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第13回NICe全国定例会in敦賀 全編レポート



  

  

2012年3月17日(土)、第13回NICe全国定例会in敦賀が開催された。日本海側の都市でNICeのリアルイベントが開催されるのは初めてのこととあって、地元福井県内をはじめ、東京都、神奈川県、富山県、愛知県、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県など、全国各地から総勢30人が結集した。舞台となった福井県敦賀市は、古くから海路と陸路の拠点となり、その歴史や文化が今も色濃く残る風光明媚な土地。その一方で、いわゆる“原発銀座”と言われる原発集積地でもある。我々はその賛否ではなく、敦賀の資源をいかに見いだし、知恵で資源を生かし、地域活性化へとつなげられるかをテーマに臨んだ。内容は3部構成で、まずは約4時間かけて敦賀市内を視察。続いて、NICeの増田紀彦代表理事の基調講演、NICe頭脳交換会、そして懇親会では贅沢なまでの北陸の美味を味わい尽くした。


■第1部 敦賀の魅力に触れるバスツアー



一行は実行委員長・瀧波裕幸氏が営む『食べて飲んで泊まれる店・なかや』前に集合し、マイクロバスに乗り込み出発。視察コースは瀧波氏が設定し、弟さんがドライバー役を担ってくださった。

  

向かう先は、氏の故郷・五幡(いつはた)と、なかや農園だ。
瀧波氏とともにガイド役をしてくださるのは、敦賀EMハーモニー会長・樋口正夫氏。街並みを見学しながら敦賀市の地理的な特徴と現状を教わった。現在、人口67000人の都市ながら、いかにインフラが整っているか、車中から垣間みることができた。鉄道網や高速道路の整備だけでなく、一般道も歩道も広い。沿道には商業施設や公共施設も充実している。樋口氏によれば、以前、中心部には喫茶店と飲食店が240軒ずつ軒をつらねていたそうで、全盛期には、「下を見て歩くと人にぶつかるほど」だったという。

  
▲第13回NICe全国定例会in敦賀・実行委員長の瀧波氏(左)
▲敦賀EMハーモニー会長・樋口正夫氏(中央)

その界隈の向かいに、創建810年と伝えられている氣比神宮があった。『日本書紀』にも記載されていることから、おそらくは神話時代から敦賀を見守ってきたのではないかとのこと。日本三大木造のひとつである大鳥居前を通り過ぎたバスは、南北朝時代から戦国時代の舞台となった金崎宮下のトンネルを抜け、市の中心部から若狭湾沿いのルートを北上した。

その手前にあったのが、コンクリート工場と敦賀火力発電所だ。発電所は点検中で休止していたが、4月から稼動が再開されるという。その温排水につられて、浅い海面でもブリやヒラマサが面白いように釣れ、またアワビやサザエはなぜか新しいコンクリートが好きで、瀧波氏は子どもの頃、護岸工事したての海でよく採ったそうだ。「釣りしたーい!」と思わず駄々をこねる参加者も。

そんな釣り好きにはたまらない岩場の海岸が続く敦賀街道をバスは進んだ。この日はあいにくの雨天だったが、天気がよければ最高のドライブコースだろう。車中から、若狭湾をはさんで敦賀半島まで一望できる。そう、天候さえ良ければ、美しい風景とともに、半島の先端に敦賀原子力発電所とふげん発電所(廃炉)も見えるだろう。また、半島の反対側に点在する、もんじゅ、美浜、大飯、高浜の各原発の存在も意識せざるを得ない。



瀧波氏は、これから向かう故郷・五幡(いつはた)について説明。この地名は、天平20年(748年)、蒙古が敦賀の海に来襲した際、山頂に五色の幡が揚がったことに由来するという。また『万葉集』の和歌にも、五幡の名は登場している。越中国守だった大伴家持が、「可敝流廻(かへるみ)の 道行かむ日は五幡の 坂に袖振れわれをし思はば」と詠んでいる。その和歌の意味と、京の都と敦賀の位置関係を樋口氏が説明してくれた。京の都に向かう官道(役人の専用道)の厳しい山越えをして、ホッとしたところで顔を上げると、そこに初めて海が見えるのだという。その視界に広がるのが、これから向かう五幡の浜だ。瀧波氏は、当たり前の景色だと思っていた故郷が、万葉集や新古今集に詠まれていたことを初めて知った時にはとても感動したとも語った。


