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第11回 NICe全国定例会 in 名古屋レポート



2011年9月23日(祝・金)、愛知県名古屋市で第11回NICe全国定例会in名古屋が開催された。台風一過の晴天のもと、地元愛知県内をはじめ、埼玉県、東京都、神奈川県、岐阜県、三重県、滋賀県、大阪府、兵庫県など、全国各地から総勢33人が結集した。内容は3部構成で、NICeの増田紀彦代表理事の基調講演、株式会社池山メディカルジャパン 代表取締役・池山紀之氏の基調講演、そしてNICeではおなじみの頭脳交換会、さらに開催直前にはランチ懇親会、翌日には名古屋名物のモーニングサービスとトヨタテクノミュージアム産業技術記念館見学のオプショナルツアーも用意され、まさに“名古屋盛り”なビッグイベントとなった。




■オープニング




▲第11回NICe全国定例会in名古屋の実行委員長・菅沼之雄氏が開会を宣言し、定例会の内容とタイムスケジュールを説明。NICe全国定例会の縦看板は、大阪のNICeな仲間・中島昭二氏から贈られた


▲参加者は受付けで選んだ戦国武将名を目印に、各テーブルに着席。配布資料はなんと、実行委員会が用意したNICeのロゴ入りのクリアファイルに納められ、しかもNICeシールのお土産付き!




■第1部 基調講演



一般社団法人起業支援ネットワークNICe 代表理事 増田紀彦氏

「ほんとに頑張れニッポン!

つながり力で、震災・TPP・デフレを乗り越えよう」




▲一般社団法人起業支援ネットワークNICe
代表理事 増田紀彦氏

拍手で迎えられた増田氏は、表情こそにこやかなものの、厳しい言葉で講演をスタートさせた。
「昨日、世界中で大きな株安が進行したとニュースがありました。世界中に激震が走り、世界経済がさらに下ぶれになるのではないかと報じています。今日は祝日ですが、週が明けて一体、日本市場はどうなっているか。また、アメリカの景気後退は進み、EUはギリシャを支えるのにアップアップの状態です。世界経済は実に私たちと密接な関係にあります。その中で、今でもすでに大変な2011年が、さらにどうなるのか、2012年にかけてどうなっていくのかということを、しっかりと注視していかなければなりません。

今日の講演テーマは、“つながり力で、震災・TPP・デフレを乗り越えよう!”です。震災の問題は本当に深刻ですし、TPPがどんなにすさまじいか。放置しておくと、日本の経済が縮むだけでなく、日本の国のカタチが変わってくほど、大きな大きな歴史的な変化が込められています。そして、震災、TPP、デフレは、全部関連しています。日本経済のみならず、悩ましい問題が襲いかかって来ています。手をこまねいていると喰えなくなる、そんな時代の中で、私たちはどうしたらいいのか。そのキーワードがつながり力です。その関係を今日は時間が許す限り、つまびらかにしていきます」




人間とは本来どういうものか

天賦の才=子どもの頃に夢中だった“マイ動詞”は何?



国のカタチすら変わるという冒頭の厳しい言葉とは裏腹に、増田氏がプロジェクターに映し出したのは、カメラ目線で思いっきり微笑んでいる自身の写真だった。北海道のとある小川で撮ったという満面の笑顔、その手はサケを抱えている。

「たまたま通りがかった小川が何か真っ黒なもので揺れていたのです。それは、サケの遡上でした。たくさんのサケが、川底の石にぶつかりながら必死に上がってきていたのです。もう卵を生む力だけが残っている状態で、彼女らは既にいっぱいいっぱい。だから私でも簡単につまかえられたわけです。なぜ、こんな話をするかというと、目の前にサケの遡上を見たら人はどうするか? です。私は千載一遇のチャンス!と思って採りました。皆さんは、どうしますか?」



「つかんでいると思う」「観察する」「写真を撮る」「僕も写真」
「写生している時間はないですものね(笑)」と増田氏。

「ツイッター」
「遡上ナウ、とか書くんですか?」

「持って帰るかな」
「それはマズい!」と増田氏は慌てて言葉を続けた。
「条例で採ってはいけないのです。それに身がもうぼろぼろで食べられる状態ではありません。さて、条例は守るとして、何が言いたいかというと、人は同じ情報を入手しても、その後の行動がまるで違うということです。情報が視覚から脳へ入り、脳は筋肉に命令を下します。何もせずに見ている、手を出して採る、いずれもその時の動きは人によって異なります。それは、三つ児の魂、百までも、という諺に関連するのです」

“三つ児の魂、百までも”とは、3歳児頃に確立されたその人の適性・特技は、大人になっても不変という意味の諺だ。その適性・特技は個々で異なること、さらに、これほどの能力差があるのも、生き物の中では人間だけの特徴だと増田氏は語った。また、ほ乳類のほかの動物は、誕生間もなく自ら母乳を求めて動くが、人間は生まれてすぐに自力で乳が飲めない点も注目だという。なぜそんな未完成の状態で生まれるのか。それは、人間はあらゆる環境に適応して生きていけるよう、3歳ぐらいまで外的環境を学習しているからだという。

