参加するか否かで賛否が分かれているが、日本政府の結論はまだ出ていない。ここ最近はマスコミを通じ、推進派の意見が勢いを増しているように感じる。

増田氏は、TPPの本題に入る前に、日本と各国の農業事情について解説した。カロリーベースでの日本の食料自給率はわずか40%だ。日本よりも低いのは、アイスランドやスイスなど耕作地面積が少ない国だけ。イギリスの食料自給率はおおむね80%、ドイツはほぼ100%、アメリカは120%、フランスは130%だという。日本はこれまで農業を縮小してでも工業化を進めてきた。その結果、欧州各国が国民ひとりあたり1年分の小麦を備蓄しているのに、日本には国民ひとりあたり1カ月と10日分の備蓄米しかないという。食料は国家の安全保障にかかわるはずだ。思わず“兵糧攻め”という恐ろしい言葉が浮かんでしまったのは私だけはないだろう。

しかも、日本の農家の時給平均は200円。それでは経営は難しく、後継者問題、耕作放置地問題が叫ばれるのもムリはない。しかし、外国の農家事情は異なるようだ。日本では豊作の場合、取り引き価格が下がり、その分農家の収入は下がり、必然的に生産意欲もダウンする。が、欧米では豊作でも農家の収入が下がることがなく、生産意欲もアップする仕組みなのだ。それだけ政府の保護が手厚いのだという。たとえばアメリカでは、目標数値というのがあり、10キロ1万円と仮定すると、もし目標巣値に達しない場合は政府がその分を補填してくれる。逆に豊作の場合でも、国が買い上げ、輸出に回してくれ、農家には目標数値を超えた収入が入いるという。自国の食料自給を保護するために、他の先進国は農家への手厚い制度を整えているのだ。日本でも農家がまるで手厚く保護されているようなイメージがあったが、どうもイメージと事実は違うようだ。もしその通りであれば後継者問題など起こるはずもなく、従事者が増えてしかるべきだろう。

「アメリカはかつて、日本のお得意さまであり輸入国でしたが、今や輸出国に変わってきています。さらに輸出を促進したがっています。その相手国としているのが日本です」と、増田氏は、昨年発表されたアメリカ通商代表部のレポートを示した。そこには、『アメリカ政府は日本市場におけるアクセスと機会を拡大するために、日本に対し貿易及び貿易関連の問題を幅広く検討させる』と記してある。つまり、日米経済調和対話開始の宣言だ。それとTPPがどう関係するのか? 答えは簡単だ。2国間の貿易交渉ならば、どちらが拒否すれば成立はしないし、様々な条件交渉が発生する。しかし、多国が参加するTPPならば、そうはいかない。参加国の顔ぶれを見れば、どこかイニシアティブを取るか、一目瞭然ではないか。

「最近、目にするようになった外資系で思い浮かぶ業種はなんですか?」と増田氏は参加者に問いかけた。

「銀行」「保険会社」

増田氏はその答えに満足するように微笑んだ後、瞬時に厳しい表情になり、TPP作業部会の24項目について解説した。その中で特に目をひいたのが、ズバリ「金融」と「投資」の作業部会だ。この2つはもともと存在しておらず、アメリカがTPP参加に加わってから、そのアメリカが提案して設置されたものだ。アメリカにとって、TPP参加国の中で、この2項目の取り引き相手になれるのはどこか? 誰が見ても日本しかない。増田氏は次に、アメリカの輸出グラフを示した。ここ数年で伸びているのは、サービス業、中でも特許と金融だ。最近のテレビCMでも、外資系の銀行や保険会社を多く見かけるようになったが、当然、これだけでは終わるはずもなく、次の手も用意しているだろうことは容易に予想できる。「ズバリ、アメリカは日本の共済市場を狙っている」と増田氏は語った。自国の国益を考えれば、市場として美味しい相手を狙うのは当然のこと。デフレ不景気の日本に金がないのかと問えばそうではない。日本は国民総資産でアメリカに次ぐ規模なのだから。




ではなぜ、日本政府はTPP参加せずと決定しないのか?
「参加した場合のメリットがないとは言い切れないからです。日本の基幹産業は、電子機械分野と自動車産業ですが、その2大産業が、世界の中でアドバンテージを握れていないのがオセアニアです。TPP参加によりオセアニア市場を取れれば、日本経済は再びチャンス!と経済界は見ているのです」と増田氏は分析した。