■五幡(いつはた)「歴史が残る山道を巡って地域の活性を考える」

バスは五幡に到着。かつて五幡は海塩産業が盛んな村だったという。なるほど。市街からここまでの海岸線のほとんどは岩場だったが、ここ五幡には砂浜が広がっていた。「あぁ、晴れていれば!!」と悔まれるが、ふりむくと山際に低い雲がたれ込んで、それもまた美しい。

  

  

一行は、村の中の西勝寺にお邪魔し、ご本尊である身代わり阿弥陀如来が五幡に来た由来をご住職からお話いただいた。

ちなみにこの阿弥陀さまは、京都の誓願寺御本尊と同じ仏師の作だという。

    


西勝寺を後にし、五幡の集落へ入ると、これが県道か? と思うほど道幅は狭く、普通車1台がぎりぎり通れるかどうかの小径。山へと続く細い道は、まさに万葉の古道そのまま。どこか懐かしいと感じるより、ずっと遥か昔からあっただろう日本の集落の原風景に、しばしタイムスリップしたような錯覚に包まれる。

  

  

その集落の中にあるのが、瀧波氏の実家であり、築60年の赴きある家屋を生かした『お宿なかや』。瀧波氏のお母さまと妹さんがもてなす3組限定の隠れ家的な宿だ。
館内を見学した後、蒔ストーブがある吹き抜けの部屋で山菜料理やお汁粉をいただきながら、樋口氏から農業と環境についてのお話をうかがった。

         

  



樋口氏は敦賀に暮らして39年。JAS認定農家であり、EM(有機微生物群)普及員として環境活動団体の代表を14年間務めている。農作業の傍ら、全国を回り年間60講演をこなし、畑では年300人もの視察を受け入れているという。日本の農産物と有機JASマークの割合、福井県の状況、認定農家の苦労、自然農法栽培と不耕期栽培の利点、人間と食べ物の関係、人体の不思議についてお話をうかがった。大阪ご出身の樋口氏が、なぜ敦賀に定住したのか。いつどうして農業に目覚めたか。そして、未来への夢についても語ってくださった。現在71歳の樋口氏。起立したままの講演は約50分間続いた。「人間の身体は、生きていることが奇跡なのです。みなさんも今日を機会に、『いいものって何?』という意識を持って生活していただければと思いますし、ひとり一人がそうすれば、日本はまた違う方向に変わって行けると思います。これからも励みを持って、夢を持って、敦賀を元気にする瀧波さんの後ろに付いて行きます」と締めくくった。

  


■なかや農園「つながりの中に見える自然農法のかたち」

五幡を後にした一行は、養鶏場へ向けて出発。「いいものって何か、その意識が日本を変えていく」と語った樋口氏のことを「敦賀のお宝です」と讃えた瀧波氏。大切に育てた土で、本当に身体にいい食べ物をつくり、それを味わい、食べ、健康に生きること。「すべてはつながっているんです」と瀧波氏は切り出した。
物心ついた時から原子力発電所はこの地に存在していたという。敦賀の充実したインフラも、これまでの街の経済も活気も、原発ありき。だが、今その先行きは不透明だ。67000人だった市の人口が、ここ2カ月で2000人も減ったという。一市民が為す術はないが、資源を生かして故郷の敦賀を活性化させるのは自分たちであり、子どもたちに継ぐ役目がある、と瀧波氏は語った。今年1月に設立した会社には、そんな思いをこめて「夢食堂」と社名をつけたという。瀧波氏の覚悟に聞き入っていた車内から、自然と拍手がわきあがった。照れながらも瀧波氏は、これから向かう養鶏場で育てているニワトリと、完全自然飼育・自然食のニワトリから生み出される卵『れもんたま』に付いて説明した。2年がかりで誕生した“なかやスペシャル”とはどんなニワトリなのか。黄身の本来の色である“黄色”の卵はどんな環境で生まれるのか。ワクワクしながら養鶏場へ。

