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厳しさを増す経済・経営環境に立ち向かうために、NICe増田代表理事が送る、視点・分析・メッセージ 。21日配信のNICeメルマガシリーズコンテンツです。
「読み書き力」があってこその、「つながり力」



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    「増田紀彦の視点 どうする?日本経済」

     第73回 
    「読み書き力」があってこその、「つながり力」
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今年、NICeは活動10周年を迎えました。
そして私、増田は人生60周年を迎えました。
今回のコラムは、NICeの歴史と私個人の歴史を振り返りながら、
2020年代の「つながり」のありようを探る目的で執筆しました。
通常のコラムの2倍程度に達する文章量になりますが、
最後まで目を通して頂けましたら幸甚です。


【演説に笑いを混ぜて叱責された、若き学生運動活動家】

学生運動からの離脱が、私の社会人生活の出発点です。
当時の学生運動は、いわゆる全共闘運動が衰退し、市民の支持も失い、
敵対する党派同士が、武器を手に、文字通り血で血を洗う陰惨なものでした。

ただ、そんな軍隊的生活の中にあっても、私は、やはり私だったのです。

その頃から口を動かすことが得意だった私は、
街頭宣伝車の屋根に上がり、人々を見下ろすようにして、
連日連夜、演説(いわゆるアジテーション)をぶちかましていました。

ですが、「成田空港の開港を阻止しよう!」「政権を打倒しよう!」と、
大声で叫びまくったところで、耳を貸そうとする人はいません。
そこで私は、人々を振り向かせることが先決だと考えました。

ヘルメット被った過激派が、大音量スピーカーを使って、
高いところから、面白いことを言ってみたらどうか?
やってみました。多くの人がビックリして足を止めました。
私はその人たちに対し、「ぜひ、日本のあり方を考えてほしい」と、
話しかけるように演説をしました。

こっぴどく叱られたことは、言うまでもありません。
「情けない話をするな。我々は勝利に向かって邁進しているんだ。
そういう姿勢をガンガン、アジれ。いいな。わかったな」と幹部。

「ここは自分の居場所ではないかも」という疑念が、胸中をよぎりました。


【文章の1行目の威力を教えてくれた藤原氏(後の芥川賞作家)】

大学を離れた私は地方新聞社に就職し、
その3年後には東京に戻って、広告制作会社に転じました。

勤務先で私は編集者見習いになり、やがて「見習い」が取れ、
ついに広報誌の制作を任されることになりました。書き手は、
気鋭のライターとして名を馳せていた藤原智美さんが引き受けてくれました。

ほどなくして届いた藤原さんの原稿を見た瞬間の衝撃は、今でも鮮明です。

1行目から、息を呑むほど、うまいのです。
言い換えれば、目にした途端、もう、彼の文章に引き込まれていたのです。

忘れてかけていた、学生運動時代の私の演説が、頭に浮かびました。
「何を、どう語るのか」は、やはり大切なことだったのだと。

プロの発信力の何たるかを教えてくれた藤原さんは、
数年後に『運転士』という小説を上梓し、芥川賞を受賞しました。


【恐るべき新刊。その名も『つながらない勇気』】

つい最近の話です。
新宿の紀伊国屋書店で、平積みにされた藤原智美さんの新刊を見つけました。
小説ではなく、ルポルタージュです。

タイトルは『つながらない勇気』。
何ともかんとも、イケているじゃありませんか(笑)。

「つながり力の強化」を訴える私に、「ちょっと立ち止まってみたら」と、
藤原さんがアドバイスをしてくれているような気になりました。

もっとも同著は、人間的なつながりを否定する本ではありません。
サブタイトルは『ネット断食3日間のススメ』。そういう趣旨の本です。


【あなたは3日間、ネット無しで過ごせますか?】

さっそく同い年の友人に、「3日間、ネッを絶てる?」と尋ねたところ、
「さすがに3日は無理」とのこと。
私も1日か1日半なら、接続せずということもありましたが、確かに3日は……。
今どきの若者でも何でもない、還暦のオッサンの私たちですらそうです。