「生きていく環境を時間をかけて学び、その後で、“三つ児の魂”、天から授かった能力が確立するのです。その能力を端的に言うと、動詞で表すことができます。では、その自分の動詞はどうしたらわかるのか? と言えば簡単で、子どもの頃に大好きだったこと、得意だったこと、夢中だったことです。私の場合は、見つける、が得意でした。虫や魚や小動物を見つけるのが得意で、その得意を証明するために、つかまえる、発見する前の調べる、というサブの動詞も備わっていきました。皆さんは、子どもの頃、何に夢中でしたか?」

増田氏は会場内を歩き回り、参加者に聞いた。
「モノを拾って集めること」
「どんなもの?」
「おもちゃとか、棚とか。粗大ゴミとか集めてくるのが好きでした」

「ぽこぺん」
「何それ? 遊び? どんな?」とまた質問。
「鬼ごっこや缶蹴りみたいな遊びです」




「じゃ、後でやってみましょうか(笑)。あなたは何に夢中でした?」
「ルアーつくること」
「絵を描くこと」



「絵を描くことが得意と答えた伊藤麻美さんは、それはそれは素晴らしいチラシをつくってイベントの集客をします。皆さんの夢中だったことは、実にバラバラでしたね。でもバラバラだからこそ、組み合わさっていけるのです。ほかの生き物と比べて人間は、誕生直後のリスクは大きいし、成長に手間もかかりますが、その分、どんな環境でも生きていけるからこそ、世界中で社会を形成できるのだし、集団で能力を掛け合わせながら生活と社会を発展させていける特殊な生き物なのです。本来の人間とは、そういうものなのですが、最近は違ってきました」


なぜ、“自分探し”をする日本人が増えたのか?



「最近、“自分探し”という言葉がありますが、自分は何が得意か、まわりからどう見られているか、わからない若者や大人が増えてきました。昔はわかったはずなのに、です。なぜなら、自分を探さなくても、まわりから探されたものだからです。自分はこれが特技なのだろうなだと思いながらも、別のこともしたくなりますよね? 草野球ならば、4番でピッチャーがカッコいいと自分もやりたくなります。でも、アイツの方がすごい、こいつにはかなわないと、わかってきます。遊びでも学校でも、地域の中で、集団の中で、自分のポジションがわかってくるんです。こういう場面ならリーダーだ、サブだ、メンバーだと、ポジションも変わってきます。どの部分なら自分は集団に貢献できるのか、わかってくる。人のこともわかってきます。図にまとめるのが得意な人、読み上げて効果的に言うのが得意な人、すごいなと思える人、いますよね? ところが今は、探されないまま大人になって、自分は何が得意かわからず、どう世の中の役に立つのか、言い換えれば、何をしたら充足感があるのか、悶々としてしまう人が増えてきたのです」

それはなぜか。人間が本来持っているはずの“三つ児の魂”により、役割分担して形成されてきた共同体が今はどうなっているのか。話題は、戦後復興から現代へ、その課程で変貌した日本、そして20世紀型経済の終焉へと及ぶ。


戦後日本を復興させた勝利の方程式“加工貿易”

その代償とは?



「明治・大正・昭和の初期までは、ひとつの地域にいろいろな職業の人がいました。お百姓さんはもちろん、学校の先生、自営業、会社員、大工さん、工場の職人さん。いろんな仕事があって、どこの親が何をしているか、違いもわかりました。その子ども達も同じように、違う特技を持っていました。しかしその後、日本の地域は住宅街、商店街、オフィス街、工場街、農業地帯と色分けされ、住宅街には同じような特技、同じような悩みを抱えた人が集まりました。地域にひとつ大きな会社があれば、営業に向いている人の家族が多く集まり、その地域の中で適性に差が出てこなくなります。

ましてそれに輪をかけて、近年は小学校からのお受験が進みましたね。本来、じっくり自分が周囲から探される時期なので、これはちょっと早すぎると思います」

なぜ日本は、そんな国づくりをしたのか? それは、驚異的な高度成長を遂げた戦後復興に起因しているという。日本は国を挙げて加工貿易立国を目指し邁進してきた。太平洋沿岸の京浜から、中京、阪神、瀬戸内、北九州まで、太平洋ベルト構想により工場地帯を徹底的に整備し、そこに資金も労働力も大量に注ぎ込んだ。日本は、あえてこの道を選択したのだ。なぜなら、敗戦の焼け野原から立ち上がっていくためには、当時の為替レート1ドル=360円を生かし、欧米へ輸出する加工貿易を至上命題としたからだ。そのために効率的に輸入・製造・輸出できるよう、町づくり、国づくりをし、さらに日本復興への高い意欲、日本人特有の器用さ・ものづくりのうまさ・勤勉さも拍車をかけ、加工貿易はまさに日本経済の勝利の方程式となっていった。そのおかげで確かに日本は戦後復興を果たし、GDPは向上。経済大国と呼ばれるまでになった。たがその結果、都市部が栄えた一方で地方には若い働き手がいなくなり、一次産業と土木建築業だけが主な産業として残った。その格差を埋めるべく、都市部の利益は地方交付金として地方へ回され、都市部と地方とのバランスは保てていた。