それにしても不思議なのが、日本ではTPP関連の情報公開があまりにも少ないことだ。増田氏が示したレポート、グラフ、作業部会項目をこれまで報道で見たことがない。また、他国の農業保護の実態も話題にされていない。報道を見る限り、農業は生産性も意欲も低く、時代遅れの産業だからTPPに反対している、という印象だ。もちろん、TPP賛否の要因はそれだけではないのだろう。EUや中国を見据えたアメリカや日本の思惑、世界市場のパワーバランス、様々な国家間の協定、防衛問題など、多くの諸問題とそれぞれの国益が複合的に関連しているのだろう。だからこそ、情報を公開できない、とも言えるし、それほどに“経済は戦い”なのだと痛感する。そんな戦いの中に、いやおうなく私たちは巻き込まれているのだ。

また、TPPの非関税障壁撤廃についての報道も少ない。非関税障壁とは“関税ではない壁”であり、つまり関税以外の障壁を撤廃するという意味だ。具体的に増田氏が例を挙げた。

「鹿児島市役所の入試問題には、最低でも英語、もしかするとスペイン語も必要になります。市町村の工事発注書なども同様です。日本語だけでは、それ自体が障壁となりTPP違反になりますから。また日本は食の安全をとても重視していて、安全基準が世界的にも非常に高いのですが、農産物の暫定農薬基準や添加物基準が参加国の基準に揃えられます。残留農薬基準は日本の考え方の逆になります。日本では、使用農薬として一覧に明記されていないものは使用禁止ですが、TPPルールでは逆で、一覧に掲載されていないものならOKとなります。何を使用しているのかわからない。牛肉の全頭検査も撤廃、遺伝組み替え食物の表示義務も廃止です。日本の農業がどうとかの問題ではなく、食の安全追求が崩壊します」


加速するデフレ、とまらない円高。

日本の雇用は?消費は?行方は?



増田氏は、「TPPや規制緩和、構造改革はインフレの時ならまだしも、現在のようなデフレではさらに経済が壊れる」と警告した。諸外国からさらに安いものが輸入されれば、国内企業は価格競争に負けじと人件費削減のため雇用をさらに減らし、収入が減った消費者はさらに価格が安い商品しか買わず、利益が薄い企業はさらに……、その繰り返し。せめてこの円高が改善されれば、国内メーカーが息を吹き返せるのではないか? 国外脱出を食い止められるのではないか? 円高が改善される見込みはないのか? その淡い期待を増田氏が一掃した。

「円高が是正されればいいんじゃないの? と思われるかもしれませんが、そうは簡単にはいきません。これだけの大震災が起こっても、円は安くなりませんでしたよね。他の国、新興国なら大変です。供給力が落ちて、お金を持っていてもモノが買えない事態になっておかしくないはずです。そんな通貨なら当然、安くなる。なのに円はそうはならなかった。もともと日本は食料の輸入が多く、食料生産に影響を受けませんでしたし、工業製品などの供給力がそもそも豊かすぎるのです。震災後の一時期、東京はモノが減りましたが、鹿児島はどうでしたか?」

「電池が品薄になったくらいです」

「供給力の強さと食料を輸入に頼っている条件の中で、円は下がりません。供給量が過剰である限りデフレになるので、円の価値は下がりません。つまり、いま持っている1000円でシャツが1枚買えるとすると、デフレの場合、将来は1000円で2枚買える可能性があるわけです。言い換えれば、名目上の金利がゼロでも、実質的な金利が異常に高いわけです。さらに言えば、冒頭で語ったように、人間の共同性が壊れている社会では、平気で従業員のクビを切れるし、取り引き先を叩けるわけで、さらにデフレが進行していきます。だから円は安くならないのです」

では、これだけ厳しい時代の中で、これから私たちはどうあるべきか。もう一度、人間は本来どういうものかという原点に立ち返り、それぞれが持つ役割を生かし、互いに支え合っていける共同体で経済をつくらねばいけないと、増田氏は強調した。

「人間関係がない中でビジネスをすると、相手が人間ではなくモノに見えてきます。顔も知らない相手なら、ただただ安い方がいいとなってしまいます。でも、相手が知り合いだったら、むげには叩けませんよね? 人間関係があれば、自分も苦しいけれど、ちょっとずつでも一緒に儲けようと思うものです。もう一度、仲間で分け合う、得意技をわかっている相手と少しずつお互いに得ていこうよとやっていかないと、デフレは止まりません」


人間本来の共同性に満ちた21世紀型の経済、

もう一度、人のためのコンクリート、人のための食品を!



ここで増田氏は、「人のためのコンクリート」と、どこかで聞いたようなキーワードを示した。そう、かつて民主党が、2009年の衆議院選挙の際にキャッチフレーズにした“コンクリートから人へ”の逆だ! 