そこでまず驚いたのは、あの独特の匂いがまったくしないこと。そして、色とりどりの原種のニワトリが、柵の中で自由に走り回っていること。中でも目を引くのが、ひと際大きなニワトリ“なやかスペシャル”だ。

  

養鶏場の責任者・田辺久美子氏に話を伺うと、ここのニワトリは最高の住食環境で暮らしているという。餌に鼻が付くほどの近さで嗅がせてもらったが、ほのかに美味しそうな薫り。米ぬか、魚粉、昆布粉、柑橘皮、野菜などをバランス良く配合し、もちろん卵黄着色剤は一切なし。黄身の本来の色である“黄色”の卵『れもんたま』は、ここで大切に大切に育てられている健康なニワトリだからこそ生み出せる逸品なのだと納得する。明日の朝食、“卵がけごはん”がますます楽しみになった。

  



■第2部 オープニング



視察ツアーを終え、一行は中心地にある本町会館へ移動。井居義晴氏の司会で第2部がスタートした。まずは、実行委員長・瀧波裕幸氏のあいさつ。

 
▲司会の井居氏(左)、第13回NICe全国定例会in敦賀・実行委員長の瀧波氏(右)

「昨日まで緊張していましたが、駅まで迎えに行った時のみなさんの笑顔に助けられ、のびのびやらせてもらっています。敦賀は67000人の人口ですが、インフラがとても整った街です。鉄道も高速道路もあり、今日は船で来た方はいらっしゃらないのでしょうが、港も整備されています。とろこが、地場産業は20%未満です。ご存じの通り、市の経済が潤っているのは原発関連によるものです。原発関連の知り合いも大勢います。しかし、子どもたちがもっと豊かになれるような敦賀を目指したい。この後、頭脳交換会も行ないますが、みなさんのお知恵をいただき、活性化する敦賀にしたと思います。どうぞよろしくお願いします」


■基調講演

一般社団法人起業支援ネットワークNICe 増田紀彦代表理事


テーマ
『つながり力で、
 地域の「不」「負」「普」を、「富」に転化せよ!』


NICe全国定例会の会場としては初となる畳敷きの大広間に、ことのほか嬉しそうな増田氏。にこやかに舞台に上がると、さっそく講演テーマに付いて語り始めた。



「ない、負けている、そんなの普通じゃん!という、不・負・普です。今日は敦賀ですが、これは自分の企業の、自分の地域の、ということにも当てはまります。そういう不・負・普の中にこそ、富のタネが混ざっているという話をします。

どうしても地域資源というと、偏ったもの、その土地にしかないものが一番魅力的だと思いがちですが、よその土地にも自分の土地にあっても、誰もそれがすごいものだと気が付いていなければ、すごい!と言った者勝ちです。一見普通に見えて、どこにでもあると、そのすごさに気付いていなかったりします。が、価値を見いだしていなければ、それもまたチャンスなのです。世間で言われるような地域資源とは違うポイントの話を今日はしたいと思っています。

先ほどの瀧波さんのごあいさつからも情熱を感じましたし、13時からのバス視察の道中で、この土地とこの土地の未来に関し、どれだけの想いを抱いているか、みなさんにも十二分に伝わっていると思います。

実はその瀧波さん個人も、敦賀の地域資源です。瀧波さんは昨夏の琵琶湖でのボートレース(NICe関西@滋賀 番外編)にも参加し、1月のNICe関西in心斎橋にも参加し、『敦賀に来てくれ! 敦賀でNICeの会をやる』と、地域のために言って回るような人です。それもまた地域資源なのです」

 


●地域資源を発見・認識するには?