だが、今はもう違う。時代は変わり、日本の得意先であったアメリカは、オバマ大統領が就任演説で「今や消費大国ではない」と宣言するまでに至る。実体経済から資産経済へとお金の行き先が変わり、加工貿易という日本の勝利の方程式も弱体化した。そして今、日本には体を為さない共同体と、同質化し過密化した都市部と、過疎化した地方が残され、自分探しをする若者が増加し、産業格差・地域格差が深刻化している。

本来あるべき人間の共同体は、異なる能力が組み合わさっていくことで成立し、発展していけるものだ。しかし同質化社会では、自他の適性がわからず、ほかからの刺激もなく、もろくなり、共同体は崩壊すると増田氏は述べた。さらに円高はいっこうに収まる気配を見せるどころか、ますます進む勢いだと警告した。

「こうなるとますます国内メーカーは海外へ脱出するしかありません。政府は必死で企業を国内にとどめようと補助金を出すと言いますが、円高はおさまりません。ちなみに、円高とデフレはとても関係があります。今は1000円で5本のドリンクが買えても、供給過剰で値段が下がるとなれば、この先7本買えるかもしれないのですから、円を手放さない方がいいとなりますよね。つまり、高金利でお金を持っている状態なのです。名目上の金利がゼロでも、実質的な金利が異常に高いわけですから、価値交換の高い円を手放すのはもったいないという考えになるのです。逆にインフレの国の通貨を持っていると、将来何も買えない危険があるからと手放します。この円高の状態はいくら政策介入しても、誰も円を手放す意欲はわきません。円高はとまらない。そんな厳しい状況の中で、今日特に強調したいのがTPPです」




詳細が公表されないTPP、その脅威とは? 真の狙いは?



「皆さん、TPPは何の略かご存知でしょうか。ボケて答えてくれる人、いますか?」

間髪を入れず挙手したのは安達大祐氏だ。
「TPPは、徹底的にパクってパクってパクりまくる」

「(笑)それじゃ、TPPPですね。でもいい線いっています。
あらためてTPPとは何か。野田内閣になってから少しずつ閣僚の発言が出てきましたが、政府はTPPが何か、その詳細を公表していません」

TPPとは、Trans-Pacific Partnership、環太平洋戦略的経済連携協定、あるいは環太平洋パートナーシップ協定と呼ばれる環太平洋諸国の経済連携協定のこと。もともとは、シンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドの4カ国で発効した。農業国2国と、農業国ではない2国の協定だったが、ここにオーストラリア、ペルー、ベトナム、マレーシア、そしてアメリカが参加に向け交渉を進めている。日本は参加するか否かで賛否が分かれているが、日本政府の結論はまだ出ていない。

TPPとはどういうものか、その参考資料のひとつとして増田氏は昨年発表されたアメリカ通商代表部のレポートを示した。そこには、『アメリカ政府は日本市場におけるアクセスと機会を拡大するために、日本に対し貿易及び貿易関連の問題を幅広く検討させる』と記してある。つまり、日米経済調和対話開始の宣言だ。

「日本市場におけるアクセス機会を拡大する、と書いてあります。来年はアメリカの大統領選挙がありますよね。なんとしてもアメリカは雇用問題、不景気を立て直したいと考えています。その立て直しを支えるのはどこか。日本です。アメリカが、『ものを買ってくれ、雇用促進に貢献してくれ』と日本に対して必死に攻勢を仕掛けますよ、と言っているのです。でも2国間の協定となれば、どちらが拒否すれば成立はしないし、様々な条件交渉が発生して簡単には決着しません。そこにTPPです。アメリカは気が付いた。最初は小さな4カ国で始まったTPPですが、アメリカはもちろん、そんな小さな国には興味があるはずありません。開放するに値する市場を持っている国、日本をTPPに参加させ、日本市場を狙いたい、それがTPPに参加したアメリカの思惑です」

日本の市場獲得のために、アメリカが参加した? 確かに参加国の顔ぶれを見れば、どこかイニシアティブを取るかは一目瞭然だ。2国間では難しい交渉も、9対1ともなればとおりやすい。だがアメリカは一体、日本市場の何を狙っているのか? 日本での報道を見る限り、TPPで話題に上るのは農業と工業分野だ。特に最近では、日本の農業はTPPに反対している、だから日本の農業はダメなのだという論調が勢いを増している。

この次に増田氏が示した『TPPで検討している24の作業部会』一覧で、TPPは農業や工業に限った危機ではなく、全産業にとっての脅威になりかねないことを思い知る。しかも、アメリカがTPPに参加する前の作業部会は、22項目だったという。アメリカが参加した後に、追加設置された2項目とは何か?