「この国は地震国です。16年前の阪神・淡路大震災、その後の中越、柏崎、宮城・岩手内陸、そして東日本大震災と、短期間に大地震が何度も起きていますよね。これでもうおしまいという保証も、これが本州だけに止まるという保証もないですね。学者たちは一生懸命研究していますが、予知ができていません。関東や東海はすぐかも知れない。でも、事業仕分けで、高速道路や学校の耐震化はストップ。原発もたとえ稼動停止と決めても廃炉にするまでに何年もかかります。地震列島で原発列島のこの国で、安全に生きていくためには、もう一度、人の生命と暮らしを守るためのコンクリートが必要なのです。これからの経済は、いくらモノをつくって外国に売っても、円高の影響で収益は目減りします。しかし、復興予算と安全な国づくりのために政府が財政出動するならば、政府が国内企業に支払う1000円は1000円のままの価値を保ちます」

公共工事もまた農家と同様、ネガティブキャンペーンと呼びたくなる報道により、良くないイメージが刷り込まれている。ふと、「千年に一度の大洪水のためにスーパー堤防は不要だ」と、大震災の前に事業仕分けされたことが頭をよぎった。増田氏は、もう一度、人のためのコンクリート、人のための食品が大事だと力説した。

「日本中にお金が余っています。復興財源捻出のために郵政株やNTT株も売ると政府案が出ていますが、そのへんを頑張ってもらいたい。郵便貯金をはじめ、塩漬けになっている個人資産は多いのですから、そこを活用する政策を取ってほしい。安易な増税は、消費者の財布のひもを堅くし、さらにデフレと不景気を促進させますから、私は反対です。また、安全な国土づくりと合わせて、安心な食糧・食品の供給が経済再生のカギになってきます。TPPを通じたアメリカの要求に簡単に屈することなく、日本の農家が安全・安心印の食糧をもっともっと生産できるようにし、その流通・販売を促進することが大切です。人のためのコンクリートと、人のための食糧・食品、つまり、『古くさい、終わった』と罵られてきた土木建築と農業がこれからの日本経済を元気にするためのキーワードです。安全な町、安全な食べ物にお金を使う。そうなると、地方都市が頑張れます。地方にもお金が回ってきます。当面は東北にシフトされるでしょうが、使い途のない個人資産を国内へ回せば、大きな転換になると思います。

というわけで、今後は、重機を扱える人、ユンボやブルドーザー、フォークリフトなどを扱える人が必要になってきます。道路や橋梁、建物づくりにも必要ですし、生産効率のいい農場づくりにも必要です。物流にも必要ですね。これからもう一度、技能職が多く必要となってきます。安全な町づくりとなれば、東北だけでなく、日本中で必要となるでしょうし、そして物資や食料の流通、関連サービスも伸びていきます。円高の影響を受けずに回るお金の流れの中で、小規模事業者にも事業機会がたくさん回ってきます。そういうチャンスや情報を共有して、人間本来の共同性に満ちたお互いさま経済を築き、富を仲間と分け合うのです」

「あえて言わせていただきますが……」と言った後、
数秒の間を置き、さらに力を込めて増田氏は言葉を続けた。

「大震災による悲しみ、無念さ、ご苦労は言葉で表せないものですが、千年に一度のピンチならば、涙をぬぐって、今後を、千年に一度の復興のチャンスにしなければいけないですよね! 日本中が強い町づくりに向けて動くのですから、大中企業だけでなく、中小零細企業も頑張らないといけないと思います。日本中を強くて安心で安全でいい町にしていくためのビジネスをフル稼動させましょう。
保険、金融、証券、世界経済の垣根がなくなっています。なんとか資産経済にお金を取り込まれず、国内で回していけるようにし、怒濤の世界経済から仕事と生活とを防衛しないとなりません。政治家も官僚も、もういっぱいっぱいです。助けてくれません。助けたくても助けられないのでしょう。だから民間で、つまり自分たちひとりひとりで生きていくための経済をつくらないといけません。人のためのコンクリート、人のための食品が、2012年からのキーワードになると思います。ぜひ、ここに注目して、自らの、そして仲間のチャンスをさぐるべく、力を合わせて取り組んでいただければと思います」


■第2部 頭脳交換会



休憩を挟んで始まった頭脳交換会。これは、テーマに沿って会話を重ね、建設的な意見を出し合い、ブラッシュアップしていくNICe流の意見交換会のこと。2チームに分かれ、模造紙に自由に書き込みながら、2つのテーマで頭脳を交換した。





●第1ラウンド「大地震に際し、どんなことを備えたらいいか?」

ブルーチーム/
・水、情報、家具の転倒防止、靴の確保
・逃げ道の確認、避難先の知識
・ハザードマップは必要
・備えるものは場所によって違う。車の中で、都市部で
・また山間ならロープも必要
・自宅にいるとは限らないので、いる場所で情報がわかる仕組み