増田氏は、地域資源は以下の5つに分類できるとし、その具体的を参加者に質問しながら挙げていった。

・自然資源/敦賀湾の美しい入り江、海岸線、山並み
・人的資源/瀧波ファミリー、「ヒゲ辻」こと辻佳紀捕手、東出輝裕選手
・産業資源/農産物、魚介類、加工品
・文化資源/気比の松原、気比神宮、金ヶ崎宮
・公的資源/発電所関連、鉄道、道路、港湾の充実ぶり



「ほぼ全部の項目に答えが挙がるような地域は珍しいです。大都市なら自然資源は減るし、過疎地なら人的資源は少ない。敦賀は、非常にいろんなものがまんべんなく広がっています。公的資源の充実は、みなさんご存じのとおりですが、1960年代から国策として推進して来た原子力発電を受け入れ、リスクも抱えながら、公的資源が築かれてきました。私は1970年の大阪万博の時に初めて、敦賀と美浜の地名を聞いた覚えがあります。万博の電力は、敦賀と美浜から送られて来て、新しい時代の幕開けと言われていました。

敦賀に限らずですが、特に大事なのが、既存資源の再利用や配置転換を考えることです。これはもとは○○のために製造された機械だとしても、もう使われなくなった時、別の用途に使われることが多々あります。たとえば、かつて車の油圧式ブレーキに使用されていた真鍮管。もう車には使用されていません。では今そのメーカーは倒産しているかといえば、機械のヒートパイプとして冷却用管として使われ、大手企業と肩を並べています。つまり、既存の資源を別の用途に転換することで、新しい価値を創り出すことができるのです。また、たとえば気比の松原。ゆっくり散歩をするにはいいところですよね。でも、もしあの松原で全国サバイバルゲーム大会などを開いたら、また違う価値を創り出すことになります。誰もがピンチだ、困っていると感じることを、ほかに転換するチャンスだと考えれば思わぬアイデアが出てくるわけです。

また地域の場合、そこに暮らす人よりも、よそから来た人、あるいは出身者で長らく外に暮らして戻って来た人の目を使うと、思わぬ発見があります。『よそ者、若者、馬鹿者』と言われますが、大いに使うべきです。一方で、地域の中で無理矢理『五幡100選』とかをつくってみると、選ばなくてはならなくなり、意外と面白い資源が見つかります。

資源というのは資源であって、そのままでは価値がありません。たとえば、石油はそのまま原油では価値がなく、それがエネルギーになったり、製品になって初めて価値がつきます。
資源に価値をつけること。誰もが判っている資源ではなく、気付いていない資源に価値をつけることで、不・負・普が富になるのです」

  


●資源を活用する知恵と努力で、不・負・普が富になる

どうすれば資源に価値がつくのか、その実例を増田氏は紹介した。

 

・廃棄していた形の悪いメークイン(資源)

・ハート形に見える。ちょっと素敵ではないか?(知恵)

・確率的に100個に2個くらいの割合

・ということは貴重じゃない? ストーリーを付加できる(知恵)

・ジャガイモの箱の中に、リボンを掛けて“オマケ”として通販時にプレゼント
(努力と知恵)

・幸せのシンボルとして喜ばれている(価値の創出!)



●地域の「不」「負」「普」を、「富」に転換した実例1
北海道音更町/氷点下での南国フルーツ栽培


ハート形メークインと同じく北海道の十勝地方の実例を紹介した。マンゴーといえば、国内では主に沖縄県と宮﨑県で生産されている熱帯フルーツ。それを氷点下になる北海道で、しかも冬場の収穫に成功したのが、地元起業家らが設立した「ノラワークスジャパン」。増田氏は、昨年12月にそのビニールハウスを訪問している。

一体どうしてつくろうと思いついたのか? 実際どうやってつくっているのか? 
地元の起業家たちで宮﨑へ研修に訪れた際に、「北国で熱帯フルーツつくったら面白そうじゃないか?」がスタートだという。そのメンバーの中にいたのが、真冬マイナス20度にもなる帯広で『北の屋台』を思いつき、成功させた強者がいたのだ。では、どうやって栽培しているのか。北海道には温泉の源泉が多く点在するが、そこを温泉地にしようものなら莫大な費用がかかるし、冬場は観光客も少ない。それらの理由で放置されていた。しかし、パイプをひいて、ビニールハウスを加温するには十二分。また雪もことかかない。土をかぶせて保管すれば融けず、夏の冷媒として活用できる。放置されていた温泉と、あり余るほどの雪という、これまで不要だった資源を生かし、氷点下でのマンゴー栽培というストーリーと価値を生み出したのだ。ちなみにこの取り組みは、2012年1月に開催された日本商工会議所青年部の全国大会でグランプリを受賞した。