「それは金融と投資です。ズバリ、アメリカは日本の金融・保険市場、厳密に言えば、共済マーケットを狙っているのです。TPPに関して日本で報道されるのは、農業と工業分野に関してだけですが、それは24部会の一部にしか過ぎません」と増田氏は言い切った。

自国の国益を考えれば、市場として美味しい相手を狙うのは当然のこと。アメリカが悪いわけではない。デフレ不景気の日本に金がないのかと問えばそうではない。日本の国民総資産は、アメリカに次ぐ規模なのだから。さらに増田氏は、TPP参加による生じる非関税障壁撤廃について、その一部を具体的に解説した。7億円以上の工事の入札権の開放もそのひとつだ。7億円とは、市町村で発注できる規模の公共事業が含まれるという。さらには、その発注書も最低でも英語、スペイン語も必要になるかもしれないのだ。労働環境も同様に、日本語だけではTPP違反となるし、低所得労働者だけでなく、医療関係や技術者などの高所得労働者も規制撤廃され、外国人労働者が大挙して入国できるようになる。特に脅威なのは、日本の食の安全が崩壊することだと増田氏は語った。世界的にも高い安全基準を誇る日本だが、TPPでは農産物の暫定農薬基準や添加物基準が参加国の基準に揃えられ、残留農薬基準の考え方も現在の日本とは逆になる。日本では現在、使用農薬として一覧に明記されていないものは使用禁止だが、TPPルールでは逆で、一覧に掲載されていないものなら使用可能となる。また、牛肉の全頭検査も撤廃、遺伝組み替え食物の表示義務も廃止。まさに講演の冒頭の言葉どおり、「TPPは日本の国のカタチが変わってくほど、大きな大きな歴史的な変化が込められている」のだ。しかし報道では、主に農業だけの話題のように扱われている。なんだこれは?

「こういう新しいことを国が主導で始めようとすると、必ず政府はキャンペーンを張ります。中でも効果的なやり方が、悪者、仮想敵をつくることです。かっこいいスローガンをつくることと、セットで行われます。関連する情報をすべて公開しないことも前提です」

確かに報道では、“平成の開国”というキーワードが盛んに使われている。あたかも、日本が江戸時代並みの鎖国をしているかのような論調で、『もっと開かれた国にしなければいけない』と。その開国を阻んでいるのは悪者であり、それは農協や農家かのようなニュアンスだ。農家を悪者扱いする理由として、日本の農家は手厚く保護され過ぎているとし、生産意欲が低下している時代遅れの産業、という報道すらある。しかし本当に手厚く保護されているのであれば、後継者問題など起こるだろうか? それほどおいしい産業ならば、逆に従事者が増えるのが自然ではないのか? 薄々抱いていた疑問に応えるように、増田氏は日本と各国の農業事情について解説した。

日本のカロリーベースでの食料自給率はわずか40%だ。イギリスは約80%、ドイツはほぼ100%、アメリカは120%、フランスは130%。先進国の中でこれほど低いのは日本だけだという。日本よりも低いのは、アイスランドやスイスなど耕作地面積が少ない国だ。一方でアメリカやフランスは余剰分を輸出までしており、自国での食料に心配がない。なぜ、それほど大量生産できるかというと、農家に対して日本とは桁違いの保護をしているからだという。ちなみにEUでは、EU予算の45%が農家保護制度に費やされているそうだ。

「外国は、農業さえやっていれば、一生食い倒れないレベルの保護を農家にしています。だから、輸出できるほど生産できるのです。もはや、世界中の流れの中で、いい作物をつくって高価格で取り引きするなどという発想は、ハッキリ言って幻想です。むしろ食物の価格が高かったら食料安全保障に差し支えます。食料は安くあるべきなのです。そのために税金で農家を支えるというのが、先進国の常識です。それを日本では報道しない。それどころか、あたかも日本の農家は国から手厚く保障され、税金を食いつぶす産業のような言われ方をし、開国の邪魔者のような扱いで報道されています。開国を邪魔する農業、日本経済の花形は工業製品だという図を描いているのです」

それほど条件が良くないTPPに、なぜ日本政府はNOと断言できないのか。
「日本の基幹産業は電子機械分野と自動車産業ですが、その2大産業が、世界の中でアドバンテージを握れていないのがオセアニアです。TPP参加によりオセアニア市場を取れれば、日本経済は再びチャンス!と経済界は見ているのです。しかし円高基調である以上、輸出頼みでは国益が薄いことを政府もわかっているはずなのに、です」