レッドチーム/
・電話が通じないだろうから、家族や関係者と待ち合わせ場所を決めておく
・鹿児島は地震より水害が身近だが、防災用品は揃えたい
・ヘルメットも揃えていないので、揃えようと思う
・隣近所と飲み会などを始めてコミュニティづくりをし、そこから地域の協力体制を築く
・いつ来るかわからない地震への備えより、心身が健康でいることに努めるべき







●第2ラウンド「備えから考えられる新サービス、新製品とは?」

ブルーチーム/
・ハザードマップ等のアプリケーションビジネス
・耐震マークビジネス
・鹿児島は比較的安心安全なので、それをアピールしてUターン、Iターンを促進する
・車の工具箱に防災グッズをプラスする(ディーラーのサービスとして提案)



レッドチーム/
・防災グッズを町内ごとにまとめて発注し格安にしてもらう
・アマチュア無線の簡易版
・PTSDに備えた訓練所、地震が起きる前の心構えや鍛錬の場づくり




・民間人がレスキューの知識を覚えられるのはニーズはあると思う
・阪神淡路大震災以降、ベッド脇にスニーカーを置いている。どのように対応するか講習もいい
・地域のコミュニティで周知して、こういうスニーカーをまとめて注文しませんか?と、声をかければ、いつかと思って買いには行かないので注文する機会になる。防災グッズも同様。めいめい揃えましょうだと、そのうち買えばいいやと思ってしまう
・都会は共同体がないが、地域はあるのでそういうルートがいい。防災用具をまとめたチラシ、地域ごとの安全マップ制作とか



チームごとの話し合いは1テーマ各10分ほどだったが、発表後の頭脳交換は全員で活発に行われた。終了予定時間をオーバーし、まだまだ意見が出そうだったが、続きは懇親会でとなりお開きに。総評で増田氏は、「緩く始めて意見を重ねていくうちに、刺激を受け合ってこうしてアイデアが出てくることがあります。ひとつのテーマでいろんな頭脳を寄せ集める体験をしていただきました。頭の数だけ、面白い話になるので、頭が元気になりますよね。こういう機会をぜひまた設けてください、よろしくお願いします」と嬉しそうに述べた。



▲NICeチャリティセミナーin熱血!鹿児島
に集った熱血な皆さん、どうもありがとうございました!


▲初代NICeTシャツのラスト1を予約購入してくれた
熱血!鹿児島実行委員の大迫正純氏
Tシャツ代金は全額NICe震災復興支援活動資金へ


▲左から、大坪氏、増田氏、大迫氏

■NICeチャリティセミナーin熱血!鹿児島実行委員長・大坪潤次氏から一言

「使用した会場に慣れていなかったため、準備の段階でバタバタしてご迷惑をおかけし、すみませんでした。

増田さんとの出会いは、7年前。雇用能力開発機構が実施していた、起業家、第2創業を支援する、『アントレプレナー Do it!』の取材で鹿児島に来ていただいた時でした。当時、私は職業訓練を受講していて、将来に不安を抱きながら、なんとか、どうにか、自立した働き方(生き方)ができないものかとあがいている時期でした。

セミナー後の懇親会で、すでに全国区で活躍されていた増田さんが何者で、どんな活躍をされているか知りもせず、どうせなら楽しそうなところに行こうと隣に席を陣取り、話題の豊富さと懐の深さにいつの間にか惹き込まれていきました。

それから、事あるごとに鹿児島で、久留米で、渋谷で、なみへいで、鹿児島×?回で、と、元気をもらい続けています。今回の『熱血!鹿児島』も、恵比寿で呑みながら、『一次産業が盛んな鹿児島には売るものはたくさんあるのに、売れるのは大きな資本を持つ企業ばかり!小さな細々と頑張っている人たちは、いいものをつくっているにもかかわらず、売り方がわからず、諦めているような節さえあるんです。NICeを活用して全国に打って出れば、もっともっとたくさんの楽しみが得られるだろうに!』と語ったことが始まりでした。

講演を聞いて、これからは都市部も地方も関係なく、未曽有の(グローバルな)危機にさらされていると実感しました。と同時に、あらためて、これからの日本にNICeと増田さんは必要だと感じました。参加していただいた皆さんも、懇親会まで含め、とても印象深く感銘+楽しませていただきましたとのことでした。今回は大雨や台風などに冷や冷やしながらの開催でしたが(とても、波瀾万丈でした)、これからも全国行脚で、生の声を届けていただきたいと思います。

最後に、多分に私感ですが、次のような疑問&考えも浮かんできました。
・もしかしたら、今、コミュニティとしてのつながり力は発展途上国の方が強いのでは?
・それをうまく活かせないのかな?どこかにヒントはないかな?
・ということは、日本だけでなく、世界的に「つながり力」は可能性を秘めているんじゃないかな?
・もしかして、NICeは世界を救うかも!!

いろいろと、本当にありがとうございました」


取材・文、撮影/岡部 恵

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