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厳しさを増す経済・経営環境に立ち向かうために、NICe増田代表理事が送る、視点・分析・メッセージ 。21日配信のNICeメルマガシリーズコンテンツです。
起業で、息苦しい監視社会を突破しよう!



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 「増田紀彦の視点 どうする?日本経済」

第149回 起業で、息苦しい監視社会を突破しよう!
 
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【バーチャル背景禁止は何のため?】

リモートワ-クの際、バーチャル背景を禁止する企業があるらしい。

プライベート空間を他者の目に晒すことには抵抗があるし、
晒されたほうも余計なことが気になって仕事に集中しづらくなる。

バーチャル背景を禁止する企業に勤める人は、
デスクの後ろ側の天井にロールスクリーンを取り付けるなど、
「アナログ背景」を用意することで、プライベートを防衛するしかない。

禁止する側は、バーチャル背景はPCに負荷をかけ、
そのせいで映像の途切れや音声の遅れが生じることがあるとか、
選んだ背景が「不適切」だと取引先の顰蹙を買うとかの理由を挙げている。

でも、最大の目的は、やはり従業員の監視ではないだろうか。


【企業の論理に塗り替えられていくリモートワーク】

本来、リモートワークは場所と時間の制約から働く人を解放し、
一人一人の生活リズムに合わせた働き方を目指すものだ。
日々の通勤時間が解消されるだけでも、生活の質は大きく変わる。

ところがバーチャル背景禁止は、
働く人を、一定時間、自宅に拘束しようとする意図が感じられる。
これでは、リモートワークならぬリモート管理だ。

もっともバーチャル背景を認めたとしても、
チャットの「在席」「離席」表示やPC操作ログなどによって、
リモートワーク自体が、ある種の監視ツールになっている実情はある。

しかも一般的なオンラインツールには録画・録音機能が付いているから、
「迂闊なことは言えない」という警戒心や緊張感を利用者に与える。

より人間らしい生活の一助になるはずだったリモートワークは、
今や企業の論理に塗り替えられた「働き方」に変わりつつある。


【カメラとPCとAIが、働く人々を監視する】

「監視の目」が光っているのはリモートワークだけではない。

例えば工場では、品質管理や労災防止のためにカメラを設置しているし、
店舗でも、万引き防止や強盗対策のためにカメラを設置している。
が、これらは言うまでもなく、そこで働く人たちも映し出す。

設置者の本来の目的がどうであれ、こうなると、
働く人は「撮られている」ことを意識して振る舞わざるを得なくなる。

実際、映像を根拠に、
「トイレに行く回数が多い」「立ち話が長い」などと指摘される人がいるし、
画像を読み込んだAIは、「誰の手が何秒止まっていたか」まで分析する。

フランスの哲学者・フーコーは監獄の設計思想に触れて、
中央の監視塔の役割は、実際に囚人を見張ることではなく、
囚人に「いつ見られているかわからない」と思わせることだと述べている。

上司の厳しい管理が、ハラスメントの名のもとに弱体化する一方で、
カメラとPCとAIによる静かな監視が、働く人々を支配し始めている。


【労働力をいくらで売るか買うかが、企業と働く人の関心事】

結局のところ、企業は働く人々を信用していない。

働く人たちが、その仕事を心の底から、
やりたいと思ってやっているわけではないことを知っているからだ。

企業は、その人が何をしたいのかよりも、
必要な業務を任せられるかどうかで採用の可否を決める。

働く側も、自分が何をしたいのかよりも、
賃金・待遇などの雇用条件や、職場環境などで勤務先を選ぶ。

つまり企業と働く人は、労働力を商品として売買しているのであり、
企業は、その商品の対価に見合う価値を働く人に求め、
働く人は、その商品の価値に見合う対価を企業に求める。