国益は薄いとわかっていながら、NOと言えない政府。TPP関連の情報公開も制約があるのだろうが、増田氏が示したレポート、グラフ、作業部会項目をこれまで報道で見たことがない。また、他国の農業保護の実態も話題にされていない。それどころか、日本の農業に対するネガティブキャンペーンがやけに目立つ。そこには様々な立場の思惑と事情が混在するのだろう。EUや中国を見据えたアメリカ、日本の思惑。世界市場のパワーバランス。様々な国家間の協定や防衛問題など、多くの問題とそれぞれの国益が複合的に関連しているからだ。だからこそ、情報を公開できないし、NOも言えない。増田氏は、「アメリカは優秀だ」と讃えた。経済という戦いの中で自国が勝利するため、経済界のニーズを聞き、財界と政府が組み、日本を籠絡する作戦をしっかりと練ってきているのだから。

そして「インフレの時ならまだしも、現在のようなデフレのときに海外から安いものを大量に買えば、マクロ経済もミクロ経済も壊れます」と増田氏は断言した。「これだけの大震災が起こっても、円は安くなりませんでした。日本は食料の輸入が多く、食料生産に影響を受けませんでしたし、工業製品などの供給力がそもそも豊かすぎるのです。そこにTPPによって諸外国からさらに安いものが輸入されれば、さらにデフレが加速します。外需は円高で厳しい。内需はデフレで厳しい。グローバル経済は実に凶暴なものです。課題を放置すれば、仕事がなくなり、景気がさらに悪くなっていく。では、どうすれいいのか、最後の話です」




人間本来の共同性に満ちた21世紀型の経済、

もう一度、人のためのコンクリート、人のための食品を!



「アメリカは経済という戦いに、財界と政府がタッグを組み、国家戦略を立てて臨んできます。であれば、日本も負けずに、対抗策を立てればいいのです。泣き言を言っていてもしたかがありません!」と檄を飛ばした。

「もう一度、人のためのコンクリート。これから日本がやるべきことは、土木建築と農業の強化です。民主党が『コンクリから人へ』をスローガンに、ハコモノをつくるのやめましょうと謳いました。ですが私は、そこにこそ注ぐべきだと言いたい。東北の復旧はもちろんですが、東北だけでいいのでしょうか? 30年以内にここ東海地方にも大地震が起こると言われていますが、それは明日か明後日かもしれない。学者さんたちは一生懸命研究していますが、予知はできていません。ひとつだけ、私たちがわかっている事実は、この僅か16年の間にとんでもない大地震が日本各地で起きているということです。東北で終わる保証はないですよね? それは願いにしか過ぎません。来年か5年後か、日本のどこかで大地震がまた起きてもおかしくないと思う方がむしろ自然でしょう。原発も、たとえ稼動停止と決めたとしても、廃炉にするまでに何年もかかります。地震列島であり原発列島であるこの国で、安全に生きていくためには、もう一度、人の生命と暮らしを守るためのコンクリートが必要なのです。事業仕分けで、高速道路や学校の耐震化はストップしました。あの阪神高速道路の無惨な落ち方、今でも覚えていますけれど、どこにでも起こりうることですよね? むざむざ国民が死ぬような、そんな危険な状態を放置していていいわけがありません」

公共工事もTPPの農家と同様に、報道によって良くないイメージが刷り込まれている。『コンクリから人へ』という民主党のスローガンが、談合摘発の数々のニュースと印象が重なり、事業仕分けによって公共工事が次々に中止決定されていくのを見ても、何か当然かのように感じた。だが震災前に、「千年に一度の大洪水のためになぞ不要だ」と、事業仕分けされたスーパー堤防のことが、震災後は幾度となく思い出される。「千年に一度」は、今日か明日か来年か5年後か、誰にもわからない。そのことを、私たちは3月11日に嫌というほどに思い知らされたからだ。

「復興財源捻出のために政府は郵政株やJT株を売却し、6兆円ぐらい組めると言っています。ぜひそこを頑張ってもらいたい。安易な増税は、消費マインドを低下させ、さらにデフレと不景気を深刻化させるだけですからいけません。日本中にお金が余っています。そういう活用されていない個人資産がかなりたくさんあります。国民が使いたくなるようなおいしい債券を発行し、眠っている個人資産を活用させ、それを大きな復興予算にし、国土づくりにまわしていくよう政府には頑張ってもらいたい。復興と安全な国づくりのために政府が財政出動すれば、政府が国内企業に支払う1000円は、為替に影響しない1000円のままの価値を保ちます。それが下請けへ、流通業へ、さらには飲食業へと日本国内をまわるのです。

TPPはこれからますます報道キャンペーンがされるでしょうが、安全な国土づくりと合わせて、安心な食糧・食品の供給が経済再生のカギになってきます。安心して暮らせて、安心してものが食べられて、うんと儲からないかもしれないけれど、なんとか楽しく生きていける。そういう心豊かな日本にしなくてはなりませんし、その時に、経済がまわっていくと思います。

そこで、自分たちの何が関係するかといえば、たとえば今日参加している大阪の永山仁さんは、職業訓練学校事業でフォークリフト教習をしています。安心して暮らせる国土づくりとなれば、今後は、重機を扱える人、ユンボやブルドーザー、フォークリフトなどを扱える人が大量に必要になってきます。さらに、そういう職人さんのマインドを育成していく事業も必要になるでしょう。たとえば、その受講生募集のチラシを、マンガチラシが得意な仲間、北出佳和さんに依頼する。そうやって国内で、皆さんの中で、仕事がまわっていくと思います。