『つながらない勇気』は、私にとっても耳の痛い内容です。
「まえがき」に、この本には3つのテーマがあると記されていました。

1.ネットの普及によって紙に記される「書き言葉」が急速に衰退している。
2.それによって国や経済のあり方はもとより、
 ぼくたちの人間関係と思考そのものが根本から変わろうとしている。
3.だからこそ人はネットをはなれて、「読むこと」「書くこと」が必要。

勘のいい方なら、藤原さんが伝えたいことが、すぐに読み取れるでしょう。

孤独に耐える力を養い、本当の人間関係を築くためには、
もともと人間が有していた思考力や想像力を取り戻すべきであり、
そのための方法として、きちんとした「読み書き」が不可欠だ。
そう、言っているのです。


【思うところを、しっかり文字にし、言葉にする尊さ】

もう一度、私の話に戻ります。

私は決して正義感の強い子供ではありませんでした。
むしろ、腕っぷしの強い相手や教師に対して物おじせず、
毅然と相対する友人たちを見ていて、
羨ましい気持ちを抱えながら毎日を過ごす気弱な子供でした。

やがて思春期を迎え、私も自己と向き合うようになります。
目につくのは、自分の弱さや狡さばかり。これではいけない……。
「おかしいと思うことに対して、おかしいと言える人間にならねば」。
この壁を乗り越えないまま、大人になることは許されない気がしました。

やがて私は、高校教育のあり方や社会問題に対する意見を原稿にまとめ、
ガリ版を使ってビラ(チラシ)を作り、毎朝それを、
登校してくる生徒や教師に手渡しながら、主張を訴える活動を始めました。

そういう私の取り組みが、左翼運動組織の目に留まり、
勧誘を受けることになったのです。
これが、私が学生運動に参加するようになったきっかけです。

その学生運動から離れた後、新聞社や広告会社に勤めたのも、
高校時代に、一生懸命に書いた文章が人の気持ちや行動を変えることを、
身をもって知ることができたからです。

人と人とが本当の意味でつながるためには、
つながりたいという思いを込め、考えを巡らせ、
選び抜いた言葉で、文章を書き、話をすることが、やはり基本です。

「いいね」をクリックしただけで、人の心が動くはずはありません。
でも、そんなことは、本当は誰もがわかっているでしょう。
つまりは、そもそも、人の心に働きかけようなどと思うこともなく、
ネットで「コミュニケーション」を図る人がたくさんいるということです。

この「文化」の拡大が、藤原さんが憂えるように、
国や経済や私たちの暮らしを、まずい方向へ誘導していると私も思います。


【私が起業支援をライフワークにするようになった経緯】

広告制作会社での数年間の勤務を経験した後、
私は仲間と共同で制作会社を設立します。
景気のいい時代だったこともあり、
リクルートと組んで、山ほどの作品を作り上げました。

しかしバブル崩壊とその後の「失われた10年」の中で、
私たちの会社も想像以上の辛酸を嘗める羽目になりました。

やがて、リクルートが起業・独立を応援する『アントレ』を創刊します。
その準備に呼んでもらったことで、我が社も、私自身も息を吹き返します。

私はやがて、起業・独立支援をライフワークにするようになりました。
起業とは、自らの思うところをダイレクトに社会にぶつける行為です。
会社や家庭の陰に隠れず、堂々と、
「これはいいものだ。いいことだ。だから買ってくれ」と言える人々を、
一人でも多く日本に輩出したい。心底からそう思いました。


【経済産業省のNICeがスタート。でもSNSだけでは不十分】

『アントレ』がきっかけとなり、様々な起業支援事業に関与するうち、
私のことが経済産業省関係者の目に留まり、
同省が計画していたNICeのプロデューサー就任を打診されました。

ところが当初のNICeの仕様は、専用SNSを開発し、それを使って、
全国の起業家や起業家予備軍と支援者とをつなぐだけのものでした。

私は、それだけでは「事は起こらない」と考えました。
ネットとリアルの両方の活動を進め、相互媒介させることで、
新たな取引や連携を生み出すことが可能になるのだと。

事業とは、人が起こし、人が受け入れ、人が育てるものです。
会ったこともない同士が、机上で何かを語り合ったところで結果は見えています。
むしろ、ちゃんとした人間関係を構築することを優先すれば、
後々のネットコミュニケーションにも、魂が宿ると考えたのです。

