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厳しさを増す経済・経営環境に立ち向かうために、NICe増田代表理事が送る、視点・分析・メッセージ 。21日配信のNICeメルマガシリーズコンテンツです。
妥協ではなく、協調で未来を切り拓け!




【文句を「言えない」日本の金融当局】

「たかだか10円か15円の円安で、いちゃいちゃ言うのは筋がおかしい」。

先月、麻生太郎副総理兼財務・金融大臣が独特な言い回しで
円安傾向に関する海外からの批判に反発を示した。
リーマン・ショック前後に対ドルで100円付近だった円相場が、
75円付近まで上昇する間、ドルやユーロに対して、
日本は「ひとことも文句を言わなかった」と。

こういう威勢のいいコメントは、巷では大いに歓迎されるかもしれない。
だが、ドルの下落に対して「ひとことも文句を言わない」のは、
日本が寛大だとか、鷹揚だとか、そういった理由からではない。
そういう約束を、米国をはじめとした主要国と取り交わしているからだ。
いわゆる「プラザ合意」である。


【円高ドル安は、28年前からの規定路線】

1985年9月22日、 ニューョークのプラザホテルに、
当時のG5(日、米、英、西独、仏)の財務大臣と中央銀行総裁が集まって、
「これ以上のドル高を是正する」ことを合意した。

「もはやドルは世界経済を支えることができないので、
悪いけど、みんな、よろしく。頼んだよ」とボスに言い出され、
内心は、イヤだなあと思いつつも、
それでもボスはまだボスだから、逆らってもいいことはないし……と、
各国(少なくとも日本)が、首を縦に振ったという話である。

それからもう28年近くの歳月が流れたわけだが、
時間を経れば経るほど、この合意の恐ろしさが顕在化してくる観がある。

もちろん合意直後の日本経済も大変だった。
各国の協調介入の結果、合意発表のわずか24時間後に、
それまで対ドル235円だったレートが一気に20円ほど上昇。
1年後の1986年には、ついに1ドル150円台にまで達し、
以降、ジリジリと円高ドル安のトレンドが進行していくのである。


【円高の一方、アジア各国通貨は安いまま】

プラザ合意が、今日のような円高ドル安を招くと、
当時の我が国の財政・金融担当者たちは予測できなかったのだろう。

だが、プラザ合意が日本経済に大きな打撃を与えたのは、
「円高ドル安の是認」という点だけではなかったと私は思う。

この合意は、米ドルの切り下げではなく、他国主要通貨の切り上げである。
円、ポンド、マルク、フランを、米ドルに対して高くするのであって、
米ドルが、すべての通貨に対して安くなるわけではなかったのだ。

つまり、「主要ではない国の通貨」の対ドルレートは、特段の変化なし。
その結果、輸出競争で一気に有利になったのが、
韓国ウォンや台湾ドルをはじめとした、アジア各国の通貨だった。
為替の変化にもがき苦しむ日本企業を尻目に、
これらの地域の企業は意気揚々と輸出戦線に躍り出たのである。

円高回避で海外へ拠点を移し、雇用を生まなくなった日本企業の今の姿も、
韓国企業をはじめとしたアジア勢に市場を奪われる日本企業の今の姿も、
このプラザ合意が生み出したものだったと言っていいと思う。
(円安傾向に韓国のマスコミが過剰反応するのは、そういう経緯のため)

妥協というものが、つくづく危険な行為だと思い知らされる展開である。
あきらめの産物である「妥協」ではなく、粘りの産物である「協調」こそが、
グローバル時代の日本経済を切り開く方途だと、あらためて痛感する。

<一般社団法人起業支援ネットワークNICe 代表理事 増田紀彦>


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「つながり力で起業・新規事業!」 メールマガジンVol.3(2013.0222配信)
より抜粋して転載しました。
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