これからもう一度、国づくりに大きくシフトしていくと思うので、その流れの中で、ビジネスチャンスをつかんでいただきたいですし、小さな事業者が仕事を分け合えるような、そういう体制をNICeもつくっていきます。NICeには、いろいろな業種の方がいます。ぜひ、子どもの頃の動詞を思い出してください。そして、ひとつの共同体と考えた中で、いろいろな能力がある人がそれぞれの得意や役割、能力を発揮して、仕事を分割していけると思います。そうすれば、しばらくは苦しい時代が続くでしょうが、納得感があって、楽しくて、そこそこ喰っていける、ということが実現できると思います。

2012年から5年間ないしは10年間、人のためのコンクリート、人のための食品、必ずこの流れが来ると思います。しっかり網を張って、仕事を回していける、そういう“つながり”をもっていきましょう。ですから、皆さん、自分の得意な動詞を認識し、それを磨き、チャンスが来た時に十分に得意技で仲間に応えられるように、来るべき時に備えておいてください」



■第2部 基調講演



株式会社池山メディカルジャパン 代表取締役 池山紀之氏

「あきらめない気持ち」



オーダーメイド人工乳房製作と、外科的再建手術MT計量法の普及を目指す株式会社池山メディカルジャパンの代表取締役・池山氏は、自社のシリコン製乳房を手に登壇し、自身のプロフィールから講演をスタートさせた。


▲株式会社池山メディカルジャパン 
代表取締役 池山紀之氏

名古屋生まれの池山氏は裕福な家庭で生まれ育ち、お手伝いさんが2人いるようなお屋敷に住んでいたという。もちろんその環境を子ども心に「裕福だ」とは認識はしていない。そんな家庭で育ちながらも、大学時代は親からの仕送りが一切なかった。「おやじはえらいなぁ」と今こそ思うものの、当時は食べるものにも困ったという。「食べものにありつくには彼女だ!」と、彼女を見つけて同棲生活をスタート。おかげで、食事には困らない学生生活を送れたそうだ。そして大学卒業後、父親が経営する会社に入社するも、興味がわかず、渡米。そのきっかけは、ミュージシャン浜田省吾氏の『アメリカ』。もちろん勝手に家を出るのだからと、ここでも親からの支援は一切なかった。

「またお金がない生活になったのです。体重は今の半分でした。それほど、食うにも困りました。アメリカに行って半年後には、ホームレスです。1年半ホームレス状態でした。ただ、貧しいけれど、心は豊かでした。友達がたくさん助けてくれましたし、教会でパンやスープをもらえましたから。それに、血液を売ることもしばしばでした。なぜそんな思いまでしてアメリカに居たかというと、アメリカンドリームに惹かれたのです。ただ、まっとうが仕事には就けません。これはあかんなと思っていた頃に、たまたま父親が友人とアメリカに来たのです」

その父親の友人が出席するという医療の学会に池山氏は同行し、通訳を担うことになる。「日本でも講演をするので手伝わないか」と言われたのを機に池山氏は帰国し、医療の世界へと入っていった。26歳の時だった。



しかし大学で歴史を専攻している池山氏にとって、医学はもちろん未経験。勉強のためにと再び渡米し、帰国したのは28歳、そこからが真のスタートになったという。父親が経営する会社に医薬事業部歯科インプラント事業を立ち上げ、形状記憶合金を使用した医療機器の開発製造に着手。それが世界初と認められ、世界中で講義するようになった。

「スタートは良かったです。経済産業省の賞などもいただき、大手企業からも『こういうサンプルできないか?』と、いくつもお話をいただきました。ところが、その特許をとっていませんでした(苦笑)。試作をつくっても、その特許をみんな取られてしまって。ところがひとつだけ、前立腺疾患のための機器をお医者さんと発明し、その特許は取得したのです。ですが、研究途中でその先生が亡くなり、しばらく頓挫。その後、友人から話があり、アメリカのベンチャーキャピタルに資金調達し、再スタートと思っていた矢先、9.11です。お願いしていたベンチャーキャピタルが、あのワールドトレードセンターに入っていたのです。アメリカの同時多発テロで、300万ドル下りるはずの話もなくなりました」

しかし同年12月、大手医療機器販売会社から商品化の打診が来る。なんと売り上げ予想は3年間で6000億円という数字が示された。池山氏が開発した前立腺疾患のための医療機器とは、体内埋め込み型ではなく、数年ごとに取り替えるステント式。需要が見込めるが、一事業では融資が厳しいと、池山氏は独立し、2003年に株式会社ウロメディカルジャパンを設立した。計画では3年後には厚生労働省の認可を得て、いずれは株式上場!と未来はバラ色に思えたという。さっそく株主を増やすべく池全国各地を走り回り、1年間かけて1億5000万円の資金を集めた。あとは認可が下りれば……。ところが、認可が下りないことがわかり、再び苦境に立たされることに。だが、池山氏が着手していたのは前立腺疾患医療機器だけではなかった。

