一般社団法人起業支援ネットワークNICe

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つながり力を強化せよ/  誓い


2012年03月11日06:05投稿


ちょうど一年前のこの時間、私はインフルエンザにかかって、
自宅で横になっていた。

とはいえ、もうほとんど治っていて、用心のためだった。

前日の3月10日には、こんな日記を書いている。

  快復しました!
  12日の全国定例会にも万全の態勢で臨めます。
  その日、私は30分間の基調講演を行います。
  とても短い持ち時間です。

  それでも、私はその30分間の中で、
  NICeの代表として恥ずかしくない人間観と歴史観、世界観を込め、
  私たち市井の人間が何をなすべきかを明確に提起します。
  (以下略)


体調とは裏腹に、私の意欲はすこぶる高かった。

だから3月11日も、横になっていたとはいえ
午後には起き出し、
翌日に迫った、新生NICeの全国定例会に向け、
講演内容の細かいところをチェックしていた。


そんなとき、家が揺れ始めた。


それは長く、しかも時間の経過とともに強くなっていった。

椅子に座っていられるような状況ではなかった。

机の下にもぐりこみ、息をひそめた。

だがまだ激しい揺れがつづく。

家の中のあれこれが落下し、散乱し始めた。

「ついに来たか」

はっきり、そう思った。

その段階では東京が震源地だと思っていた。

死ぬかもしれないと思った記憶もあるが、
それを恐れた記憶はない。

翌日の講演は、私の人生の集大成だと考え、
そこに向かう日々のなかで、私はもう十分に頑張っていた。

だから後悔も無念もなかった。

やがて揺れがおさまり、事態を知ろうとテレビをつけ、
徐々にことの次第がわかってきた。

そうこうしているうちに、津波がくるという。

そしてそれは本当に来た。

恐ろしい光景だった。



それから1年。

振り返ると、1年には思えない、ずっしり重い記憶がある。

喜も怒も哀も楽も、それまでの人生すべてで味わった量を、
この1年だけで超えてしまった印象がある。


だが、いまだ津波被災地の復興は進まず、
液状化被災地や内陸部の揺れが強かった場所での復興も遅れている。
そして、放射能がこの国の広い範囲を覆ってしまった。

何より、そうした事態に対応する力が政府に備わっていなかったことが、
事態を余計に難しくさせてしまった。

震災から1年を迎えた今日も、
この国はまだ大変な状況にある。


今日も明日も明後日も、私たちは復興に取り組まなければならい。

だが、それは実に前向きな取り組みだ。

いまあるものを守ろうとしがみつく必死さとは裏腹の、
建設的で創造的な取り組みである。


日本は負けない。

日本をあきらめない。

日本は元気になる。


道のりは厳しかろうとも、そういう輝かしい挑戦だと私は思う。

日本人のひとりとして、
この時代を、挑戦者として生きられることを思うと、
あの日、私は死ななくて良かった。

死にたくなかったのに、死んでしまった方々のことを思うと、
ふつふつと挑戦者魂がわきあがってくる。

今日からまた1年、濃い日々を積み重ねていこうと思う。

つながり力の強化で、
被災地の復興と、日本の未来に貢献したい。


合掌。

そして、

ガッツポーズ!



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