ビジネスマッチングの前に、ヒューマンマッチング。
当時の私は、ことあるごとに、このフレーズを口にして歩いていました。

経済産業省も私の考えに同意してくれました。
しかし、リアル活動を実施するための予算は皆無。
結局、私が『アントレ』の編集者だった時代に知り合った全国の起業家たちが、
交流会や勉強会の開催を無償で手伝ってくれることで、私の構想は形を得たのです。
力を貸してくださった皆さん、その節は本当にありがとうございました。


【10年間に及ぶ私の発信は、合格点に達していたか?】

3年間の経済産業省事業としてのNICeが終了した後も、
私や多くの仲間がNICeの存続を望み、2010年にNICeは、
一般社団法人起業支援ネットワークNICeが運営する活動に生まれ変わりました。

その翌年にあの東日本大震災が発生。
以降もデフレショーンの暗雲が立ち込め続ける中、
民間NICeはどうにかこうにか生き続け、今年まる10年に達しました。

その10年間、私はNICeの代表者として、
山ほどの原稿を書き、海ほどのスピーチを行いました。
その執念深さについては、自分でもつくづく感心するのですが、
一方で、どれだけ人の心を動かす文章を書けたのか、
どれだけ人の魂を揺すぶるスピーチができたのかと自問すると、
とうてい合格点を付けることはできません。

たまたまうまくいったこともあるでしょう。
ですが私自身には、わかるのです。
人の心に働きかけ、人の心を動かすために、もっといい言葉はないのか、
それを探り、考え、選び、試す努力が、およそ足りなかったと。

「慣れ」から逃れることは、案外大変です。
ひとつの活動の代表者を10年も続けていると、
自覚以上に慣れがあるのではないかと、不安になります。


【もっともっと私の言葉で、つながり力の強化を訴えよう】

実際、長期政権にはいろいろと問題があるはずです。
だからと言って、私が代表者を辞すると言っている訳ではありません。

「NICeの代表者」という枠の中に、増田紀彦を押し込めることを辞めます。

立場でものを書き、立場でものを語ることは、辞めようと思います。

私はNICeの代表者だから、つながり力の強化を訴えている訳ではありません。
私自身が、この国の社会と経済の未来にとって、
そうしたほうが絶対にいいと思うから、そう訴えているのです。

高校生の頃、来る日も来る日も原稿を書いてビラを配ったように、
自分が思うところを、人々に対し、隠さずちゃんと表明したい。
考えてみれば、そうしたくて、NICeを守ってきたのです。

NICe10年、増田紀彦60年のこの機に、本懐に立ち返ろう。

私は今、一人の人間として培ってきたすべてを駆使して、
皆さんの心の中に届く文章を記し、言葉を発したいと思っています。

また、そういうチャレンジが、
NICeの活動を、より深みのあるもの育てていくようにも思います。

とても長くなりました。
そろそろ筆を置きます。

恐らく、ここまで読まれた方は、決して多くないかもしれません。
たぶん、少ないでしょう。
ネットツールでの長文は、それこそ御法度ですから。

でも、最後までお読みくださった方が、一人でもいたなら私は幸せです。
その方の心に届く何かが、この文章に存在したということですから。
もっと言えば、あなたと私の心がつながったのかもしれません。
そうなら、本当に本当に、嬉しい限りです。

良い文章、良い発言、良い会話、そして良いネットコミュニケーション。
それらを育むことが、つながり力を強化する基礎になる。
ひいては、それが日本経済の再生と活性に寄与する。
そう信じて、2020年も頑張ります。
新年が、皆さんにとっても良き1年となりますよう、念じます。

<一般社団法人起業支援ネットワークNICe 代表理事 増田紀彦>
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「つながり力で起業・新規事業!」メールマガジンVol.103
(2019.12.23配信)より抜粋して転載しました。
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