「同時期に人工乳房の研究に着手していたのです。きっかけは、妹でした。実は妹は乳がんになり、乳房を切除していたのです。手術から5年後、家族親族で下呂温泉へ行った時のことです。帰り際に『温泉、良かったよね?』と言ったら、妹は『入れるわけがないじゃない』と。もう手術して治ったのにと僕は思ったのですが、妹はこう言いました。『自分は吹っ切れているけれど、母親に見せられるわけがないじゃない』と。その時に、インプラントで体の部位をつくれるのなら、おっぱいをつくれないかと言われたんです」



それが、現在のオーダーメイドの人工乳房事業へ出発点だった。だが、実用化までの道のりは遠かったという。そもそも男性である池山氏には理解できない点が多々あった。妹さんからの条件は3つ。1外から見てもわからない、満員電車で触れてもわからないこと。2温泉に入れること。3かわいいブラジャーがしたい。特に、この3つめの課題が困難で、クリアするまでに3年間を要した。

「わからないんですよ、男ですから。どうすればいいのかと大手下着メーカーを訪ねました。その担当者がとても好意的で、『素晴らしい、そんな夢みたいなこと!』と全面協力してくれることになりました。その時に、そんなに大変なことなのか? だとすれば、それはビジネスチャンスがあるかもしれない、と思えたのです」

しかし、その専門企業でさえも課題解決はできなかった。その後、ある下着屋の女性経営者に出会い、その人の協力により、何人もの女性のブラジャーの着脱を直に見せてもらう機会を得た。池山氏は繰り返し着脱の様子を見ているうちに、あることに気が付いたという。「無理矢理、おっぱいをブラジャーに入れている!」と。それまでは実物そっくりの乳房をつくることを最優先にしていたが、そうではなく、ブラジャーに合う乳房を製造すればいいのだ!という発想を得る。試行錯誤を繰り返した結果、ブラジャーに合わせるという発想によって、難題だった課題3を解決できたのだった。

池山氏の人工乳房はその後、学会でも評判となっていった。そして2009年2月、名古屋市の中小企業が一堂に集う「N-1グランプリ」に出場し、見事グランプリを受賞。それにより事業は順調に展開、していくかのように思われた。ところが……。



「リーマショックはうちには関係ないと思っていたのです。ですが、株主さんに影響が出て、資金を返してほしいと。うちも苦しいですが、返金しなければ株主さん自体がつぶれてしまう。もう自分は死なないとダメかなと正直、思いました。飛行機に乗るたび、これ落ちないかなと思ったことも……。ですが、こうして生きています。つくづく、生かされているんだなと思いました。それもこれも、皆さんのおかげ、友達、友人のおかげです」

自分が好きなことを何も考えずにできることが何と幸せなことかと、池山氏は感慨深げに語った。円高も、原料を輸入しているために追い風になっているという。この勢いで、乳がん関連だけでなく医療全般へと展開し、いずれにはヨーロッパにも進出し、3年後にはドバイにオフィス持つという気概で頑張っているところだと意気込みを見せた。そして、「皆さんもぜひ、N-1グランプリに出場して、チャンスをつかんでください」と呼びかけ、講演を締めくくった。


■第3部 頭脳交換会



全体テーマ

「自分を諦めない!仕事で生き生き過ごすために」



休憩を挟んで始まったのは、実行委員メンバーたちによる“名古屋おもてなし部長隊”の寸劇と、愛知県内の名菓“おもてなしの品”の紹介。そして会は第3部の頭脳交換会へと進行した。








▲おもてなし名菓の説明をした梶田香織氏
▲東海地方を代表する名菓の数々。生ういろう発祥の店とも言われる『餅文総本店』の生ういろう。『藤田屋』の大あんまき。おしるこサンドのクッキーなどなど

▼名古屋ビジネスインキュベータのインキュベーション・マネジャー武藤郷史氏がルールを説明した



頭脳交換会とは、ひとつのテーマに沿って参加者が会話を重ね、建設的な意見を出し合い、ブラッシュアップしていくNICe流の意見交換会のこと。今回はワールドカフェ方式ということで、ファシリテーターの武藤郷史氏がこう説明した。「30人で1時間の会議をしたら、ひとりあたり2分しか話せません。また少人数では、大勢から意見を聞くことができません。少人数で話しながらも、大勢の意見がわかるのがワールドカフェ形式です」

ルールはこうだ。1テーマのラウンドが終わるごとに、ひとりをテーブルに残し、他のメンバーは異なるテーブルへとチェンジする。そこで、1テーマ目に各テーブルでどのような話がされたかを報告し合い、各テーブルの意見をシェアする。1テーブル4人が次のテーブルで報告すれば4×4で16人の意見が得られる。さらに次のテーマで移動すれば、4×4×4で64人分の意見を得られる、という考え方だ。

エチケット:
・楽しみましょう
・人の話をよく聞きましょう
・質問して話を広げましょう
・特定の人だけではなく、話を人へ差し向けましょう
・正解も間違いもありません。人の意見を否定しないで、アイデアをつなげましょう

「カフェという名のとおり、お菓子を食べながら、模造紙に自由に落書きしながら楽しんでください」と武藤氏は呼びかけ、さっそく総合テーマと1ラウンド目のテーマを発表した。




●1ラウンド 

テーマ:仕事でイキイキした瞬間は?」
(よっしゃ!と自分で思った瞬間は?)