●地域の「不」「負」「普」を、「富」に転換した実例2
山口県周防大島/ジャム屋と伝統農業のコラボ


続いて紹介したのは、手づくりジャム専門店「瀬戸内Jam’s Garden」。その経営者である松嶋匡史氏の起業経緯と知恵の数々を披露した。この周防大島はかつて人口5万人だったが、内陸と結ぶ橋ができたことでストロー現象が起き、今や2万人弱に減少している。ストロー現象とは、橋や高速道路、鉄道路線の延長など、交通網の発達により、弱い地域がさらに弱化する現象のこと。それまで泊まりがけで訪れた地が、交通の便が良くなり、素通りや日帰りされてしまうケースも当てはまる。それだけでなく、生活居住圏そのものが、強い地域に吸い取られてしまい、人口流出が起きるのだ。

人口が減る一方のこの島で起業したのが、名古屋出身の松嶋氏だった。島民は「みかんしかない島」というが、松嶋氏は瀬戸内の美しい風景に感動し、この島の産業を使ってジャム屋をやろうと決意する。しかし、ジャムの代表格であるマーマレードはみかんではできない! マーマレードの原料であるオレンジは皮に苦みがあるが、みかんの皮は甘過ぎてマーマレードの味が出ないのだ。だが執念で、緑色の時期に収穫する方法を思いつく。収穫までの手間が減る農家も大喜びだ。また島のもうひとつの特産であるサツマイモも、どうにかジャム化しようと試行錯誤。どうしても使いたいと考えに考え、思いついたのが“焼きジャム”だ。先にパンに塗ってから焼くという逆転の発想。さらに、世界一美味しいだろうと言われながらも売れずに島で放置されたままの果実・フェイジョアンも製品化した。これは20年前に、海外研修から戻った島の農家さんが栽培を始めたそうだが、皮が硬く簡単には剝けないため、売れなかったという。だが松嶋氏は、皮を剝く工業用機械ならある!と取り組み、今では店の人気商品になっている。美味しいだけではただの資源、そこに知恵と努力で価値をつけ、地域にも貢献している事例だ。島民数は減ったが、瀬戸内海に面した素敵なサロン風の店へ、わざわざジャムを買いにくる観光客は増えている。

 


●地域の「不」「負」「普」を、「富」に転換した実例3
福岡県豊前市/廃校前より人が増えた元廃校

最後に紹介したのは、福岡県豊前市にある『もみじ学舍』。廃校後、放置され、誰も見向きもせず薮だらけになっていたという。そこを、舟橋慎一郎氏がひとりで黙々と雑草を刈り、復元していった。「学校というのは不思議な空間で、そこにいるだけで、まっとうな生き方をしなくてはと思わせてくれるんですね」と、増田氏は紹介を続けた。現在ここは、地域の人だけでなく、県外からも多くの人で賑わう空間になっている。カフェ&レストラン、農産物直売所、知的障害者の作業所、楽器やアート、木工などの工房、コンサートホールまである。もともと“人が集まる”ためにあった学校を用途転換で活用した事例だ。



さらに増田氏はオマケとして、資料には記されていない福岡県飯塚市にある元ビジネスホテルの事例を紹介した。この街はかつて炭鉱の町として栄え、繁華街の中心地に大きなホテルがあった。しかし、時代と共に宿泊数も減り、経営が厳しい状況に。ところが、転換したら、日本で初の繁華街にある○○になった。 何に変えたか? 答えは老人ホームだ。
中心地の繁華街にあり、病院も近くに揃っている。入居しているお年寄りは、かつて炭坑でバリバリ仕事し、まだまだ飲みにも行きたい。今夜は調子がいいから遊ぶ、ちょっと具合が悪いから病院へ。その両方が周りにあるのだ。また、どうしても環境を重視して交通の便がよくない立地になりがちだが、ここは目の前にバスターミナルがあり、家族もすぐに会いに行ける。もとの宿泊客は減ったが、ニーズのあるほうに目を向けて思い切った方向転換により成功した事例だ。