だから企業は働く人を監視し、働く人は企業の監視に対応する。


【マルクスが解明した「疎外された労働」とは?】

私はこのコラムのシリーズで、
マルクスが著わした『経済学・哲学草稿』についてたびたび触れてきた。

その書の中でマルクスは「労働の疎外」という概念を明らかにしている。
「疎外」は、「かかわりを断つ。仲間外れにする」といった意味だ。

マルクスは、資本主義社会において労働者は、
1. 生産物からの疎外
2. 労働そのものからの疎外
3. 人間としての本質からの疎外
4.他人からの疎外
を受けると主張している。

「生産物からの疎外」とは、
工場労働では分業が進み、完成品は会社のものとなり、
自分の労働の成果が自分とは無縁の存在になることである。

「労働そのものからの疎外」とは、
仕事が自己実現の手段ではなく、単なる生活手段になってしまうこと。

「人間としての本質からの疎外」とは、
機械の一部のような単純労働ばかりを繰り返すことで、
考え、工夫し、創造するという人間の本質から掛け離れてしまうこと。

「他人からの疎外」とは、
労働者同士が競争し、管理者や経営者と対立して、
人間関係までが経済的利害で左右されてしまうことをいう。

もし、マルクスがこの時代の「働き方」を目にしたら何と言うだろう。

私ごときが代弁するのも面映いが、
「KPIと監視とAIによる新たな疎外形態の誕生」と指摘するのではないか。


【疎外されるのは、雇用されている人たちだけか?】

自分で書いていて、今さら気付いた。

「新たな疎外形態」は、雇用労働だけの話ではないと。

私は自治体などが主催する起業セミナーの講師を長年務めてきた。
何年やっても反省点や改善点は尽きないが、それらを抽出するために、
主催者が集めた受講者アンケートの結果を活用したことは、ほぼない。

例外的に、信頼関係のある主催者が送ってくるものには目を通すが、
単に「良かった70% 良くなかった30%」などと、
機械的に数字をまとめただけものには価値を感じないからだ。

それどころか、単純集計の結果で講師の評価を決める主催者もいれば、
その方式に応じて高評価を得ようと、受講者におもねる講師も現れている。

KPIというもっともらしい数値目標に縛られて創造的な作業を放棄することは、
監視カメラに向かって働きぶりをアピールすることと、何ら変わりがない。

考え、工夫し、創造し、そのプロセスを他者と共有し、切磋琢磨することで、
さらなる成長と飛躍を期すはずの人間は、どこへ行ってしまったのか。


【起業で、労働の成果を自分のものに!】

ああだこうだと言ったが、それでも実際のところ、
私は言いたいことを言っている(ここに書いている)。

思いや熱意のない担当者や、人を軽んじる会社や団体の仕事は断るし、
目的を遂げるために、どんな方法を選択するかも私次第だ。

だから私は巧妙な監視・管理社会の中にあっても、
十分に生き甲斐を感じている。要するに「疎外」されていない。

「それはおまえが恵まれているからだ」などとは思わないで欲しいし、
起業すれば、即、こういう生き方ができるなどとも思わないで欲しい。

私はものすごく努力してきたのだ。

それこそ疎外されないために、
自分の「才」の何たるかを探り続け、何度も適さない仕事に就いては挫折し、
消去法のようにして、自分が自然に向き合える仕事にようやく到達した。
その仕事で成果を挙げるために、実践と学習を繰り返し、
数々の失敗を糧として、少しずつ力量を高め、自信を深めてきた。

何をもって幸せと感じるかは人それぞれでいいが、
もし、今の働き方にどこか疑問を感じるのであれば、
やはり起業を目指してほしい。

前述のように、起業したら、すぐに納得の人生が手に入るようなことはない。
ただ、起業すれば、監視も管理もされないから、
自分が自分に対して、何のためなら頑張れるか、
何をしていたら充実するか、それらを問い続けることになる。

その自問自答から逃げず、挑戦を続ける先に、
本当の自分の人生が待っているはずだ。

<一般社団法人起業支援ネットワークNICe 代表理事 増田紀彦>

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「つながり力で起業・新規事業!」メールマガジンVol.259 
(2026.7.21配信)より抜粋して転載しました。
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