筆者が参加したテーブルの主な意見
・種をまいて、それが長い時間芽が出なくても、時間に関係なく、しっかりと根付いていたのだと思えた時。忘れずに育ってくれていたのだと、人とのつながりを感じた時。
・よっしゃ!と思わない日はない。そう思わなければやっていけない。
・大道芸で観客から「わ^^っ」と歓声が上がった時、賞賛の言葉を聞けた時。
・裏方仕事で誰かが喜んでくれた時
・教師をしているが、「先生にしか言えない」と生徒が相談をしてくれた時。
責任も感じると同時にやはり嬉しい、信頼に応えようと思える。
・いい仲間との出会いがあり、それを表現する時。よっしゃ!度がどんどん上がってくる。小さなよっしゃ!が連鎖していく糧もイキイキする。





●2ラウンド
テーマ:イキイキするために必要な条件は?
(なにが原因やきっかけでイキイキする?)


筆者が参加したテーブルの主な意見
・お客さんを好きになること。いいところが見えて来るし、より期待に応えたい!と思う。
・やはり、人だと思う。つながりがいつも僕らを強くする
・もっと自分にチカラを身につけようと燃える。ハードルを上げねばと。
・いてての法則(少しずつ負荷をかける)のがお勧め
・愛♡
・名古屋名物の話をするとイキイキする




▲実行委員の面々も各テーブルを回り、会話に参加



●3ラウンド
テーマ:今後、自分をイキイキ生かせる仕事のあり方、やり方は? 
(これからどうしたい?)


・好きなことにつながっていく仕事がイキイキの秘訣
・共感できる仲間、お客さんとの出会いを大切にする
・これだけ「イキイキ」を答えられる人が集まっていること自体がすごい。
違った人がいっぱいいて、社会がつくられるのだから、もっとつながれば、きっと世の中動いていく。
・三つ児の魂をまっとうできたら幸せと思う。もっと極めないと。
・自分も人もわくわくできることを増やしていく。
・変わった人が多い、面白い人が多い、そういう人とのつながりを大切にする




▲▼書き込むスペースがもうないほどに、どのテーブルもイキイキの思いがぎっしり




■エピローグ




▲次回、第12回NICe全国定例会inさいたまの実行委員長・石井英次氏
NICeフラッグがバトンタッチ


▲地元名古屋市や愛知県内をはじめ、岐阜県や三重県の地元東海勢、そして埼玉県、東京都、神奈川県の関東勢、さらには滋賀県や大阪府、兵庫県の関西勢も名古屋へ結集した


▲第11回NICe全国定例会in名古屋 実行委員の皆さん(おもてなし部長隊)。盛りだくさんの企画・運営・おもてなしの数々、どうもありがとうございました!


■第11回NICe全国定例会in名古屋の実行委員長・菅沼之雄氏から一言
「歴史や文化を取り混ぜて名古屋らしい会にしようと努めましたが、皆さん、いかがでしたでしょうか。開催前の2カ月間、ほぼ毎週1回打ち合わせを重ねた実行委員会の面々は、NICeのテーマでもある“自立して生きる”メンバーだけあって、アイデア出しも準備も当日もみんな自主的。ベンチャーマインドのある熱い仲間たちと、互いの強みを出し合うそのプロセスもまた有意義でしたし、その分、無事に開催できたことを嬉しく思います。

名古屋はN-1グランプリをはじめローカルな集まりが多く、もちろん同地域内で互いを支え合うことも大切ですが、今回の全国定例会を通じて大いに刺激を受けました。地元だけでは味わえない、異種格闘技のような刺激がまた次へのパワーになり、循環して、つながっていくのだと。こうして名古屋へ集まるというだけで、時間と労力を費やす。そのアクションが、目には見えない大きな刺激になると同時に、こうしたリアルの繰り返しで、“つながり力”が強くなるのだと実感します。

今回をひとつのイベントで終わらせることなく、東海でも継続的に頭脳交換会を開催していきたいと考えています。まずは実行委員会のメンバーと、NICe関東やNICe関西の勉強会見学ツアーを行ない、体感して吸収し、東海のオリジナルを付加していけたらと。NICe東海がほかへの刺激となり、相乗効果を生み出せるよう、頑張っていきます」

撮影/鵜飼岳展氏
取材・文、撮影/岡部 恵

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