●特別実例/炭坑が閉山しても成長を続けたライバル同士

最後に特別実例として挙げたのが、九州・久留米のふたつの足袋店の話。明治時代に創業した、槌屋足袋店、しま屋足袋店。戦争と震災で日本中に足袋が普及し、後に石炭産業とともに足袋から地下足袋へと転換し成長してきたライバル同士だ。だがその後、各地の炭鉱は閉鎖。この2社はどうしたか、倒産したのか? 否。槌屋は靴に転換し、月星化成(現ムーンスター)に。しま屋はゴムに転換し、ブリジストンタイヤに。どちらも生き延びた。

「生き残る種というのは、
 最も強いものでもなければ、最も知能の高いものでもない。
  変わりゆく環境に最も適応できる種が生き残るのである」

チャールズ・ダーウィンの名言をプロジェクターに映し出した増田氏は言葉を続けた。
「久留米の地域経済は炭坑とともに栄えました。が、その炭坑が絶えた。これは大ピンチです。でも、何が自分たちの強みかを見極め、自分らのやって来たことを生かした事例でした。

時代の流れは止められません。
敦賀の経済も街も、原発とともにありました。再稼動は未定です。仮にそれがなくなるかもしれないとしたら、言葉にする以上に瀧波さんたちにはとても重いことです。私たちで言えば、取引先の会社がゼロになる、業界そのものがなくなるに匹敵する大ピンチです。ですが、歴史は無慈悲であり、ダイナミックでもあります。だからこそ、起業家は、経営者は、進化していくのです。月星やブリジストンのように、ピンチを“チャンスに変えるタイミングだ”と思って、ぜひ頑張って欲しいですし、私たちもこの後の頭脳交換で、さらに今後も継続して、この転換の時代の課題に真剣に取り組んでいきたいと思います」



■第3部 NICe頭脳交換会



休憩をはさみ、頭脳交換会がスタート。これは、ひとりのプレゼンテーターが自身の事業プランや課題をプレゼンテーションし、その発表をもとに、参加者全員が「自分だったら」という当事者意識で臨み、建設的な意見を出し合い、ブラッシュアップしていくNICe流の勉強会だ。今回のプレゼンテーターは、実行委員長の瀧波氏。


●プレゼンテーション
テーマ「食をとおした地域活性化と人材育成について」


 

瀧波氏は『食べて飲んで泊まれる店・なかや』を経営する一方で、『敦賀を元気にする会』発起人として地域活性の取り組みに尽力して来た。そして2012年1月27日に、仲間3名で株式会社夢食堂を設立。

夢食堂の事業は、イベント企画運営、養鶏場・農園業、カフェ&バー『Egg’s』(3月2日にグランドオープン)だ。イベントや食をとおして、人のつながりを創出し、地域の課題について話し合い、課題克服実現を図ること。そして次世代へ向けたアウトプット型の人材を育て、集積すること。それらと食をとおして敦賀のビジョンを示し、産業を創出すること。そして、“ビジョンは見えない抑止力になる”との思いで、地域社会へ貢献していくと展望を語った。

養鶏では現在300羽を飼育。卵はその高品質を求める一流店のみに出荷しており、今後もこの方針は変えない。課題は、3事業ともにさらなる技術と利益向上、そして雇用だ。ビジョンを持って一緒に取り組んでくれる仲間を増やし、会社と敦賀の発展のためにどうつなげていくか。敦賀人として、敦賀を育て上げていきたい、そのために、どのようなアイデアがあるかを求むとして、プレゼンを締めくくった。

  


●第1テーマ「敦賀体験で印象的だったものは?」

ファシリテーターを務める小林京子氏から、頭脳交換会の進行方法、参加者の心構えについて説明があった後、さっそくひとつめのテーマが示された。



バス視察で見たり聞いたり嗅いだり食べたり、敦賀を体験した中で、これから活用できそうな資源、記憶にあるもの、心に残っているものを挙げていくという。全員参加のアイスブレイクをかねて、敦賀の資源をピックアップするというテーマだ。小林氏の「スタート!」のかけ声とともに、増田代表理事が次々と参加者へマイクを向けた。

   

・集落の家並み
・敦賀湾の海岸
・海鮮丼
・ヒラマサ、ブリ
・うなぎ(小川に500匹)
・身代わり阿弥陀如来
・蒙古襲来の犠牲者を弔ったお地蔵さま
・もう田んぼ作業が始まっている!
・標高914mの野坂岳と郵便番号の914
・瀧波ファミリー
・田辺農場の久美子さん
・かつての塩産業
・雪
・水
・駅の人もタクシーもみんなフレンドリー
・フェリー
・道路が広い
・昆布
・家の中、玄関に行く前に壁がある
・魚の街
・EM、樋口さん
・金ヶ崎宮、港大橋
・こうのとり
・漂着物
・霧のかかった山々
・火力の煙突
・時給自足
・スリーナイン、宇宙戦艦ヤマト
・県道の2車線道路脇に駐車場
・空気がしっとりしている
・縦型の信号
・山菜料理のひとつに土筆(つくし)
・なかや
・気比神宮の大鳥居
・鉄道路線の交通の便がいい
・関西弁と名古屋弁と福井弁が混ざっている
・だしが関東と関西の中間
・原発関係者の頭脳

  

増田氏「自然資源も文化資源も産業資源も公的資源も人的資源もたくさんありました!
普通かもしれないけれど普通ではないものがいっぱい出ましたね」


●第2テーマ「地域活性化と人材育成のアイデア出し!」

次は各チーム5、6名でのグループディスカッション。
瀧波氏のプレゼンをもとに、事業計画のプラスアイデアや可能性を挙げていく。

著者が参加したチームでの主なアイデアや意見
・卵を使用したメニューは、つくる上で意外と限られていると感じた
・地元では、カツ丼=ソースカツ丼が当たり前だと思っていた。卵でとじるのを知った時には驚いた。→こっち(県外者)はソースカツ丼に驚いた!
・両方食べたい。そのハーフ&ハーフはどうだろう。
・関西から近い。鉄道網がいい。鉄道利用者にソースカツ丼、卵掛けご飯列車。
・合いがけ丼とか。→サンダーバードの車内販売、駅ごとで味付けを変えるなど
・味玉、温泉卵もいい
・卵は卵がけご飯が美味しい→『Egg’s』のメニューにもあり
・生卵は鮮度が命。産直の時間勝負で勝てる!→その場で卵がけご飯とか

  

  


●発表タイム

・卵をメインに話し合った
 鉄道網の良さを生かして、路線に沿って味付けを変えていく
 敦賀ならではのソースカツ丼に、卵とじにしたハーフ&ハーフはどうだろう
 産み落とした卵を拾って、卵がけご飯を食べる

・どこか取引先になるかで話し合った。
 一般家庭より企業へ売る。BtoBが良いのでは?
 高級卵は贈答品になるので、卵を贈答品にしてブランド化する。
 卵に強い企業、マヨネーズの高級商品はどうか。
 それを中国の富裕層に売る。卵を贈り合う記念日をつくってしまう。

  

  

・北陸は冬乾燥しないことが売りになる。
 卵とこんぶを使って開発できるものとして、化粧品はどうか。
 また、乾燥しない冬のツアーもできそう。
 B級グルメは溢れているので、誰もが食べたい素敵グルメを
 1店舗1品つくって食べ歩きツアーを組む。
 フェリーの定期便をつくり、海外の富裕層を呼び込む

・セグメントを話し合った。新しい人は難しいので、もともと来る海水浴客に絞る。
 海に釣り堀をつくり、そこに大型魚を放ち、そこで食べられる。
 それだけでなく、目利きをしたり、さばき方や料理までをレクチャーする。
 もちろん食べて、泊まってもらう。次の日はまた泳ぐプラン。
 すでに来る目的がある人に、よりお金を落とさせるには?と発想した。

  

  


●3分延長!追加テーマ
「夢食堂を発信するには、どんな方法、媒体があるか?」


各チームで2分&即発表

・ネット、ブログ、Twitter、facebook
・NICe
・有名人、芸能人、スポーツのヒーローインタビュー
・卵ソムリエ協会
・特急内でゆで卵を売る! 1個300円とか。お土産屋、JR、コープ
・卵形体型コンテストを実施する。
 色白で卵形が基準。各都道府県からひとり選出
・全国回覧板、駅のスピーカーから有名な卵料理はこちらと放送
・SNS、ソーシャル、雑誌、タウン誌、ローカル路線の地元の人が書くブログ
・外国人の船乗りに宣伝させる!

  

  


■エピローグ
兵庫から参加の内田氏のあいさつ、そして懇親会に向けて準備開始!
エピローグというより、第4幕のスタートはここから?

 


■懇親会

乾杯のあいさつは、福井県民生活協同組合の中川敦士氏。


「今回は何の集まりかよくわからないまま参加しましたが(場内爆笑!)、とても勉強になりました」と述べた。敦賀の人口減少についても言及し、住民票を敦賀に移していないほぼ1万人も数に入れれば、この1カ月で1万2000人が転出したことになるという。だが頭脳交換会でいろんな方向からの意見を聞き、これからは“人材=財産”との思いで、自立した街づくり、活性化に寄与していきたいと語り、NICeと敦賀と夢食堂の発展を祈念して乾杯した。

   

   

   

  
▲瀧波氏の『れもんたま』の温泉卵、身がすぐ取れることからズボカニと呼ばれる脱皮直後の越前カニ、豪華舟盛り、ぜんまい、五幡で採れたワカメ、へしこ、イノシシのロース、旬のホタルイカ、鹿肉のたたき、生シラス、そして『Egg’s』メニューからキッシュ、グラタン、シフォンケーキ、チーズケーキなども。至福の大満腹!!ごちそうさまでした!


 
▲翌朝、『食べて飲んで泊まれる店・なかや』に宿泊した面々は、卵がけごはんを満喫。好みの卵を選んで食べ比べも味わった。なやかのニワトリさん、田辺さん、瀧波ファミリーのみなさん、どうもありがとうございました!



■第13回NICe全国定例会in敦賀実行委員長・瀧波裕幸氏から一言

「中京、関西方面から近く、商業、観光において多くのことがアピールできると思う敦賀市。しかし、こんなにインフラが整っているのに地場産業が、なぜに20%台なのか? 
観光も明確なビジョンがない! 
NICeに登録して2年余り、その間に仲間から多くのことを学びました。ぜひ、みなさんを敦賀にお招きして、何が足りないかを頭脳交換会などで学びたい、そう思ったことが開催に向けた動機です。

そして、今回開催にあたり、会社設立時期が重なり、時間があまりにもなく、毎日が仕事などに追われっぱなし、書類の山と睨めっこ……。しかし、貴重な機会をいただいたことに感謝し、開催までの間、多くのことを学びながら、“楽しむ”をモットーに刺激的な日々を過ごすことができました。

今回多くの方が、初めて訪れる場所!
田舎の良さは、騒がしくなく、なにもないことが楽しいこと。
敦賀を後にする時間から逆計算しながら、バスツアーのプランを立て、そこに、スタッフや家族、NICeのみなさんが、いかに楽しみながらつながることができるか……。お客さま目線になってシュミレーションしていきました。

NICeのみなさんを敦賀にお招きし、全国定例会が終了して今思うことは、『どう、すごいでしょ、我が故郷!』が率直な感想です。生まれ故郷に誇りを持たなければ、次の世代には受け継いでいけない。日本には産業や商業、観光など資源がたくさんあります。敦賀もそうです。
ひとり一人が地域のために考え、自分は何ができるかを描き、貢献できるかが市民のあるべき姿で、地域の原動力だと思います。
今こうして開催から日にちが過ぎ、より一層その思いが強くなれたことに、NICeの本当の力を感じ、感謝したいです。NICeのみなさん、増田代表理事、ありがとうございました。

燃え尽き症候群でなく、ロケットに火がつきました!(^^)!」




UST配信/市川幸弘氏
撮影/大刀豊暁氏北出佳和氏
取材・文、撮影/岡部 恵

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